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13.本音が聞きたい

浴室から出ると、エアコンの冷気が濡れた肌に張り付く。


私はバスタオルで身体を拭き、白いシーツが敷かれたダブルベッドの縁に腰を下ろした。


髪から滴る水滴が、鎖骨の窪みに落ちる。


彼もまた、腰にタオルを巻いただけの姿で出てくる。


照明を落とした薄暗い部屋の中で、彼の輪郭がぼんやりと浮かび上がる。


彼はベッドの反対側に回り込み、少し躊躇うように口を開いた。


「……どんな姿勢が好きですか?」


唐突な質問だった。


好き嫌いなどない。


客が望む体位に応じ、あえぎ声を上げ、射精を促す。


それが私の仕事だ。


しかし、彼は主導権を私に委ねようとしている。


あるいは、単にリードするのが苦手なだけかもしれない。


私は少し考え、無難な回答を選んだ。


「……一緒に寝れるやつが、いいかな」


対面座位か、あるいは背面座位か。


顔を見なくて済むし、身体の接触面積も広い。


「……はい」


彼は短く頷いた。


おそらく、後ろから抱きつく形、いわゆる寝バックのことだと解釈したのだろう。


私は慣れた動作で枕の位置を調整し、四つん這いになりかけ、それから横向きに寝転がった。


腰を突き出し、臀部の肉を強調する。


商品としての魅力を最大限に見せるための、計算されたポーズ。


「ゴムは、必ず付けてください」


私は事務的に告げる。


病気のリスク回避。


妊娠の恐怖。


それだけは譲れない一線だ。


彼はサイドテーブルの上の小箱を手に取ったが、封を切る手が止まった。


「はい。でも、その前には……少し、抱きしめてもいいですか?」


彼の声は、懇願するように震えていた。


「え……? はい……」


戸惑いながらも頷くと、彼は背後から覆い被さるのではなく、正面から私を包み込むように腕を回した。


シーツの擦れる音。


彼の胸板の温かさが、私の胸に伝わる。


彼は顔を私の首筋に埋め、深く息を吸い込んだ。


まるで、私の匂いを確認するかのように。


手は私の背中を優しく撫で、首筋を親指で揉み解し、濡れた髪を指で梳く。


その手つきは、風俗店の客のそれではない。


金を払って女を買う男の、貪るような焦燥感がない。


まるで、長く連れ添った恋人を労わるような、穏やかで粘着質な愛撫。


「……おじさんは、ハグが好きですね」


思わず、そんな言葉が口をついて出た。


「ご、ごめん、下手した?」


彼は慌てて身体を離そうとする。


「いいえ、気持ちいいです」


嘘ではなかった。


彼の体温は心地よい。


けれど、私の脳裏には常にデジタル時計の数字が明滅している。


「でも、時間大丈夫ですか? 四万は、2時間までです」


延長料金は発生させない。


それが暗黙のルールであり、私のプロ意識だ。


彼は少し残念そうに、けれど納得したように頷いた。


「そうですね……もう少しだけ……」


彼は再び私を抱き寄せ、今度は胸元に手を伸ばした。


マッサージのような愛撫が終わると、彼の手はゆっくりと私の乳房を包み込んだ。


乱暴に揉むのではなく、掌全体で重みを確かめるように。


そして、もう片方の手が下腹部へと滑り落ち、秘肉を探り当てる。


クリトリスを指の腹で優しく擦る。


リズムは一定で、強すぎず、弱すぎず。


普段なら、ここで私はスイッチを切り替える。


「あんっ」「気持ちいい」と、オーバーな喘ぎ声を演技で作る。


早く終わらせるために。


男の自尊心を満たすために。


けれど、今日はいけなかった。


声が出ない。


代わりに、喉の奥から熱い息が漏れる。


「う、うん……っ、はっ……」


彼の指が執拗に、けれど丁寧に敏感な一点を刺激し続ける。


身体の芯が痺れるような感覚。


演技をする隙がないほど、私の神経は彼の手の動きに集中してしまっていた。


足の指が丸まる。


シーツを握る手に力が入る。


「……っ!」


不意に、腰の奥で小さな爆発が起きた。


身体が一瞬大きく跳ね、力が抜ける。


軽い絶頂。


仕事中に本当にイッてしまうなんて、風俗嬢失格だ。


恥ずかしさで顔が熱くなる。


「行けました?」


彼は顔を上げ、心配そうに私の顔を覗き込んだ。


「……はい……」


私は蚊の鳴くような声で答えた。


「よかった。じゃあ、僕も入れてもいいですか?」


彼は安堵したように微笑み、ゴムの封を切った。


装着する手つきは少しぎこちない。


やはり、慣れていないのだろうか。


彼は私の背後に回り込み、横向きのまま身体を密着させた。


濡れた入り口を割り、ゆっくりと侵入してくる。


「……んっ」


異物が体内に入り込む圧迫感。


けれど、痛みはない。


彼は私の腰を抱き、リズムを刻み始めた。


激しく突くわけでもなく、変なテクニックを使うわけでもない。


ただ、確かめるように出し入れを繰り返す、極めて普通のセックス。


十数分。


彼は私の耳元で荒い息を吐き、何度か腰を強く打ち付けると、私の体内で果てた。


ゴムの中に白濁した液が吐き出される感覚。


事後、彼はすぐに離れることはしなかった。


汗ばんだ身体のまま、私を強く抱きしめた。


「ありがとう……すごい、気持ちよかった」


彼の声には、深い充足感が滲んでいた。


「……こちらも、ありがとう」


私は定型文を返す。


マグロだと言われなかった。


罵倒されなかった。


それだけで、今日は上出来だ。


シャワーを浴びて着替えを済ませると、彼はまだベッドの縁に座っていた。


私が髪を乾かしていると、彼が鏡越しに私を見て言った。


「かすみさんは、気持ちよくできました?」


またその質問だ。


客は皆、自分のテクニックを確認したがる。


私はドライヤーを止め、鏡の中の彼に向かって最高の笑顔を作った。


「はい、最高に気持ちよかったです」


百点満点の回答。


これで彼は満足し、また私を買うだろう。


しかし、彼の表情は曇った。


眉を少し下げ、困ったように笑う。


「……お世辞は嬉しいけど、本音が聞きたいんですよ」


「え?」


「僕は、かすみさんが本当にどう感じたかを知りたいんです。下手だったなら下手って言ってほしいし」


彼の瞳は真剣だった。


嘘を見抜く目ではない。


ただ、真実のコミュニケーションを求めている目だ。


私は言葉に詰まる。


本音?


そんなもの、商売女に求めてどうするの。


でも、彼の真っ直ぐな視線に、嘘をつき続けることが苦しくなった。


私は視線を逸らし、小さく呟いた。


「……普通に、よかったです」


最高ではない。


劇的でもない。


ただ、不快ではなく、痛みもなく、少しだけ気持ちよかった。


それが精一杯の真実だった。


彼はそれを聞いて、ぱっと顔を輝かせた。


「そうか、よかったです」


心底嬉しそうに言う彼を見て、私はまた思う。


四万円払って、マグロ女の「普通」という感想を喜ぶ男。


計算が合わない。


割に合わない。


「……変な人」


私は聞こえないように、もう一度だけ呟いた。

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