第6話 ドレスにアームカバー
髪を巻き、化粧をする。
コルセットを締め、パニエを履き、ドレスを纏う。
サロンに顔を出すことにした。
定期的に社交の場へ姿を見せなければ、父の評判にも関わる。
それが貴族社会のたしなみだった。
……元婚約者もいる集まり。
秘密裏の交際だったから、私たちのことを知る者はいない。
けれど、気が重いことに変わりはない。
婚約破棄以来、ずっと病を理由に欠席を続けてきた。
だからこそ、日焼けしたなどと思われるわけにはいかない。
思ったより腕が焼けていて、私は肘まで隠れる手袋を選んだ。
さらにバードケージベールも下ろす。
視界は少し鬱陶しいけれど、
顔を見られるよりは、ましだった。
日焼けも。
悲しい顔も。
サロンの扉が開く。
華やかな談笑の中、すぐにその姿は目に入った。
元婚約者。
……そして、その隣。
伯爵令嬢。
新しい恋人だった。
隠す気もない距離感。
普通なら婚姻が定まるまでは慎むものを。
――ああ。
他の誰かに奪われないよう、周囲にも示しているのね。
子爵家の令息にとって、伯爵令嬢に見初められるなど夢のような話。
家のためにも、必死になるのでしょう。
胸の奥が、すうっと冷えていく。
惨めだと思った。
彼も。
そして、そんな彼を見てしまう自分も。
帰りたい。
今すぐ立ち去りたい。
……でも、帰って。
私はどこへ向かうのだろう。
どうしたって、惨めなままだもの……。
そう思った瞬間、
コルセットがいっそう強く胸を締めつけた気がした。
ドレスも。
手袋も。
まるで今の私そのものみたいに、窮屈だった。
ふと、苦しさに耐えかねて手を見る。
……あら?
じっと手袋を見つめる。
こんなに、ぴったりだったかしら。
指先から肘まで、妙にきつい。
ミチミチとしている。
太ったわけではない。
むしろ失恋してから、ウエストは少し細くなったくらいだ。
では、なぜ。
…………。
あ。
ああ!!
私、毎日トマト畑を耕していたわ!
土を掘り、腐葉土を混ぜ、鶏糞を運び、支柱を立て。
脇芽を摘み、水をやり。
……筋肉がついていたのね?
思わず、ぽかんとする。
そして脳裏に浮かぶ。
ジョアンナの母がくれた、花柄のアームカバー。
ふわふわして、風通しがよくて、
手袋よりずっと動きやすかった。
……あれ、気づいたら好きになっていたわ。
トマト畑を思い出す。
ついでに少し忘れかけていたゴーヤ畑も。
テントウムシ。
憎らしいアブラムシ。
できれば思い出したくないミミズ。
土の匂い。
陽射し。
葉の青臭さ。
それらを思い浮かべているうちに、
胸の中の冷たさが、少しずつなくなっていく。
もう一度、元婚約者を見る。
伯爵令嬢の隣で愛想よく微笑む姿。
……そう。
お互い、小さな子爵家の人間だもの。
実家のために、より良い縁を選ぶことだってあるでしょう。
それでいい。
その不誠実な滑稽さを、少し見せてくれてありがとう。
どうぞ、そのまま伯爵令嬢のご機嫌でも取っていれば良いわ。
ふいに、彼がただの人に見えた。
かつて人生を共にしようとした相手が、
急に特別ではなくなる。
そんなことって、あるのね。
結局お互い様なのかもしれない。
……帰りましょう。
私には、トマトが待っている。
さようなら、ただの人。
私は主催者の前で、完璧な体調不良を装った。
そして心に決める。
帰ったら、手袋はやめよう。
アームカバーに替えて。
脇芽を摘みに行こう。




