第20話 幕府の包囲網
裏大奥に、奇妙な静けさが流れていた。
お紺は布を干しながら、ふと手を止めた。
「……風の音が、いつもと違います」
お梅は畑で鍬を握りしめ、周囲を見回す。
「なんやろ……胸がざわざわするわ……」
お蝶は扇子を閉じたまま、舞の稽古をやめていた。
「空気が重いねぇ……嫌な予感がするよ」
お鈴は掃除の手を止め、眉を寄せた。
「……人の気配がします。しかも、複数」
若君は不安そうに兵庫の袖を掴んだ。
「兵庫兄上……怖いです……」
兵庫は若君の頭を撫でながら、周囲を鋭く見渡した。
「……左門殿は?」
「屋根の上です。朝からずっと、動きません」
お鈴の言葉に、兵庫は息を呑んだ。
(左門殿が動かぬということは……すでに何かを察しておるのだ)
◆
屋根の上。
霧島左門は、風の流れを読むように目を閉じていた。
(……囲まれている)
裏大奥の周囲に、気配がいくつも潜んでいる。
足音はない。
声もない。
だが、確かに“人”がいる。
(幕府の刺客……いや、もっと数が多い)
左門は刀に手をかけた。
(これは、包囲網だ)
左門は屋根から飛び降り、兵庫の前に立った。
「兵庫。裏大奥は完全に包囲されている」
「……!」
娘たちが息を呑む。
兵庫は恐る恐る左門に尋ねた。
「ど、どれほどの数でござる?」
「少なくとも十……いや、二十はいる」
「に、二十……!」
お紺が青ざめる。
「そんな……!」
お梅が鍬を握りしめる。
「うちの畑、荒らしたら許さんで……!」
お蝶は扇子を握りしめた。
「兵庫、どうするの……?」
お鈴は冷静に言った。
「兵庫殿。ここは戦うべきではありません」
「む……?」
「相手は幕府。正面から戦えば、裏大奥は潰されます」
左門も頷く。
「お鈴の言う通りだ。今は動かないことが最善だ」
「動かない……?」
「包囲は、こちらの反応を見るためのものだ。焦って動けば、それを口実に攻め込んでくる」
兵庫は拳を握った。
「卑怯な手を……!」
若君が震える声で言った。
「兵庫兄上……僕のせいで……皆が危険に……」
「若君!」
兵庫は若君の肩を掴んだ。
「違うでござる! 若君のせいではござらぬ!」
お紺が優しく微笑む。
「若君。あなたは何も悪くありません」
お梅が涙をこらえながら言う。
「うちらが守るんや。若君は気にせんでええ」
お蝶が若君の手を握る。
「若君は、ここにいていいんだよ」
お鈴が静かに言った。
「若君。あなたは私たちの家族です」
若君の目に涙が溢れた。
「皆さん……」
左門は兵庫に向き直った。
「兵庫。ここから先は、本当に危険だ」
「……分かっておる」
「幕府は、裏大奥を敵と見なした。若君を捕らえ、お前たちを処罰するつもりだ」
兵庫は深く息を吸った。
「左門殿。拙者は、覚悟しておる」
「……!」
「若君を守るためなら……命を捨てる覚悟はできておる」
左門は目を閉じた。
(この男……本当に……)
◆
夕暮れ。
裏大奥の周囲には、黒い影がいくつも潜んでいた。
娘たちは兵庫の周りに集まる。
「兵庫殿……怖くありませんか?」
お紺が尋ねる。
「怖いに決まっておる」
兵庫は笑った。
「だが、皆がいる。それだけで、拙者は戦える」
お梅が涙をこらえながら笑う。
「兵庫様……!」
お蝶が扇子を鳴らす。
「兵庫、あたしも戦うよ」
お鈴が静かに頷く。
「裏大奥は……誰にも渡しません」
左門が刀を握り直した。
「兵庫。敵はもうすぐ来る」
「うむ……!」
兵庫は空を見上げた。
「来るなら来い……! 裏大奥は、誰にも壊させぬ!!」
その叫びは、静かに迫る闇を切り裂くように響いた。




