39話 冬の泥道
寮の窓に凍てついた空気が吹き付けられる。時折、白い粒がちらちら舞っていた。それらは寒々しい土や石畳を更に冷やしこそすれ、重なり積もることはない。
リュクス王国は降雪の地域差が大きく、王都を中心に平野部は大して雪が降らないため、人々の生活に然程支障はなかった。無論、各自の帰省にも。
王立学園は一年の締めくくり、冬期休暇へ入る。
今年の学業を終えて、続々と馬車や馬、あるいは徒歩で学園を去っていく生徒達の中に、エミールとルイはいた。
夏期休暇と同じく、二人はエミールの実家で冬を越す。既に夏期休暇での滞在中に両親の方からルイを誘っており、事前に一家承知の上での休暇となる。
「フィーユ嬢には少し悪いことしちまったかなぁ」
荷物の詰まった鞄を手に、エミールの口からそんな言葉が漏れる。
以前起きた、フィーユと茶を喫していた際の騒動。実はその後日談として、フィーユから冬期休暇を共に過ごさないかという誘いがあった。
やはりというべきか、彼女からすればあのような形で交流が絶たれるのは容認できなかったらしい。自身の実家がある王都で一緒に冬休みを、とのことだった。
しかし、エミールは先の反セリア派が突っかかってきた一件を持ち出して、これを断る。セリアへの対抗馬として今代の聖女と担ぎ上げようとする者達、それも大小の貴族家子女に目を付けられるのは御免だと。そうはっきり伝えた。そしてこうも告げた。
「貴女を嫌っているわけでも疎んでいるわけでもありません。ただ、やはりお互いこれ以上関わり合うべきではないかと。今代の聖女という貴女の立場だけでなく……ルイの出自、そして軍人一族である私も、事態をややこしくする可能性が高い」
困惑した様子で首を捻るフィーユへ、エミールは更に続けた。
「茶会での一件では我々が疎まれていましたが、ルイも私も、場合によっては反セリア派と一括りにされるやもしれないのです。彼の出生については……覚えていますね?」
フィーユの首が縦に振られた。以前の食後の茶事にてルイとの談笑中、彼の生い立ちに触れる機会があり、貴族社会において公然の秘密となっている事実──国王の認知されぬ庶子であることは彼自ら話している。同情は今や不要であることも。
その時のさっぱりした表情に、エミールは初対面時のおどおどした後ろ向きな顔との違いに感慨深くなったものだ。
「加えて私の他、軍人家の人間は軍事演習が廃止され武術大会に置き換えられたことに、強い怒りを覚えています。この暴挙を進めた国政に関わる者共には、セリア様のシェグラン公爵家も含まれていますから、その点を利用して反セリア派が取り込もうとするか、噂などで既にその一派の仲間に見えるよう仕向ける可能性もあります」
演習廃止と武術大会がセリアの発案だったことは、極限られた人間しか知らない。ルイでさえ、だ。そのため彼女が演習廃止の黒幕である事実は伏せて、嘘の無い内容となるよう言葉を選ぶ。
そしてフィーユに今後の交流が難しい核心を突き付けた。
「そうなってしまえば今までの茶会も、反セリア派としての会合だったと思われる危険があるのです」
「そんなこと……!」
「世の人にとって真偽などどうでもよいのですよ。ただ“そう見える”、そう“解釈できる”のであれば、好き勝手に宣う。そしてもうこれ以上、向こうにその材料を与えるようなことはすべきではありません。……ここが退き際、止め時というわけです」
冷たく告げるエミールに、彼女は唇を引き結び、制服の裾を握り締める。おそらく理解は出来ているのだろう、だが納得は全くしていない。どう見てもそう思える態度だった。
「貴女も平民の出とはいえ──いえ平民だからこそ分かる筈です。他人の目というもの、自分が人からどう見られるかを。特に田舎や下町はそういうものでしたでしょう?」
「……」
「隣人の距離が近く、家族ぐるみの付き合いや家族同然に親しい馴染みも珍しくない。誰が何をしていたのか、すぐに広まり話題にもなる。貴族とて同じようなものですよ」
そこまで言えば、得心とまでいかずとも半分納得せざるを得なかったようで、フィーユの顔が「ああ」と言わんばかりの形を作った後、しゅんと視線を下げる。
思わずエミールは口角を緩めた。彼女は真っ直ぐだが愚かではない。そんな人間は嫌いではなかった。
「学園を出てもまた御縁があれば、以前のような談笑も叶うかもしれません。あるいは……貴女が反セリア派を牽制し抑え込むことが出来れば」
「それって……どういう……」
「御自身の立場、影響力を自覚し制御、利用出来るようになるのが最良でしょうが、それはそれで良からぬ考えや輩を引き寄せてしまうのも承知すべきです。それらを上手くあしらう自信が無いのなら……人に頼るべきかと」
「えっと……?」
言葉を掛ければフィーユの面がゆっくり上がり、先程の困惑とは別の、疑問符を浮かべた首の傾げ方をする。そんな彼女へルイが助け船を出す。
「セリア様を嫌う人達が一番近寄らない、それでいてフィーユさんにとって最も身近で頼りになる人は?」
「あっ、セリア様御自身ですね。あの時もお茶に誘われましたし、確かに一緒に居れば変な人は来なさそうです」
再びエミールは口端の角度を上げた。やはり彼女は愚鈍ではない。
「ええ、休みが明けたら、いえ休みのうちにもお誘いがあるかもしれません。その時はぜひセリア様と親交を深めるべきかと」
「はいっ」
そう微笑を向けると、彼女もようやく笑みを返した──。
このようにフィーユとの別れを済ませて、冬期休暇を迎えた。が、結局のところ今後彼女との交流はまず無いだろうとエミールは考えている。
フィーユにしろセリアにしろ、その立場からこの先どうしても彼女達の影響力がそれぞれ増すことは避けられないだろう。
そんな二人に、貴族社会の厄ネタであるルイをずっと近付けさせてしまえば、どんな厄介事が降り掛かるか分かったものではない。無論、自分の保身にも関わる。所詮、中隊長程度の家柄でしかないのに、上位貴族の政争になぞ巻き込まれたらひとたまりもない。
故に来年から、フィーユがどのように動こうと、彼女との付き合いはきっぱり断つつもりだった。彼女へ交流の再開を匂わせ、希望を持たせておきながら。
その騙したも同然の言動への罪悪感から、溢れた言葉が先程の「悪いことしちまったかな」である。
しかしその一抹の負い目も、すぐに心中の奥へ消えた。ルイによって。
「大丈夫だよ、フィーユさんもそう気にするような人じゃないし、セリア様やその周囲の人達とのお付き合いで忙しくなるだろうから、僕らとお茶する暇なんてほとんど無くなる。そうなったらもう、政争や派閥の揉め事に巻き込まれるほどの深い関係にはならないよ」
「……そうだな、ルイの言う通りだ。よし、とっとと馬車を借りよう」
馬車と言った途端にルイが顔面を少しひきつらせた。よほど前回の馬車旅が堪えたらしい。
「来年からは家の馬をこっちに持ってくるか、学園の厩舎にはまだまだ空きがあったはずだ。父上もルイに喜んで貸してくれるさ。餌代が掛かっちまうが」
「何から何までお世話になります……」
神妙に礼を言う親友に、エミールは気にするなと笑った。
学園を出て、帰郷する貴族家の馬車列を横目に王都の道を行く。大理石を中心とした石造りの立派過ぎる街並みに見下ろされながら、貸馬車を営む宿へ向かい、宿場町まで乗せてくれる馬車を無事に確保。二人はエミールの実家を目指す。
夏期休暇の時と同じく、馬車の乗り心地は酷いものだった。小石や窪みなどを車輪が踏む度に、がたつきの衝撃をそのまま拾い上げて乗客に渡してしまう。二人は長い間、馬車に体が揺さぶられ尻を蹴られ続けた。
不快極まる中でルイは少し顔を青くさせ、時折小さく呻く。その背中をエミールは軽く摩って労ってやった。
宿場町に到着するなり、王都の貸馬車とは別れて宿を探す。宿を見つければ一夜の寝床と、次の目的地までの足となる貸馬車を同時に手に入れ、後はゆっくり過ごした。
そしてまた馬車に揺られ、町や村を経由する形で北へ、エミールの実家へ向かう。ただ、冬の只中で国土を北上する旅は、夏期休暇の際と大きく異なり、日程が伸びた。
王都やその近辺は問題無いが、西から北へ湾曲しながら王国と隣国とを隔てる大山脈へと近付けば近付く程、つまり北へ進む度に馬車の速度は落ちていく。
その要因は泥濘と化した土道と、混雑だ。
この国は積雪こそ大したことは無いが、代わりに昼間の雪解けや雨によって、土はしばしば泥へと変貌してしまう。おまけに冬の寒さに固まれば固まったで、でこぼこの悪路となって馬車や馬に牙を向くのだ。
そうして道が悪くなれば、当然全ての通行者の進みは鈍る。ましてや学園の冬期休暇で王都から帰郷する者は数多い。自然、道中や宿場が混みやすくなり、エミールとルイは幾度も足止めを喰った。
幸い、完全に行き足が止まる事態には出会さずに済んでいる。ただただ、夏の帰郷より進みが遅く乗り心地がもっと酷いだけだ。
「うう……」
「やっぱきついか、安心しろ……俺もだ。うっぷ」
最後の一言で、青いルイの顔が絶望に染まる。
苦難の帰郷はまだ道半ばだった。




