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26.リハーサル、しましょう

駅前の雑踏の中、彼が私を見つけ、目を見開いて立ち止まった。


私は足を止め、小さく手を振る。


美容院でトリートメントをしたばかりの髪が、風になびいてさらりと肩に落ちる。


新調した淡いベージュのワンピース。


膝丈のスカートがふわりと揺れる。


いつもより少しだけ時間をかけたメイク。


鏡の前で何度も確認した「普通の可愛い女の子」の完成形だ。


彼は数秒間、瞬きもせずに私を凝視していた。


口が半開きになっている。


まるで、知らない人間を見ているような反応。


不安がよぎる。


やりすぎただろうか。


気合を入れすぎた痛い女だと思われただろうか。


私はスカートの裾をぎゅっと握りしめる。


「……かすみ、さん?」


彼がおずおずと名前を呼ぶ。


「はい、かすみです。お待たせしました」


努めて明るく、鈴を転がすような声を意識して返す。


彼はハッと我に返ったように、慌てて頭を下げた。


「あ、ごめんなさい! あまりに雰囲気が違って……その」


彼の視線が、私の髪から服、そして足元へと泳ぐ。


そして、頬を赤らめながら、ぼそりと言った。


「すごく、似合ってます。綺麗です」


直球。


飾りのない、純度百パーセントの称賛。


その言葉が耳に届いた瞬間、私の胸の中で何かが弾けた。


熱が頬に広がるのを自覚する。


お世辞ではない。


彼の目を見ればわかる。


そこには、美しいものを見た時の純粋な感動と、少しの照れくささが浮かんでいた。


ああ、よかった。


間違っていなかった。


昨日の自己嫌悪も、他の男に抱かれた記憶も、この瞬間のために洗い流してきて正解だった。


私は風俗嬢でも、汚れたパパ活女子でもない。


今この瞬間だけは、彼の瞳に映る「綺麗な女の子」になれている。


喜びが、指先まで痺れるような電流となって駆け巡る。


もっと褒めてほしい。


もっと私を見てほしい。


私という存在で、彼の頭の中をいっぱいにしたい。


そんな欲求が、甘い毒のように湧き上がってくる。


私は一歩踏み出し、上目遣いで彼を見つめた。


計算された角度。


一番可愛く見える表情。


「ありがとうございます。おじさんに会うから、ちょっと頑張っちゃいました」


小首を傾げて微笑む。


効果はてきめんだった。


彼はさらに顔を赤くし、視線を逸らして口元を手で覆った。


「……破壊力がすごいです」


かわいい。


年上の男性に対して失礼かもしれないが、その初心な反応がたまらなく愛おしい。


そして同時に、征服感にも似た快感が背筋を走る。


この人を夢中にさせているのは私だ。


いつものカフェに向かおうとする彼の袖を、私はくいっと引いた。


彼は驚いて振り返る。


「あの、今日はカフェだけじゃなくて……少し、歩きませんか?」


「え? 歩く?」


「はい。お天気もいいですし、近くに大きな公園がありますから」


私は提案する。


カフェで座って話すだけでは足りない。


もっと近づきたい。


もっと「恋人」っぽいことをして、既成事実を作りたい。


彼との距離を物理的にも精神的にも縮めるための、次の一手だ。


「でも、かすみさん、ヒールだし疲れませんか?」


彼は私の足元を気遣う。


どこまでも優しい。


けれど、その優しさが時々もどかしい。


もっと踏み込んでくればいいのに。


「大丈夫です。それに……」


私は少し声を潜め、悪戯っぽく笑ってみせた。


「おじさん、彼女作りたいんですよね? 女性と歩く練習も必要じゃないですか?」


練習。


リハーサル。


その名目があれば、彼は断れないはずだ。


そして、それは私にとっても好都合な言い訳となる。


これはあくまで練習だから。


本気じゃないから。


そう自分に言い聞かせれば、傷つくのを恐れずに甘えられる。


彼は目をぱちくりとさせ、それから納得したように頷いた。


「な、なるほど……確かに、歩きながら喋るの、大事ですね」


真面目だ。


私の下心など微塵も疑わず、真剣に「学習」しようとしている。


「い、いいですか? 僕で」


彼が恐る恐る尋ねる。


「いいですよ。私となら、失敗しても大丈夫ですから」


私は彼の手を取りそうになったのを堪え、代わりに一歩近づいた。


パーソナルスペースへの侵入。


彼の体温が伝わってくる距離。


「リハーサル、しましょう?」


私の言葉に、彼は覚悟を決めたように深く頷いた。


「あ、ありがとうございます。お願いします、先生」


「ふふ、先生だなんて」


笑い合う二人。


駅前の喧騒が遠のく。

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