表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
22/31

第22話 最後の夜

 裏大奥を包囲する幕府の影は、日が暮れるにつれ、さらに濃くなっていった。


 外からは、草を踏む音も、息遣いも聞こえない。

 だが、確かに囲まれている。


 その静けさは、まるで嵐の前の海のようだった。


 ◆


 夕餉の時間。

 兵庫は、裏大奥の全員を囲炉裏の前に集めた。


 お紺、お梅、お蝶、お鈴、若君、左門、主膳。

 全員が揃うのは、久しぶりだった。


 兵庫は深く息を吸い、静かに言った。


「皆……聞いてほしい」


 囲炉裏の火が、兵庫の横顔を照らす。


「今夜、幕府が動く」


 全員が息を呑んだ。


「黒田監物が裏大奥を取り潰すつもりでおる。明日の朝までに、踏み込んでくる」


 若君が震える声で言った。


「兵庫兄上……僕、どうなるのですか……?」


 兵庫は若君の手を握った。


「若君は必ずお守りします。拙者の命に代えても」


 兵庫は皆を見渡し、言葉を絞り出した。


「皆、今夜のうちに逃げてほしい」


 娘たちの表情が一気に変わる。


「兵庫殿……何を言っているのですか?」


 お紺が震える声で言う。


「うちらを逃がして、兵庫様だけ残るつもりなん……?」


 お梅が涙をこらえる。


「兵庫、あんたを置いて逃げるなんて、できるわけないだろ……」


 お蝶が扇子を握りしめる。


「兵庫殿……そんなこと、許しません……」


 お鈴の声は震えていた。


 兵庫は首を横に振った。


「皆を巻き込むわけにはいかぬ。ここで戦うのは、拙者と左門殿だけで十分でござる」


 左門が目を細めた。


「兵庫、本気で言っているのか?」

「うむ。皆は、生きてほしい」


 お紺が立ち上がった。


「兵庫殿、私は逃げません」

「お紺殿……!」

「兵庫殿を置いて逃げるくらいなら、ここで死んだ方がましです」


 お梅も立ち上がる。


「うちもや! 兵庫様をひとりにするなんて……絶対嫌や!」


 お蝶が扇子を閉じて言った。


「兵庫。あたしはね……守りたい人のそばにいたいんだよ」


 お鈴は静かに言った。


「兵庫殿。私たちは家族です。家族を置いて逃げるなど……ありえません」


 兵庫は言葉を失った。


(皆……こんなにも……)


 若君が兵庫の袖を掴んだ。


「兵庫兄上……僕も……逃げません」

「若君……!」

「兵庫兄上を置いて逃げるなんて、絶対に嫌です……!」


 若君の愛らしい目から涙がぽろぽろと落ちる。


「兵庫兄上がいない世界なんて……僕は……生きたくありません……!」


 兵庫は若君を抱きしめた。


「若君……! そんなことを言うでない……!」


 左門が静かに口を開いた。


「兵庫。お前はひとりで背負いすぎだ」

「左門殿……」

「裏大奥は、お前だけのものではない。皆の家だ。皆で守るべき場所だ」


 左門は刀を置き、兵庫の肩に手を置いた。


「兵庫。お前はもうひとりではない」


 兵庫の目に涙が滲んだ。


 ◆


 その夜。

 裏大奥は、最後になるかもしれない食卓を囲んだ。


 お紺が作った温かい汁物。

 お梅が育てた野菜。

 お蝶が飾った花。

 お鈴が整えた食卓。


 若君は、皆の顔を見ながら言った。


「……僕、この家が大好きです」


 兵庫は涙をこらえながら笑った。


「拙者もでござる……」


 左門は静かに呟いた。


「……悪くない夜だ」


 ◆


 食後。

 娘たちは兵庫の前に立った。


 お紺

「兵庫殿……生きてください。私も、生きます。あなたと……また笑うために」


 お梅

「兵庫様……うち、強くなるで。また一緒に畑やろな……!」


 お蝶

「兵庫。あたしの舞……また見てよね。絶対だよ?」


 お鈴

「兵庫殿。あなたは……私の誇りです」


 兵庫は涙をこぼした。


「皆……ありがとう……!」


 ◆


 裏大奥の灯りは、いつもより少しだけ明るかった。


 誰も眠れない。

 誰も泣きたくない。

 誰も別れたくない。


 だが、夜は静かに、更けていく。


 そして、裏大奥の外では――


 黒田監物が、刀を撫でながら呟いた。


「……夜明けとともに、踏み込む」


 その声は、冷たく、残酷だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ