鴨川デルタの戦い 1
「ダメです! やっぱり京都本部のみなさんとは連絡がつきません!」
狸谷山不動院の階段の途中で、紬はスマホを耳から離し、隣の喬を振り返って言った。
「そうか……。となると、他の陰陽師たちも、僕らと同じように嘘の依頼で呼び出されて足止めを食らっている可能性が高いな。状況はかなりまずいぞ」
喬はいつになく厳しい表情を浮かべている。次の瞬間、紬に向かって鋭い声を上げたのは、宙に浮かぶ黒い猫又だった。
「紬っ! 右の茂みから一体来るぞ!」
「ありがとっ!」
千綾の合図に合わせて狸の置物の式神を浄化しながら、紬は歩調を落とさずにひたすら階段を下る。さすがに敵の式神の数は減ってきているようで、行きよりも奇襲の頻度が低くなっているのがせめてもの救いだった。
(早く! 早く……!)
木々の梢に切り取られた空からはすでに夕陽が差し込んでいる。紬の焦りは今や最高潮に達し、それが彼女の集中力を極限まで高めていた。
一行は式神を蹴散らしながら進み、やがて参道の入り口に到着すると、置物の群れの中に邪気が残っていないことを確認し、急いで車に乗り込む。
「とりあえずここから離れるとして、どこに向かう気だ?」
喬は助手席のドアを閉めるなり尋ねてきた。紬はシートベルトを締めながら早口で答える。
「まずは岡崎神社に向かおうと思います! 岡丸が捨道に連れ去られる現場を妖兎たちが目撃しているはずですから、何か手がかりが得られるかもしれません!」
「なるほど。名案だ!」
「では発進します!」
紬は乱暴にハンドルを切り、車の向きを変えると、夕闇が迫る山道を抜け、最短経路で岡崎へと向かった。
***
岡崎神社に二人が駆け込むと、落ち着きなく跳ね回る妖兎たちが彼女らを迎えた。
「怖い! 怖い!」
「大変! 大変!」
「どうしよ! どうしよ!」
妖兎たちはオロオロしながら口々に叫んでいる。普段であれば、妖兎がこんなに騒ぐことはない。ここで何かがあったのは火を見るよりも明らかであった。
紬はちょうど足元を走り抜けていこうとした妖兎の一匹を呼び止めて尋ねる。
「ちょっと待って! 君、岡丸が――ここに棲んでた妖狐がどうなったか知らない!?」
すると、妖兎は束の間足を止め、
「捕まった! 変な人に!」
とだけ答えて走り去ってしまった。紬は唇を噛む。
「やはり、岡丸が捨道にさらわれたのは確実なようですね……」
「そうだな。妖兎の動揺っぷりを見ると、かなり手荒な真似をしたのかもしれない……。だが、どうする? こいつらから、これ以上の情報は聞き出せそうにないぞ?」
喬の質問に紬は頭を抱えた。確かに今の妖兎たちは、冷静に話ができるような状態ではない。しかし、だからといって、ここの他に岡丸の行方のヒントを得られそうな場所は思いつかなかった。
(どうしよう……。九尾になった岡丸が暴れ出してからじゃ手遅れなのに……!)
紬は途方に暮れて腕時計を確認する。――すでに時刻は午後五時を回っていた。捨道は九尾が完成したら、すぐにでも行動を起こすだろう。こんなところで地道に聞き込みをしている余裕はあるのだろうか?
そんな迷いが彼女の胸中に芽生えたその時――。
「あらっ! 賀茂さんと狐坂さん! やっぱりここにいたのね!」
鳥居の方からこちらに駆けてくる人影を見て、紬は目を見張った。
「莵道さん!? どうしてここに!?」
息を切らして近づいてきた兎番に紬は声をかける。莵道はしばし呼吸を整えてから、手にしたスマホの画面を紬と喬に見せて言った。
「さっきね、狸塚さんから目付け役みんなに連絡が来たのよ。なんでも、岡丸ちゃんが悪いやつに捕まったそうじゃない。しかも、賀茂さんはすぐに駆けつけられそうにない緊急事態だとか! それを聞いた私は居ても立っても居られなくなっちゃってね。急遽、グループ通話を繋いで情報をリアルタイムで共有しながら、目付け役総出で岡丸ちゃんの行方を捜すことにしたのよ」
「えっ!? 目付け役総出で!?」
紬は驚きの声を上げる。――そうか! 狸塚さんは狸谷山不動院で私たちの会話を聞いていたから、事情を察して他の目付け役に救援を要請してくれていたのだろう。「岡丸」や「九尾」というキーワードさえ伝われば、莵道さんは状況を把握することができたに違いない。




