43話 春風
若草が伸び伸びと生え、木々に新芽が芽吹く。陽の光は柔らかいが、未だ肌寒さを感じる中、石畳の上を歩く若者達が弾んだ声を響かせていた。
冬の長い休みを終えた王立学園は、再び学び舎として機能し、エミールとルイの二人もその中にいる。
が、春も始まって間もないというのに、彼らにとって一つ困ったことが突然降って湧いた。
公爵令嬢セリア、彼女から私的な茶会に招かれてしまったのだ。曰く、王太子シャルルとルイを交流させたいのだという。
王太子と同席などエミールからすればとんでもない話だが、そもそもシャルルとルイは異母兄弟である。疎遠だった彼らの関係が、良好とまでは行かずとも悪くないものになれば、ルイの王宮や世間での立場が改善する余地は十分にあるのではないか。
そんな手紙を介したセリアの言い分に、エミールは反論らしい反論も出来ず、ルイも首を横に振り辛かった。それ故に、二人は春の陽気の下でセリアの開いた茶会に呼ばれるがまま参加する他なかった。
会場は学園の中庭ではなく校舎の一角に設けられた大部屋。本来は応接間として学外からの客人に応対するための部屋だが、生徒でも学園へ申請して許諾を得られさえすれば自由に使える。このため普段は上流階級の生徒が開く茶会などの「交流会場」として利用されていた。
両開きの扉を開けば、教室の物より上等であろう机や椅子が並び、どれも最新の流行であるクッションの付いた幅広の肘掛け椅子や、金細工で飾られた机ばかりで、素人でも王族の使用に耐えると分かる。
壁も真っ白な漆喰と金箔を貼った木製彫刻が組み合わさった格調高い物であり、宮殿に迷い込んでしまったような錯覚すら覚えた。
あまりの高級感溢れる空間を前に、場違いに過ぎると気後れしたエミールだったが、ルイは元宮殿住まいということもあってか何でもないように足を踏み入れる。それを見てエミールも気持ちを立て直し、続く形で入室した。
既に一つの卓上には茶器や茶菓子等の用意が成され、主催も席に着いていた。その着席している、金の長髪を黒いリボンで纏めた女子と亜麻髪の美男子のもとへ歩み寄り、エミールとルイは恭しく一礼した。
「お待たせして申し訳ありません。王太子殿下並びにセリア様よりのお招き、恐悦至極に存じます」
これに王太子ことシャルルが小さく首を振る。
「殿下はやめてくれないかい。今は一学生だ」
「かしこまりました、ブロンシュ伯閣下」
エミールは若干の嫌味を込めてそう言った。
ブロンシュ伯とはシャルルの持つ名誉爵位である。王族や大貴族は、当主の子息子女が無位では格好が付かないとして、実態のない爵位を授けることがしばしばあった。
領内の一部の名を冠するものの、名目上のものでしかなく、爵位保持者が実際にその地を統治しているわけではない。が、それでも後ろ盾が王や大貴族自身ということもあって、本物の爵位と同様の格を帯びる。
ブロンシュ伯爵位も、王領の一地方ブロンシュを名目上は統治していることにされている名誉爵位であり、代々リュクス王国王太子に授けられるものだった。エミールの前世における英国王室の“ウェールズ大公”に近いと言える。
王太子という肩書きを外したとて、名目上であっても爵位を保有する人間であり、どう言い繕うと王族と自分達では明らかに身分が違う。
結局のところ「学生として同じ立場」などというものは、この国が専制君主制及び貴族制度を維持する以上、虚しい建前に過ぎず、身分を気にするなと言われても下々(しもじも)からすれば土台無理な話である。
己の立場を、現実を自覚しろ。そう言外にエミールはシャルルへ叩き付けてやったのだ。
それに軍事演習の廃止を提案したのはセリアだが、それを実行するばかりか、以前から軍人を冷遇してきたのは王家とその政府である。
故に王族への尊崇などとっくに擦り切れ、今やエミールの持つ王家への心象は、敬意より腹立たしさが先行していた。そのため、ついシャルルにも当たりが強くなってしまう。
エミールの慇懃無礼とも取れかねない物言いに、シャルルが苦笑を返し、セリアは不愉快そうに眉をひそめる。
「ははは……手厳しいね。伯爵閣下と呼ばれるよりは殿下の方がいいかな」
「はっ」
シャルルの言葉にエミールは再び一礼した。面を上げるとセリアと視線がぶつかる。一瞬鋭く睨み合うが、すぐに社交の仮面を被ってシャルルへと視線を逸らした。
セリアに対しては軍事演習の件で思うところはあれど、ゲームストーリーにおけるバッドエンドを回避するという目的は一致している。それに王太子の前でこれ以上あからさまな態度なぞ取れるわけもなく、ここは当たり障りなく振る舞うしかなかった。
セリアに促されてエミールとルイはそれぞれ席に着く。
高級感溢れるクッションが尻を受け止め、その柔らかさに背筋が伸びた。固くない座り心地など今生で初めてである。前門の王太子と超高級品の椅子に挟まれては、背もたれに身を預ける気には全くなれない。
一方のシャルルは、エミールから目を移し自身の異母兄弟へ顔を向けている。しかし、彼もルイもどこかぎこちない表情で、ルイに至ってはまともに目を合わせることもできていない。
──無理もないよなぁ。母親が違うってだけでも複雑なのに、加えて片や父親に認められた王太子、片や両親にも世間にも疎まれ天涯孤独という天地の差。お互い相手が自分をどう思ってるのかを想像しちまって、どんなふうに接するべきか迷うわな。
双方共に距離を測りかねている彼らの心情を推察し、エミールは口を開いた。
「改めて私共をお招き頂いたことに感謝申し上げます。また、殿下並びにセリア様のご高配を賜り、大変恐縮ながらも、有り難く存じます」
ややわざとらしく言うと、セリアが笑みを貼り付けて応じた。
「いえ、ただシャルル様とルイ様の仲を取り持つため。過去に何があろうと、お二人はご兄弟なのですから、親交を深めない理由はありません」
「そういうわけだ。私自身、ルイに思うところは無いし、人となりを知りもせず疎遠となるのは望んでいない」
エミールと彼女の言葉が気まずい空気を誤魔化したからか、シャルルが常の様子で会話に入った。単にルイから都合よく視線を外せたからかもしれないが。
しかし今度はエミールが平静を奪われる番となった。
「それにセリアが言うには、エミール君も中々の人物だそうじゃないか。郊外に兵舎を整備し、兵と民を分離させることを考えたのは君なのだろう?」
──全部言ってんのかよ!
思わずセリアへ視線を飛ばす。彼女は「何か問題が?」と言わんばかりに片眉を小さく上げた。
たかだか中流層同然の軍人家の人間が、王太子に関心を持たれるなど、良い予感はしない。こちらとしてはルイのおまけ程度の扱いだろうと思っていたし、変にシャルルと距離が近くなっては困るので、それで構わなかったのだ。
だというのに、余計なことを!
そう憤る心を胸の中に隠し、エミールはひくつきそうになる目尻や口端を抑え、表情を取り繕った。
「はっ、元はルイの疑問がきっかけでございまして、兵舎整備は彼の言葉によるものであり、私はそれを父に言上したまででして」
己に関心を持たれ過ぎては困ると、都合良くルイに手柄を押し付ける。実際、夏期休暇における彼の、軍の部隊は騎士団のような宿舎を持っていないのかという疑問が無ければ、思いつくことは無かったであろうから、嘘は言っていない。
当の本人はぽかんとこちらを見つめた後、シャルルとエミールへ視線を行ったり来たりさせながら「え?」と繰り返していたが。
ルイには少々申し訳ないものの、元々先方の関心や用向きは彼一人。自分はただの付き添いに過ぎない。
エミールとしては、シャルルに顔を覚えられてしまうのは仕方ないにしても、あくまでルイのおまけ程度の立ち位置で、シャルルら上流も上流たる者達からは距離を保って置きたかった。
君子危うきに近寄らず、触らぬ神に祟りなし、である。王太子との繋がりなど真っ平御免だった。
そんな思いが天に届いたのか否か、シャルルはこちらの言葉に一つ頷いただけで、それ以上の追求も関心も見せず、ルイへ意識を向ける。
「魔術に優れるだけでなく、柔軟な発想が出来る聡明さを持つとは、将来を思えば頼もしい」
「勿体なきお言葉」
「そう畏まらないでほしい。確かにエミール君は立場上難しいのは事実だが、ルイ君は私の異母兄弟だ。少し砕けた物言いの方がお互い楽だし兄弟なら自然なことだろう?」
そうシャルルは和やかに言う。
先の“将来”という言葉を含めれば、既に彼はルイをこの国に役立つ人材であり、信の置ける人間と見つつあるようだった。セリアの勧めもあったとはいえ、彼自身もルイを粗略にせず臣下の一人として囲い込みたいと考えているらしい。
エミールはそんな自分の推測に、図らずも笑みが溢れそうになる。宮廷にも世間にも爪弾きにされているルイが、王太子に認められ近しい関係でいたいと思われつつある──それが嬉しいと。
「分かりました。そうします」
シャルルの言葉に、ルイは敬語で答えた。
なお、異母兄弟である彼とルイは、同い年ながらも彼の方が早くに産まれたため、彼が兄でルイは弟となる。
故に敬語は、嫡子と庶子、兄と弟といった関係の中でも畏まり過ぎず、それでいて気安過ぎもしない、無難で妥当な選択と言えた。
ルイの了承にシャルルが微笑を浮かべる。
「それと殿下ではなく、遠慮なく兄と呼んでもらって構わない。君が私の弟である事実は揺らぐことはないからね」
「え、えっと……はい、兄上」
王太子の提案に若干戸惑いつつも、ルイはそう兄へ応える。同時に家族の一員を指す響きを口にしたことを喜ぶように、彼の頬が緩んだ。
始めの一部を除いて終始穏やかなまま時間が過ぎ、シャルルとルイの交流という目的を達して茶会は無事終わった。また後日の再会を約束し、エミールとルイは会場となった応接間を後にする。
茶会を終えて教室に戻る道すがら、ルイがそういえばという様子でエミールに問い掛けた。
「ねえ、殿下がセリア様から兵舎を整備するエミールの案のことを聞いたって言ってたけれど、何で、セリア様がそれを知ってたのかな」
──あっ、やっべ。
エミールの首筋を冷たいものが伝う。自然と隣を歩くルイとは反対の方向へ目が向いた。なおもルイの淡々とした感情の無い声が続く。
「おかしいよね? あれは僕とエミールとエドモンさんしか事情を知らない筈なのに……いくら父親とはいえ、学生の意見だと軽んじられる可能性がある以上、エドモンさんがエミールの案だと軍部に明かすとは思えない。なら──」
彼の顔を見れない。それでも隣に冷気が漂っているのが嫌でも感じ取れた。
「エミールがセリア様に言ったとしか考えられない。何でセリア様に伝えたの? 何でセリア様とそういう連絡が取れるの? 答えてよ」
凍える響きにエミールの体中から、どっと汗が噴き出した。




