第7話 最終日は、あっけなく
三日目の朝、七尾さんはいつも通りの顔で起きてきた。
「今日で最終日ですね」
「そうだねえ」
「何か感慨とか、ないんですか。寂しいとか」
「んー、まだランブータン食べてないしなぁ。ライチみたいなトゲトゲなフルーツがあるんだけど、それを食べてみたい」
そのあまりにのんびりした答えに、私はもう突っ込む気力も湧かなかった。あーちゃんとヒエンさんは、荷物の準備をしながら、そんな私たちのやり取りをおかしそうに眺めていた。
会場に着くと、最終日ということもあってか、これまでで一番の人出だった。菅原さんを筆頭に、スタッフ全員が朝から忙しく動き回っている。
「七尾さん! 今日で最後なので、ラストスパートお願いします!」
「はい、いつも通りやります」
七尾さんの返事は、初日から一貫して変わらなかった。緊張も気負いもなく、ただ淡々と、作業台の上に道具を並べていく。その様子は、まるで中標津の工房で、いつもの朝を迎えているかのようだった。
最終日は、これまでの二日間で評判を聞きつけた人々が、続々と訪れた。実演を見るために遠方から来たという職人志望の若者、子供に木工の面白さを伝えたいという親子連れ、そして初日に見本の木箱を熱心に見ていた初老の男性は、今日も再び足を運んでくれていた。
「また来てくれたんですね」
ヒエンさんが通訳すると、男性は照れくさそうに笑いながら、何かを差し出した。手作りらしい、竹細工の小さな籠の置物だった。
「お礼にって。あなたの技術がとても気に入ったからって言ってます」
「え、いいんですか、こんな綺麗なもの」
七尾さんは驚いたように受け取り、しばらくその竹細工の精緻な編み目を眺めていた。
「じゃあ、俺も――」
そう言うと、七尾さんは作業台の隅に置いてあった端材の一つを手に取り、その場で手早く削り出し、小さなコースターに仕上げて手渡した。まだ荒削りだったが、フレイムメイプルの美しい木目のうねりは十分に伝わるものだった。男性は目を見開き、何度も頭を下げながら嬉しそうに受け取っていた。
「言葉、一言も通じてないはずなのに、ちゃんと通じてますね、あれ」
私がカメラのシャッターを切りながら言うと、ヒエンさんも頷いた。
「道具と木があれば、七尾さんは世界中どこでも大丈夫だと思う」
あーちゃんのワークショップブースも、最終日は一段と賑わっていた。三日間で作られたキーホルダーの数は、菅原さんの集計によれば、百個を優に超えていたという。
「あーちゃん、すごい数、教えましたね。大活躍じゃないですか」
「疲れた。でも……楽しかった」
素直な感想を口にしたあーちゃんの顔には、心地よい達成感がにじんでいた。ヒエンさんが隣で、その様子を誇らしげに見つめている。
閉場のアナウンスが流れたのは、あっけなく、本当に一瞬のことだった。片付けを始める頃には、会場全体に、これまでの熱気の余韻のようなものが静かに漂っていた。
「終わりましたね」
「うん、終わったね」
七尾さんは、持ってきたノミを一本ずつ丁寧に布で拭きながら、つぶやくように答えた。感慨深そうな様子はやはり見当たらなかったが、その手つきには、三日間の仕事を完璧に終えたという、確かな満足の気配があった。
片付けが終わると、菅原さんがブースの前に四人を集めた。
「本当に、本当にありがとうございました。今回の企画、間違いなく大成功でした!」
「そう言ってもらえると、良かったです。ホッとしました」
「七尾さんの寄木細工、来場者のアンケートでもダントツで一番評判が良かったんですよ。もし機会があれば、来年も、ぜひ現地に来てください!」
その熱い言葉に、七尾さんは少し考えるような間を置いてから、いつも通りの調子で答えた。
「うん、また呼んでもらえるなら喜んで来るよ。フォー、まだ食べ足りないしね」
菅原さんが堪えきれずに噴き出すように笑った。あーちゃんとヒエンさんも顔を見合わせて笑っている。私は、この人はきっと本当に、緊張や重圧という感情とは無縁の場所で、ただ道具とだけ向き合って生きているのだろうと、改めて思った。
会場を出ると、夕暮れの空が、ハノイの街並みを赤く染めていた。三日間、ずっと室内にいたせいか、外の空気がやけに新鮮に感じられる。
「明日から、ようやく完全な観光ですね。バックロンさんのところも行きますし」
私がそう言うと、七尾さんは大きく伸びをしながら答えた。
「そうだね。バックロンさんとこも行くしね。どんな木を使ってるのか、楽しみだなあ」
その返事には、これまでの三日間と変わらない、いつもの飄々とした調子があった。だがその奥に、道具を通じて海外の誰かと繋がることへの、静かな喜びが確かに滲んでいるのを、私は感じ取っていた。
あーちゃんとヒエンさんは、少し先を歩きながら、明日の予定について楽しそうに話し込んでいる。三日間の販売会を終えた四人の足取りは、疲れながらも、どこか軽やかだった。
夕暮れのハノイの街に、バイクのクラクションが、今日もにぎやかに響いていた。
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七尾工房のストーブを温めて、また次の夜にお待ちしています。




