狐と鼠の陣取り合戦 2
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非番にもかかわらず、朝の六時からマンションの前に張り付いていた紬は、やっと喬を捕まえることができてご満悦だった。以前はこの男にしてやられたが、これでおあいこである。廊下に幾重もの呪術の罠を仕掛け、粘って待った甲斐があったというものだ。
「……それで? 僕をいったいどこに連れて行こうっての?」
紬が運転席に乗り込むと、あらかじめ助手席に押し込んでおいた喬が、ため息交じりに声をかけてきた。
「ハッ! そりゃ、てめーの性根を叩き直してくれるスパルタ道場だよー!」
そう紬の代わりに答えたのは、宙に浮かぶ黒い猫又である。
「こら。でたらめ言わないの」
紬は千綾の頭を小突いてたしなめてから、タブレット端末を起動し、喬にも見えるように画面を傾けた。
「今から向かうのは、こちらの依頼に書かれている『大豊神社』という現場です。ここから東に車で十分ほど行ったところですが、ご存じですか?」
「ああ。大豊神社ね……。哲学の道沿いにある山麓の神社だろ?」
喬は面倒くさそうに画面を一瞥して答えた。ちなみに、哲学の道というのは、琵琶湖疏水沿いの風光明媚な小道のことで、かつて有名な哲学者の西田幾多郎らが散策していたことがその名の由来だそうだ。また、哲学の道は桜や紅葉の名所としても知られており、付近には寺社仏閣も点在しているため、京都では定番の観光地の一つとなっている。
「あそこはこの時期、人が多いから行きたくないんだよなあ……」
喬はため息をついて座席にもたれかかった。が、紬は容赦なくエンジンをかける。
「人が集まっているからこそ、妖怪がトラブルを起こしていたらまずいんじゃないですか。早くシートベルトを締めてください。出発しますよ」
「こっちの都合なんか気にしちゃいねえな、あんたは」
「はーい。では、大豊神社へ直行しまーす」
喬の小言を華麗にスルーして、紬は景気よくアクセルを踏んだ。
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二人は目的地近くで下車し、そこからは徒歩で大豊神社へ向かった。
哲学の道は若葉のみずみずしい緑に覆われていて、桜が散った後でも絵画のような風情を醸し出している。
「――それにしても、外国人観光客が多いですねー」
しぶしぶ足を運ぶ喬を千綾と一緒に急かしながら、紬は周囲を見回して言った。
「あー。おそらく桜の時期に合わせて来日した人達だろうな……。ソメイヨシノの見頃なんて一週間ちょっとしかないのに、よくそれに賭けて旅程を組んで来るもんだと思うよ」
喬は琵琶湖疏水に架けられた短い橋の上で、観光客が構える自撮り棒をよけながら面倒くさそうに答えた。橋の向こうには大豊神社に続く石畳の道が伸びており、二人は哲学の道を外れてそちらに足を向ける。
「わあ、すごい……!」
参道を進んでいくと、紬を出迎えてくれたのは、境内に咲き誇る満開の椿だった。山の緑を背景に花々が彩りを添え、趣のある鳥居と相まって、華やかさと静謐さが同居する空間を作り出している。
「私、この神社に来るのははじめてですけど、こんなに素敵なところだったんですね!」
紬は興奮して喬を振り返った。
「ああ。ここは確か椿が有名な神社だったはずだよ」
と、喬はどうでもよさそうに頷く。紬はいてもたってもいられなくなってスマホを取り出し、しきりにパシャパシャとカメラのシャッターを切った。
「……なあ、あんた。すっかり観光客気分みたいだけど、ここには依頼の解決に来たんじゃなかったのか?」
喬は冷ややかな視線を向けてくるが、そんなの構いやしない。だって今日はもともと非番だったんだし、少しくらい楽しんだって罰は当たらないだろう。
「まあ、いいじゃないですか! とりあえず、まずは現場視察を兼ねて境内をぐるっと回ってみましょう!」
紬は喬の背中を押して意気揚々と言った。
境内の奥に進むと、そこにはいくつかの社殿が並んで立っていた。
「わあ、見てください! このお社、狛犬の代わりに狛鼠がいますよ! かわいい!」
そう言いながら紬がスマホのカメラを向けたのは、一番右の「大国社」の両脇に安置されている一対の鼠の石像である。右の鼠は巻物を、左の鼠は大きな玉を抱えたポーズだ。鼠たちの頭の上や足元には椿の花が飾られていて、なんとも愛くるしい。
「ああ……。大国さんのお使い鼠だね」
喬はあくび交じりに答えた。なんという薄い反応。もう見飽きているから退屈だと言わんばかりである。とすると、やはり、この人が定期的に市内の見回りをしているという話は本当なのだろうか? そんなことを考えながら、紬は左隣の社へ歩を進めた。
「で、こっちは『稲荷社』だから狛狐なんですね」
パシャリ――と、紬は再び狐の石像を撮影して言う。稲荷狐自体は定番の神使だが、ここでは他の神使と同居しているのが面白い。紬は楽しくなってきて、軽やかな足取りでさらにその隣へ移動した。
「そして、このお社が本殿ですね。ここにいるのは狛……蛇!? 蛇は珍しいですね!」
「漢字では『狛巳』って表記するらしいぞ。ここに書いてある」
「あっ。本当だ」
喬が指さす看板を見て、紬は「へえー」と感嘆しながら白黒の蛇の像を眺めた。喬はそのまま指先を左に回し、けだるげに続ける。
「ちなみに、あっちの『日吉社』には狛猿が、『愛宕社』には狛鳶がいるよ」
「わあ、すごい! 鼠に狐に蛇に猿に鳶……ですか! 色んな種類の神使がいて賑やかな神社ですね!」
紬は目を輝かせる。一方の喬は呆れたようにため息をついた。
「賑やかなだけならいいんだけどさ……。こういう動物を神使として祀っているところには、野良の動物妖怪も便乗して集まる傾向がある。ここでも、それが原因でトラブルが起こっているんじゃないのか?」
「あっ。そうでした!」
紬は依頼のことを思い出してポンと手を叩く。
喬の指摘は見事に的中していた。依頼の内容は、まさしく、「狐と鼠の妖怪が境内で縄張り争いを繰り返しているので、どうにかしてください」というものだったからだ。




