21.保証されない繋がり
スマートフォンの通知音が鳴るたび、心臓が跳ねる。
画面を確認し、『Finder』からの通知だと分かると、期待は即座に失望へと変わる。
「……また、違う」
プロフィール画像は顔を隠した男たち。
メッセージの内容は定型文の羅列。
『はじめまして、本日会えませんか?』
『プロフィール見ました、タイプです。大人でどうですか?』
以前なら、条件さえ合えば淡々と返信していただろう。
金銭を得るための業務連絡。
そこに感情など必要なかった。
けれど今は、指先が動かない。
既読すらつけずにスワイプして消去する。
私の脳内メモリは、今や一人の人物だけで占拠されていた。
おじさん。
あの優しくて、少し不器用な笑顔。
三毛猫のアイコン。
彼以外の通知は、今の私にとってただのノイズでしかなかった。
他の男と会う気になれない。
彼の手の温もりを知ってしまった後では、他の男に触れられることなど想像するだけで肌が粟立つ。
私は依存している。
金銭的なパトロンとしてではなく、精神的な安定剤として。
それは風俗嬢時代にも、パパ活を始めてからも、一度として犯さなかったタブーだ。
水曜日の夜。
待ちわびた『アイン』の通知音が鳴った。
三毛猫のアイコン。
私は震える手でロックを解除し、メッセージを開いた。
『こんばんは、かすみさん。今週なんですが、ちょっと仕事のトラブルが入ってしまって、会えそうにありません。本当にごめんなさい。来週は必ず時間作りますね』
文字を目で追う。
意味を理解するのに数秒かかった。
会えない。
今週は無し。
血の気が引いていくのが分かった。
頭では理解できる。
社会人の彼に仕事があるのは当然だし、トラブルだってあるだろう。
丁寧な謝罪もある。
「来週は必ず」という約束もある。
しかし、私の内側にある臆病な怪物は、その理屈を食い破って暴れ出した。
本当に仕事だろうか。
本当は、もう私に飽きたのではないか。
先週、私がパニックを起こして泣きじゃくったから、面倒になったのではないか。
「優しいですね」と言ってくれたのは、その場を穏便に収めるための演技だったのではないか。
ブロックされる前兆かもしれない。
徐々にフェードアウトしていく、大人の別れ方かもしれない。
指先が冷たくなる。
『分かりました、お仕事頑張ってください』
そう返信するのが正解だと分かっている。
物分かりの良い女を演じなければならない。
『本当ですか?』
『私のこと嫌いになったんじゃないですか?』
そんな重い言葉を送れば、それこそ関係の終わりを早めるだけだ。
私は聞けない。
私には、彼の事情を詮索する権利も、彼の時間を束縛する権利もない。
私はただの、四万円で買われる商品なのだから。
『了解です。お仕事、無理しないでくださいね』
震える指で、精一杯の定型文を打ち込んだ。
送信ボタンを押した瞬間、世界との繋がりが一つ切れたような音がした気がした。
不安だ。
胸の奥に黒い穴が開き、そこから冷たい風が吹き込んでくる。
このまま来週まで、彼と繋がっていられる保証はない。
もし来週も「仕事で」と断られたら?
その次は?
恐怖を打ち消すために、私は無意識のうちに『Finder』を開いていた。
代わりを探そうとした。
彼がいなくなっても大丈夫だと思えるように、彼に似た誰かを確保しておきたかった。
保険。
あるいは、ただの逃避。
検索してみた。
年齢:30代前半。
体型:普通。
写真:清潔感があること。
彼のような、優しげで、オタクっぽくても清潔な人。
条件に合うプロフィールがいくつか表示される。
スーツ姿のアイコン。
休日のカフェでの自撮り。
確かに、見た目は彼に近い人もいる。
「……この人とか」
私はプロフィールをタップする。
自己紹介文を読む。
『都内で営業してます。癒やし求めてます。大人の関係希望。即日OK』
別の男を見る。
『相性重視です。まずは食事から、その後ホテルで。お手当は相談で』
また別の人。
『サクッと会える方。ゴムあり』
スクロールする指が止まる。
違う。
誰も彼も、最初から「肉体」を求めている。
対価として金を払うのだから、当然だ。
女の身体を、時間を、快楽を買う。
それがパパ活のルールであり、世界のロジックだ。
「初対面でセックスするのは恥ずかしいから、とりあえずカフェしませんか」
そんなことを言う男はいなかった。
一万円払って、ただクレープを食べてアニメの話をして帰る男はいなかった。
ホテルで一泊して、手も出さずに一晩中背中を撫でてくれる男はいなかった。
画面の光が目に痛い。
似たような外見の男はいても、中身は決定的に違う。
探せば探すほど、彼という存在の特異さが浮き彫りになる。
彼は異常だったのだ。
この欲望にまみれた市場において、彼だけが奇跡のようなエラーだった。
そんな希少な存在を、私は失おうとしているのかもしれない。
「……いない」
私はスマートフォンをベッドに放り投げた。
代わりなんていない。
どれだけ条件を並べても、あの温かさは再現できない。
天井を見上げる。
涙が滲んでくる。
会いたい。
ただカフェで話すだけでもいい。
隣に座って、あのアニメの話を聞かせてほしい。
私のことを「かすみさん」と呼んで、優しく笑ってほしい。
今週一週間、その希望なしで、どうやって呼吸をしていけばいいのだろう。
部屋の空気が、急に薄くなったように感じた。




