24.隠さなきゃ
カーテンを閉め切った部屋は、昼夜の境界を失っていた。
フローリングの床には、コンビニ弁当の空き容器が散乱している。
プラスチックの蓋についた油汚れが、薄暗い部屋の中で鈍く光る。
私はベッドの上で膝を抱え、その光景をぼんやりと眺めていた。
食べかけのおにぎり。
半分残ったパスタ。
飲みかけのペットボトル。
それらは私の生活力の欠如と、精神の停滞を示す墓標のようだ。
おじさんからの連絡はまだない。
「来週は必ず」という言葉だけを頼りに、私は呼吸を続けている。
けれど、その頼りない希望は、時間とともに腐敗していく。
不安という蛆が湧き、思考を食い荒らす。
誰かに聞いてほしかった。
この不安が杞憂なのか、それとも予知なのか。
ネットの中にしか居場所のない私は、震える指で匿名掲示板のスレッド作成ボタンを押した。
『【相談】風俗嬢に本気になる客って、いますか?』
ありふれたタイトル。
内容は少しぼかして書いた。
元風俗嬢で、今はパパ活をしていること。
相手は若く見える30代の独身男性で、清潔感があり、優しくて、金払いも良いこと。
身体の関係よりも会話やスキンシップを求めてくること。
送信。
レスがつくまでの数分間、私はスマホを祈るように握りしめた。
「あるよ」「いい人だね」
そんな無責任な肯定を求めていた。
しかし、画面に並んだ文字は、冷徹な現実だった。
『1: 名無し』
『創作乙。そんな優良物件がパパ活なんかにいるわけない』
『2: 名無し』
『まあ、なくはないけど極めて稀だな。たいていはヤリモクの演技』
『3: 名無し』
『仮に本気だとしても、男側の世間体を考えろよ。元風俗嬢と結婚とか、親になんて紹介すんの? 普通の神経してたら無理』
文字の刃が、無防備な心を切り裂く。
世間体。
普通の神経。
そうだ。
おじさんは「普通」じゃない。
異常なほど優しいエラーだ。
でも、彼が一度「普通」の視点に戻ったら?
自分の社会的地位や、将来のことを冷静に考えたら?
私なんて、真っ先に切り捨てるべき汚点だ。
私は焦って、追加の情報を打ち込んだ。
『でも、私がパニックになった時も優しく介抱してくれました』
『実は私、うつ病で通院してるんですが、それでも受け入れてくれて……』
これが私の切り札だった。
病んだ私すら愛してくれる彼なら、きっと本物だと言ってほしかった。
更新ボタンを押す。
レスが一気に増える。
その内容は、私の期待を粉々に砕くものだった。
『15: 名無し』
『うわ、メンヘラかよ。解散』
『16: 名無し』
『おいイッチ、それはあかん。絶対に隠せ』
『17: 名無し』
『男が一番嫌うのは面倒くさい女だぞ。今は優しくても、依存されたら逃げるに決まってる』
『18: 名無し』
『病気の女と付き合うメリットなんてゼロ。同情引こうとしてるなら逆効果』
『警告』という言葉が、画面から飛び出してくるようだった。
絶対に隠せ。
依存するな。
バレたら捨てられる。
スマホを取り落としそうになる。
私はとんでもない過ちを犯していたのかもしれない。
先週のホテルでの出来事。
薬を飲み忘れて錯乱し、泣きじゃくり、彼に縋り付いた夜。
あれは「二人の絆が深まった夜」ではなかった。
彼に「こいつは地雷だ」と認識させた、致命的な夜だったのかもしれない。
「優しいですね」という言葉は、爆発寸前の地雷を刺激しないための、慎重な撤去作業の言葉だったのではないか。
血の気が引いていく。
嫌われる。
捨てられる。
今、彼が連絡をよこさないのは、仕事が忙しいからじゃない。
私という重荷をどう処理するか、あるいはどうやってフェードアウトするかを考えているからかもしれない。
「……隠さなきゃ」
私は呟く。
震える手で、散らばったゴミ袋の一つを掴んだ。
普通のふりをしなければ。
病気なんてない、明るくて、聞き分けの良い、都合のいい女。
彼が求めているのは「練習相手」だ。
カウンセラーでも、介護士でもない。
次に会えたら、絶対に笑おう。
どんなに辛くても、薬を何錠飲んででも、完璧な笑顔で彼を迎えよう。
「おじさん……ごめんなさい……」




