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22.私は…なにをした

待ち合わせ場所のホテルのロビー。


指定された柱の前に立っていたのは、プロフィール写真とは似ても似つかない男だった。


アプリ上の「30代前半」という表記は、おそらく十年以上前のデータを参照しているのだろう。


目の前の男は、どう見ても四十代半ばを過ぎている。


髪は整髪料で固められ、不自然な艶がある。


肌は脂浮きし、目尻には深い皺が刻まれている。


ブランド物のスーツを着ているが、腹部の膨らみを隠しきれていない。


「かすみちゃん? だよね」


男が声をかけてくる。


馴れ馴れしい口調。


視線が私の顔から胸元、そして脚へと、ねっとりと這うように動く。


値踏み。


商品としての品質チェック。


おじさんの、あの恥ずかしそうな、けれど敬意を含んだ視線とは対極にあるものだ。


「……はい、かすみです。はじめまして」


私は営業用の微笑みを貼り付け、頭を下げる。


帰りたい。


踵を返して逃げ出したい衝動を、私は足の指に力を込めて押し殺した。


これは保険だ。


おじさんに切り捨てられた時のための、代用品の確保だ。


我慢しなければならない。


連れて行かれたのは、高層階にある焼き肉の店だった。


夜景が一望できるカウンター席。


目の前でシェフが肉を焼く音がする。


香ばしい匂いが漂ってくるが、私の食欲は喚起されない。


隣に座る男は、メニューも見ずに高価なコースを注文し、ワインリストを開いた。


「俺さ、最近会社をもう一つ立ち上げてね」


乾杯もそこそこに、男の独演会が始まった。


不動産投資の利回りがどうとか、所有している車の車種がどうとか。


私が求めていた「相性」を確認する会話は、そこには存在しなかった。


「へえ、すごいですね」


「そうなんですか、知らなかった」


私は相槌を打つ機械になる。


目の前に置かれた最高級の和牛を口に運ぶ。


柔らかい。


噛む必要がないほどに。


けれど、先週おじさんと食べたクレープの味のほうが、鮮烈に思い出される。


あの時、私たちは対等だった。


彼は私の言葉を聞き、私は彼の言葉を聞いた。


今は違う。


私は高級な肉を咀嚼し、男の自慢話を右から左へと流すだけの、ただの受信装置だ。


「で、かすみちゃんはさ、こういう店よく来るの?」


不意に質問の矛先が向く。


「いえ、あまり……」


「だよねえ。若い子は居酒屋とかだもんね。俺と付き合えば、こういうとこ毎日でも連れてきてあげるよ」


男がニタリと笑い、私の太腿に手を置いた。


掌の熱と湿り気。


スカート越しでも伝わる不快感に、背筋が凍る。


「相性重視」という言葉の意味を、私は誤解していたようだ。


彼にとっての相性とは、金払いの良さに靡くかどうか、そしてこの後のベッドでの従順さのことなのだろう。


デザートのアイスクリームが溶ける頃、男は腕時計を見た。


「そろそろ行こうか。予約してあるから」


同意を求める疑問形ではない。


決定事項の通達だ。


私は無言で頷く。


拒否権など最初からない。


食事代という名の前払いは済んでいる。


ここからは、私が対価を支払う番だ。


店を出て、タクシーに乗り込む。


行き先は告げられなかったが、到着した場所を見て理解した。


梅田にある、会員制を謳う高級ホテル。


パパ活界隈では有名な、いわゆる「やり部屋」だ。


フロントでの手続きはスムーズで、男は慣れた様子でカードキーを受け取った。


何人もの女をここに連れ込んでいるのだろう。


エレベーターの中、鏡に映る自分を見る。


死んだ魚のような目をしている。


おじさんといた時の、少しだけ血の通っていた私は、もうどこにもいない。


部屋に入ると、男はすぐにシャワーを浴びるよう促した。


「一緒に入ろうか」とは言わなかった。


効率重視。


私が浴室から出ると、男は既にバスローブ姿でベッドに横たわり、スマホをいじっていた。


「お、いいね。肌きれいじゃん」


男がスマホを置き、手招きする。


私はロボットのようにベッドへ近づく。


前戯は短かった。


胸を乱暴に揉まれ、首筋に吸い付かれる。


痛い。


おじさんの、あの慈しむような愛撫とは違う。


ただの肉の塊として扱われている感覚。


ゴムの袋を破る音が、乾いた音として響く。


挿入。


男の荒い息遣いが耳元にかかる。


私は天井のシミを見つめながら、声を出すタイミングを計る。


「あっ、すごい……」


「大きいです……」


台本通りの台詞。


心は冷え切っているのに、身体だけが条件反射で反応する自分が浅ましい。


男は自分の快楽だけを追求し、私の反応など気にも留めずに腰を振る。


私はただの穴だ。


排泄のための便器と変わらない。


数分後、男は短い唸り声を上げて果てた。


事後、男は満足げに煙草に火をつけた。


私はシャワーを浴び直し、服を着る。


帰り際、男は財布から五万円を取り出し、無造作にテーブルに置いた。


「タクシー代込みね。また連絡するよ」


「ありがとうございます」


私は金を受け取り、深々と頭を下げる。


五万円。


焼き肉のコース代を含めれば、七万円以上の価値があったはずだ。


おじさんの四万円よりも、金額的にはずっと「良い客」だ。


それなのに。


ホテルを出て、夜風に当たった瞬間、強烈な虚無感が襲ってきた。


私は何をしているのだろう。


おじさんに会えない寂しさを埋めるために、別の男に抱かれ、心をすり減らしている。


誰でもよかったのだ。


金さえ払ってくれれば、相性なんて関係なく、私は股を開く。


その事実が、私を打ちのめす。


「……最低」


自分の掌を見る。


握りしめた一万円札が、汚らわしい紙切れに見えた。


おじさんは私を「優しい」と言ってくれた。


私を人間として扱ってくれた。


それなのに、私はその裏で、こんな簡単に自分を安売りしている。


罪悪感が、胃の底から黒い泥のように湧き上がってくる。


スマートフォンの画面を見る。


アインのアイコン。


彼に連絡したい。


「寂しいから、他の人と寝ちゃった」なんて言えるはずがない。


私は画面を消し、夜の闇の中に溶け込むように歩き出した。

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