杖と魔導技師と少女と魔物8
自分で魔力を生成できるようになってからというもの、トールも疲労に襲われ眠くなる事が多くなった。しかし今日はそれほど自分の魔力というものを使っていなかったため、眠気は襲っては来ていない。
そのため、一晩トールは警戒の意味を込めて寝ずの番をしていた。ゆっくりと流れる時のなか、時折聞こえる獣の鳴き声などを聞きながら、焚き木の前で朝まで起きていたのである。
早朝、日が昇ってすぐに起きてきたのはナーリャであった。いつも彼女は早起きをしているため、今日も普段通りに目が覚めたのだろう。
「おはよう、ナーリャ」
「うん、おはようトール」
ナーリャはカバンから布と水筒を手にして、顔を洗う支度をしていた。そしてそのまま水を手に取りながら、顔を洗い始める。
「新理愛の様子はどうだった?」
「昨日は疲れていたみたいだから、すぐに寝入っちゃったよ。まだ寝てるみたい」
ナーリャは顔を洗い終えると、布で拭いつつトールに答える。
トールは眠ることが出来たのならよかったと思いつつ、火を起こす準備をする。自分で魔力を作れるようになったとはいえ、以前と変わらず魔法は使えないので、持ってきていた魔法陣を描いた紙を下に敷いてその上に薪を並べていく。そしてトールが魔法陣に魔力を込めると、そのまま上に置いた薪はパチパチと音を鳴らして燃えていった。
「相変わらず便利だよな、魔法って」
「トールの居た所って、魔法はなかったの?」
ナーリャは昨夜話をしていた、トールが元いた場所、日本について知りたがっていた。流石に昨日はすこし困惑して聞けなかったのだが、落ち着いた今では色々と疑問が思い浮かんでいたのだ。
特に、最初トールに出会ったときの反応や新理愛の反応を見るに、トールが居た場所では魔法が珍しいのかと気になっていた。
「ああ、魔法はなかったな。基本的には科学技術、と一括りにしていいかはあれだが、別の技術体系を持っていた。基本的には電気を主として、他にも様々なものからエネルギーを作り出して生活の営みに利用していた」
トールはかつての生活を思い出しながら、ナーリャに話す。内容としては、日本がどういった国だったか、自分の居た世界はどういったものか、かつて自分が何をしていたのかといったものだ。時々規制がかかり離せない内容があったが、それでもそれなりには話すことが出来た。
「あっちじゃ空を飛ぶのも一苦労だ。個人で飛行可能になる物など、数えるほどしかなかったしな。それも自由に出来るもんじゃない。念入りに準備し、多くの人員を動員してようやく個人が飛ぶことが出来る」
「それじゃあ、空飛ぶ箒を作りたがったのって、トールの野望?」
「野望ってほどじゃないけどな。空を飛ぶというのは人間一つの夢たりえる。まあ、俺の場合この体になって自由に飛べるようになったんだけどな」
トールは杖の体を浮かせて、あたりを少し飛び回る。その光景を見て、ナーリャはクスクスと笑っている。
「うん、何となくトールが少しわかった気がする。変な考え方を持っていたのも、その元の世界のせいなんだね」
「変な、とは失礼な」
トールはとりあえず抗議めいた口調で話すが、特に気にはしていない。この世界において自分の考え方というのは、変わり者という認識を持っている。まあ、文字通り住んでいた世界が異なるのだ。仕方がない事だろうと割り切っている。
暫くトールとナーリャに二人が会話を楽しんでいると、テントからまた一人起き上がって来た。新理愛だ。
『あの、おはようございます』
彼女は昨日は掛けていなかった眼鏡をしている。元々はコンタクトレンズを使用していただが、昨日寝るときに外して、今は学生カバンの中にしまってある。このままコンタクトレンズを使っていると、不便が出ると思ったためだ。
「おはよう、アリアちゃん」
『ああ、おはよう』
起きてきた新理愛に、ナーリャとトールは挨拶を返す。そこでナーリャは新理愛が掛けている眼鏡が目に入った。
この世界、かどうかは不明だがトールが知る限りクリーオス王国に眼鏡はない。レンズの原型らしきものは見かけたのだが、まだ実用化には至っていない印象を受けていた。
そのため、ナーリャは新理愛の掛けている眼鏡が気になったのであった。
「ねぇねぇ、アリアちゃん。その顔に着けているのって何?」
「えっ? えっ?」
ナーリャは言葉が通じないのも気にせずに話しかける。困惑したのは新理愛の方だ。いきなり理解できていない言葉で話しかけられてどうしていいか解らず、トールの方へ助けを求める視線を向ける。
『ナーリャは眼鏡が珍しいみたいだ。こっちじゃ見かけないからな』
その言葉を受けた新理愛は、眼鏡が気になっているという事を理解し、ナーリャへと差し出してジェスチャーで掛けてみるよう促す。それを理解したナーリャは、眼鏡を受け取って自分の顔に掛けてみた。
「おお~! なんだか景色が歪んで見える!」
ナーリャは楽しそうにあたりを見回し始める。木々の方を向いてはお~、と言い地面を向いてはお~、と言っていた。
純粋に楽しんでいそうなナーリャを見て、新理愛もまた少し微笑んでいる。それを見てトールはとりあえず今のところは大丈夫そうだと判断する。
人間、本当にまずくなったら笑わない。いや、正確に言えば反応が顕著に鈍くなる。すぐさまこういった反応が出来ているので、まずは大丈夫だろうと判断した。
「ほれ、ナーリャ。いいから食事の準備をしないか?」
眼鏡を掛けてテンションが上がっているナーリャを、トールは声を掛けて止める。先ほどから焚き木はいい感じで燃えており、鍋に水を入れてお湯を沸かしていた。
この後はナーリャに料理を任せて、自分はリューナを起こしに行こうと考えていたのだ。
「あ、うん、そうだね。ありがとね、アリアちゃん」
ナーリャはお礼を言って眼鏡を新理愛に返すと、トールがつけたたき火へと料理をしに行こうとする。だが新理愛が顔も洗えてないなと思い、自分の水筒と新しい布を持ってくる。
「アリアちゃん、これで顔洗って」
ナーリャは道具一式を新理愛に渡すと、そのまま火元まで行ってしまう。
困ったのは新理愛である。一体なぜ水筒と布を渡されたのかが理解できていなかったのであった。
『それで顔を洗ってってさ。水筒は魔法で水が出てくる仕組みになってるけど、問題なく使えると思うぞ』
『あ、そうなんですね。有難う御座います』
新理愛はようやく理解したと、トールとナーリャの方へ頭を下げてお礼を言うと、顔を洗いに少し離れた場所へと向かう。その間にトールはリューナを起こしてしまおうと、テントの中へと入っていった。
中は荷物と、まだ眠りこけているリューナがいる。彼女はローブを抱き枕代わりに抱き着いて、幸せそうな顔で眠りこけていた。
「リューナ、朝だぞ。起きろ」
トールは≪守護者の巨人≫で作り出した手でリューナをゆすり、起こそうとする。だがリューナはその手を払いのけて、惰眠をむさぼろうとしている。
仕方がないなと、トールはより強くゆすり始める。暫くの間起こそうとゆするトールと、その手を払いのけるリューナの攻防があったが、根負けしたのかゆっくりとリューナは起き上がった。彼女のショートで切りそろえられた青い髪はぼさぼさの状態であり、いつも冷静にしている彼女とは思えない姿である。
「ナーリャさん? 今起きます……」
「起きたか? とりあえず顔洗って、髪を整えておくんだぞ」
寝ぼけ眼でナーリャが起こしに来たと勘違いをして、その名を呼んだリューナであったが、目を擦り少しづつ意識が戻ってくると目の前にいたのはトールである。
一瞬ぽけっとした表情をリューナは見せて、その後うきゃ! と悲鳴を上げて抱き枕代わりにしていたローブを手繰り寄せた。
「ど、どうしてトールさんが!?」
「どうしても何も、ナーリャは今朝食の準備中だし、さすがにアリアに頼むわけにもいかないだろう?」
「だからと言って、女性の寝室に男性が来るのもどうかと思いますが! ……いえ、すみません。そういえば今森に来ていたんでしたね」
リューナは自分の置かれていた状況に気が付くと、避難した事を謝罪する。てっきり自分の部屋にトールが入って来たと勘違いしていた。
「とりあえず起きたみたいだな。今ナーリャが朝食を作っているから、顔を洗ってきたらどうだ?」
「そうですね、そうします」
トールはとりあえずリューナが起きたことを確認できたので、そのままテントを出る。リューナは少し身だしなみを整えた後に出てきた。
外ではナーリャが鼻歌を歌いながら機嫌よさそうに料理をしている。パンを火であぶり、肉と野菜を焼いている。新理愛は水筒が気になるのか、何度か水を出したり見回したりしていた。
「お早う御座います、皆さん」
「おはようリューナちゃん。とりあえず顔を洗ってきたらどうかな?」
「ええ、そうさせていただきます」
リューナはいつも通り布を手に持ち、持ってきていた魔法陣の書かれた紙を用意する。そして少し離れた場所でその魔法陣を起動した。
魔法陣から生み出された水は、空中で球となりそのまま浮かんだ状態となる。そこからリューナは手で水を掬い取り顔を洗い始める。
『水が浮いてる……』
その光景に新理愛は、何度目かとなる驚いた声を上げていた。




