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4.体を売る者が富む街

空気が、湿ったカビと安っぽい香水の混じり合った臭いで肺を満たす。


雑居ビルの狭い階段を上る足音が、コンクリートの壁に反響して耳鳴りのように響く。


紹介されたのは派遣型の店だった。


鉄の扉を開けると、そこには私が今まで知らなかった世界が広がっていた。


事務的な口調の男性スタッフ。


講習と呼ばれる性行為の手順説明。


カメラのフラッシュが焚かれるたび、私の魂の一部が剥がれ落ちていくような感覚に襲われる。


「源氏名、どうする?」


問われても、言葉が出てこない。


適当につけられた名前が、ホワイトボードに書き込まれる。


モニターに映し出された修正済みの私の写真は、まるで別人のように微笑んでいた。


現実感が欠落している。


これは夢だ。


悪い夢だ。


そう思い込もうとしても、指先に触れる契約書の紙質だけが、残酷なほどリアルだった。


最初の数週間は、駅の改札を出るだけで胃液が喉の奥までせり上がってきた。


待機部屋のソファに座っているだけで、全身の皮膚が粟立つ。


知らない男の肌が触れる感触を想像するだけで、呼吸が浅くなる。


トイレの個室で何度も嗚咽を漏らした。


鏡に映る自分を見るのが怖かった。


そこにいるのは、かつてエリートを目指した私ではなく、金のために股を開く肉人形だ。


けれど、銀行口座の残高が増えるたび、その嫌悪感は強制的に麻痺させられていく。


生きるためには金がいる。


家賃を払うには、光熱費を払うには、明日のパンを買うには、この汚れた金が必要なのだ。


やめられない。


その事実が、鎖のように足首に絡みついていた。


なぜ私だけなのか。


待機部屋でケラケラと笑いながら化粧を直す他の女の子たちを見て、黒い嫉妬と疑問が渦巻く。


彼女たちは平気なのか。


それとも、平気なふりが上手いだけなのか。


なぜ私は、普通に会社に行って、普通に仕事をして、普通に笑うことができないのか。


うつ病という診断名は、免罪符にはならなかった。


むしろ、落伍者の烙印として私を苦しめる。


私が悪い子だからか。


真面目に生きようとしたことが間違いだったのか。


給与明細を見る。


そこに記載された数字は、私が正社員として身を粉にして働いていた頃の三倍だった。


世界は狂っている。


真面目に働く者が病み、体を売る者が富む。


その歪みの中でしか生きられない自分が、何よりも憎かった。


それでも、私は光を求めた。


風俗の合間を縫って、転職サイトを巡回する日々。


ようやく見つけたのは、都内の一般企業の派遣社員の職だった。


「採用」の通知が届いた日、私は風俗店の連絡先をブロックし、派手な下着をゴミ箱に捨てた。


これで戻れる。


普通の人間としての生活に。


朝起きて、電車に乗り、オフィスでパソコンに向かう。


仕事内容は以前より遥かに軽かった。


責任も重くない。


これなら私にもできるはずだった。


そう信じていた。


しかし、病んだ精神はそう簡単には許してくれなかった。


満員電車の圧迫感。


オフィス内の些細な話し声。


キーボードを叩く音。


それら全てが鋭利な刃物となって神経を削る。


通勤時間が長いことも災いした。


朝、玄関で靴を履こうとすると動悸が止まらなくなる。


急な欠勤が増えた。


トイレでうずくまる時間が増えた。


そして、呼び出された。


「君の体調だと、これ以上は難しいね」


試用期間終了の通達。


相談という体裁を取った、優しく残酷な排除宣告。


私は何も言い返せなかった。


社会は、壊れた歯車を二度は受け入れない。


帰り道、夕焼けが滲んで見えた。

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