11.ホテルを知らないおじさん
一週間という時間は、私の生活においては単なる消化試合のようなものだ。
それでも、今日という日が近づくにつれて、胸の奥に小さな異物が居座るような感覚があった。
再び、彼と会う。
待ち合わせ場所に現れた彼は、前回と同じように清潔感のある服装で、周囲の風景に自然に溶け込んでいる。
整った顔立ち。
屈託のない笑顔。
同年代の友人も多いだろうし、恋人を作ることなど造作もないはずだ。
それなのに、なぜ『Finder』のような掃き溜めで、私のような傷物を拾い上げるのか。
性欲の捌け口としてなら理解できる。
しかし、彼は前回、私に指一本触れずに帰した。
気まぐれだろうか。
それとも、新しい手口の勧誘か。
「こんにちは、かすみさん。また会えて嬉しいです」
彼が手を挙げる。
私は小さく頭を下げる。
「……こんにちは」
警戒心を解いてはいけない。
これはビジネスだ。
彼がただの物好きな客であるにせよ、私の目的は時間を切り売りして対価を得ることだけだ。
連れて行かれたのは、またしても洗練されたカフェだった。
ショーケースの中のケーキが宝石のように輝いている。
席に着き、飲み物を注文する。
会話の糸口を探ろうとしていた私より先に、彼が口を開いた。
話題は、思いがけない方向へ転がっていった。
「実は最近、昔のアニメを見返してて。玉金って知ってます?」
「え……あ、はい。名前くらいは」
「あれ、すごく好きで。特にこのエピソードが……」
彼は少年のように目を輝かせて語り始めた。
金玉だの、前立腺ブレーキだの、男子高校生の妄想のような下ネタと、人情話が入り混じる独特の世界観。
それを、こんなお洒落な空間で、真面目な顔をして熱弁する彼がおかしくて、私はつい吹き出してしまった。
「ふっ……」
「あ、ごめんなさい。つい熱くなっちゃって」
「いえ……面白いですね、それ」
私も学生時代、友人の部屋で夜通し漫画を読んだり、ゲームをしたりしていた。
何の責任もなく、ただ笑い合っていた日々。
彼の話を聞いていると、自分が風俗嬢でもパパ活女子でもなく、ただの女子大生に戻ったような錯覚に陥る。
言葉が自然に出る。
相槌が弾む。
楽しい。
その感情が、錆びついた心の隙間から湧き出してくることに、私は驚きを隠せなかった。
数時間は瞬く間に過ぎ去った。
窓の外が茜色に染まり始めている。
伝票を手に取り、彼はスマートに会計を済ませた。
五千円弱。
ただお茶をして、馬鹿話をしただけの対価としては、あまりに高額だ。
店の外に出ると、夕方の風が少し肌寒い。
私は背筋を伸ばす。
ここからが本番だ。
前回の約束通り、今日は「お茶とホテル」のセットだ。
楽しい時間は終わり。
ここからは、私が商品として機能する時間だ。
私は覚悟を決めて、彼の横顔を見上げる。
彼もまた、少し緊張した面持ちで私を見た。
「えっと……これからは……その、ラブホですね?」
彼の口から出る「ラブホ」という単語は、どこか借り物のように響く。
私は深く頷く。
「はい……お願いします」
心臓が冷たく収縮する。
また、あの無機質な部屋で、天井を見つめながら行為が終わるのを待つ時間が始まる。
彼は視線を泳がせ、頬を少し赤らめた。
そして、信じがたい言葉を口にした。
「その……僕、あまり行かないから、どこがいいとか分からなくて。お店、案内してもらえます?」
私は瞬きを一つし、首をわずかに傾ける。
彼の視線は真っ直ぐで、そこには羞恥や照れが混じっている。
私は口元を引き結び、バッグの持ち手を握り直す。
はい?
疑問符が脳内を埋め尽くす。
パパ活をしていて、ホテルに行かない男も珍しいが、行きつけのホテルを知らない男など聞いたことがない。
しかも、それを買う側の女に尋ねるなんて。
彼は本当に、何もしらない子供なのだろうか。
それとも、これも高度なプレイの一環なのか。
呆気にとられている私を置いて、彼は困ったように笑っている。
「……わかりました。こっちです」
私は溜息を飲み込み、歩き出す。
皮肉なものだ。
私はこの街の地理には詳しくないが、身体を売るための場所だけは熟知している。




