42話 野獣
白亜の城に雪が被さり、全てを白くさせている。リュクス王国の首都、そのまた中枢たる王城へ天から振り掛けられた白粉は、白壁と対を成してコントラストを描いていた筈の青緑の屋根を覆い隠してしまい、城そのものが雪で出来ているかのような見た目に変えていた。
そんな王城の回廊をのっしのっしと進む大柄な男がいた。彼に気付いた者は驚きや嫌悪を面に出して道を譲る。誰もが好感を持とうとしない男の顔は、異様だった。
青白い肌、できものにも覆われた鼻や頬、顎は曲がっているため唇も常に歪んだ形という、ヒキガエルさえ眉をひそめるような容姿である。全くもって悪役にぴったりな風情だ。
そんな男が通り過ぎると、人々が声を落として囁き合う。
「アレが“野獣”か」
「噂通りの醜い顔だ」
「あんなのが騎士団を率いる者の一人とはな」
男はムルボー伯爵という貴族だった。人呼んで“野獣”のムルボー。東方騎士団総長でもある。
我が物顔で突き進むムルボーだったが、前方にちょっとした騒ぎを見つける。近付くに連れて数人の男達が言い争いをしていることが分かってきた。口論の内容からどうやら双方はそれぞれ騎士と軍人らしい。
「“騎士落ち”如きが何を言うか!」
「事実を述べたまでだっ」
「そうだ!」
「ふん、負け犬の遠吠えにしか聞こえんな。王立学園の武術大会でも、お前らの後輩は全敗だったそうじゃないか」
「所詮、軍人なんぞ机に齧り付くしか能がないひ弱な者共。そんな連中に戦いの何が分かるというのだ」
二人の軍人を四人の騎士が寄って集って追い詰める様子に、ムルボーは眉一つ動かさず進み続けた。そして両者の間に平然と割り込む。騎士達を腕で押し除けながら。
「どけ、邪魔だ」
底冷えする重い響きと羽虫を見るような冷めた目に、騎士らがぎょっとした表情で後退る。それを見てムルボーは小さく鼻を鳴らし、騎士達をじろりと見下ろした。
「王国騎士はいつから『強きを驕り、弱きをくじく』をモットーにした。うん?」
決して大きいわけではないというのに、威圧感たっぷりの声色を前にして、男達は何も言えない。
「こんなところで油を売っている暇があるなら、一匹でも多く魔物を駆逐しろ。最近魔物の活動が低調化したとはいえ、外敵の影がある以上油断出来んことも理解しとらんのか。ええ?」
野獣の気迫に何ら言い返せぬまま、そそくさと立ち去っていく四人の騎士に、ムルボーはまた鼻を鳴らすと興味を失ったように再び歩き出す。
王侯貴族からは蛇蝎の如く嫌われる一方、軍人や平民から篤く慕われる“リュクスの虎”は、軍人二人の黙礼を背中へ受けながらその場を去った。
王城を出て城下町に入ると、ムルボーはある下町の酒場へ向かう。身を寄せ合うように連なる三階建ての店舗兼住居群の中から、目当ての酒場を見分けて入店。巨体と相貌に、彼を視界に捉えた客は誰もが目を見張った。
ムルボーの顔を見るなりすっ飛んで来て応対する主人に、彼はいきなり銀貨を握らせる。酒場の主人は無言で二階へと案内し最奥の個室へ通した。
中には既に先客がいたが、扉が開かれると同時に椅子から立ち上がり、入室するムルボーへ両足を揃えて頭を下げる。
「楽にしろ。で、状況はどうだ」
後手に扉を閉めてそう問う彼に、頭を上げた先客──壮年の軍人が直立したまま答えた。
「今のところ、周辺国に特段変化は見られません。兵や物資が大きく動いている様子は無く、演習の規模も通常通りです。現状において侵攻の可能性は低いかと」
「ふむ、工作員の活動も確認出来ておらんし、動きが無さ過ぎるな。余程、学生相手に捕虜と魔道具を取られたことを重く見て慎重になっているのか、それとも嵐の前の静けさか」
「一旦引き下がって仕切り直したとも考えられますが」
軍人の楽観的な推測にムルボーは首を振る。
「あの程度の損害で退くなら、始めから事を起こそうとはせんよ。魔物を操る魔道具まで持ち出して我が国に混乱を齎そうとしたのだ、奴等はいずれ必ず軍を差し向けてくるぞ」
ムルボーの目付きが鋭さを増した。
「尉官程度までなら、直視したくない現実から一時的に目を逸らすのはまだ許容出来るが、佐官それも大佐ともなれば許されんぞ」
そう咎められ、大佐の階級を持つ男は目を伏せて謝罪を口にする。
「申し訳ありません……私を含め、軍部は演習の廃止やそれに伴う予算削減を受けて以降、皆悲観的になっておりまして」
「であろうな。演習の廃止は軍の練度を著しく下げる。部隊間の連携や動員訓練の機会を失うだけでなく、軍人家の最低限の意欲すら失ないかねん」
「ええ、残念ながら我々軍人も一枚岩ではありません。国境から離れた地域の軍人家は、多額の費用を要する部隊の維持を重荷と捉える者も少なくない。他国と接する北部の国防意識は高いですが、それも濃淡は様々で、演習廃止を機に部隊の維持費を削った家は一つや二つではないと聞いております」
軍部とムルボーを繋ぐ連絡役を担ってきた大佐が、憂慮たっぷりに吐き出す。ムルボーも大きく頷いた。
「演習は各部隊の日頃の訓練振りを披露する場ともなっておったからな。行進すらまともに出来なければ公の場で恥をかくという圧力が、良い意味で緊張感を生んでいた。だが他人の目が全く無くなってしまえば、意欲の無い者から金の掛かる重荷など早々に放棄するのも当然だ」
「ええ……このままでは王国軍は弱体化する一方です。ただでさえ新型魔道具を揃えた他国に比べ、装備や戦術が旧態依然なままだというのに、それさえ練度不足で機能しなくなってしまう。最早軍隊ではなく、ただの案山子です」
この弱音にはムルボーも黙り込む。
進歩著しい魔道具を導入する軍制改革については、軍部のみならず、ムルボーを始め軍に理解を示す一部貴族達も度々王宮へ提言していた。が、全て梨の礫といった具合で、全く前進する気配がなかった。
誰でも一定の魔力さえあれば、魔術と同等の効果を得られる魔道具の導入への反発には、魔力量を背景とする貴族や騎士の立場が揺らぎかねないという意識があるのだろう。
だが、ムルボーに言わせれば「実力主義を謳いながら、魔力からなる身分と特権にしがみ付き、既得権益を崩しかねない新たな技術を拒絶する」という二重基準でしかない。
「せめて軍用魔道具の実験、研究の権限と予算さえあれば、他国から輸入し運用出来るのですが……それに少数でも実物があれば模倣製造で国産化への道が開けます」
「魔術師共が魔道具関連の権限を独占しておるからな。そも連中が民生品のみに拘っている──いや違うな、己の領分を侵してくる技術を拒んでいるのが問題なのだ。猪騎士共と同じだ」
そこまで言ってからムルボーは肩をすくめて首を振る。己に呆れたかのように。
「愚痴を連ねても始まらんな。本題に戻そう。例の学生達が捕らえた工作員だが、未だ情報を吐かんらしい。周辺国にも変化が無い以上、どこの手の者かはまだ掴めそうにないわけだが」
「しかし……十中八九、西のガルシア王国では? 奴らは国境の山脈や森林内より発見された魔石鉱脈の領有や権益を主張しております。それに三年前まで、魔石を巡って西方で戦をしていたではありませんか」
リュクス王国の周辺国は、魔石という魔力が込められる特殊な鉱石を利用した魔道具の技術に優れている。
これはリュクス王国に比べ、個々人の魔力量が多くないがためにそれを補おうとした結果だが、一方で魔石を巡って争いになることも多い。
王国の西隣に位置するガルシア王国もその例に漏れず、西方で魔石鉱山を狙っての侵略戦争を過去に行っていた。
「確かに先の工作員は彼の国の手先と見るのが一番自然ではあるが、状況証拠だけでは断定出来んというのが王宮の判断だ」
「理屈は分かりますが……」
大佐の納得がいかないという声色に、ムルボーは同調と否定を織り交ぜて返す。
「悠長に過ぎるとは俺も思うがな、確証が無い以上は致し方なかろう。そも今、外交上の火種を生んで一番困るのは貴様ら軍部であろうが」
「それは……仰る通りで。軍の引き締めや大規模演習の代替案など弱体化を防ぐ手立てが進む前に、ガルシアと対峙するのは避けたいのが上の総意でしょう」
苦虫を噛んだ大佐だったが、追い打ちを掛けるような物言いが重ねられた。
「だが、向こうはそれを待ってくれんだろうな。春になれば、工作員も魔道具に操られた魔物共も再び動き出すに違いない」
厳つい顔を更に険しくさせたムルボーは、最後にこう付け加える。
「来年は騒がしくなるぞ」




