第17話 若君、狙われる
その日は、裏大奥にとって何の変哲もない一日だった。
お紺は布を干し、
お梅は畑を耕し、
お蝶は舞の練習をし、
お鈴は掃除の指示を出し、
兵庫はその間を走り回り、
左門は屋根の上で監視をしている。
若君は、皆の後ろをちょこちょこついて歩いていた。
――いつも通りの、平和な日常。
だが、その平和は突然破られた。
◆
「兵庫兄上、今日は町に行きたいです!」
「む? 町にでござるか?」
「はい! お梅殿の畑の野菜を売りたいです!」
お梅が目を輝かせる。
「若君、うちの野菜を売ってくれるんか!」
「はい!」
兵庫は悩んだが、左門が降りてきて言った。
「兵庫。私も同行する。町の様子も見ておきたい」
「む……左門殿が一緒なら安心でござるな」
こうして、兵庫・若君・お梅・左門の四人で町へ向かった。
◆
町に着くと、若君はすぐに人気者になった。
「なんて綺麗な子だ……!」
「どこの若様だ?」
「お梅ちゃんの弟か?」
「違うで! うちの弟はもっとゴツい!」
「お梅殿、弟さんゴツいのか……」
「うちは農家やからな!」
若君は照れながら笑っていた。
だが――
その様子を、遠くから見ている者がいた。
幕府の役人・黒田監物。
「……あの子供。どこかで見た顔だと思ったが……」
監物は目を細めた。
「豊臣秀頼の……幼き頃に似ておるな」
◆
若君が野菜を売っていると、監物が近づいてきた。
「坊主。名は?」
「……若君です」
「わかぎみ? 苗字は?」
「……」
若君は答えられなかった。
監物は口元を歪めた。
「なるほど。名乗れぬ理由があるというわけか」
監物は若君の腕を掴んだ。
「ちょっと来てもらおうか」
「っ……!」
若君の顔が青ざめる。
「若君!!」
兵庫が飛び込んできた。
「離せ!!」
監物の腕を払い、若君を抱き寄せる。
「若君に何をする気だ!」
「何を、ではない。この子供、ただ者ではあるまい?」
監物は刀に手をかけた。
「よもや豊臣の生き残りではあるまいな?」
「……!」
兵庫の背筋が凍る。
その瞬間、左門が監物の背後に現れた。
「監物殿。その子供に手を出すのはやめていただこう」
「霧島左門……! 貴様、なぜここに?」
「任務中だ。この子供は、ただの町の子だ」
「嘘をつけ!」
「嘘ではない」
左門の声は低く、鋭かった。
「監物殿。この場で刀を抜けば、幕府の名に泥を塗ることになる」
「……っ」
監物は歯ぎしりし、刀から手を離した。
「覚えておけ……霧島左門。お前の言葉、信じたわけではないぞ」
監物は去っていった。
◆
監物が去った後、若君は兵庫の袖を掴んだ。
「兵庫兄上……怖かった……」
「若君……!」
兵庫は若君を抱きしめた。
「大丈夫でござる……! 拙者が……拙者が必ずお守りいたします……!」
お梅も涙目で若君の背中をさすった。
「若君……うちもおるで……!」
左門はその光景を見て、胸が痛んだ。
(これが、守りたいものか……)
◆
裏大奥に戻る道中。
左門は兵庫に言った。
「兵庫。今日のことは、序の口だ」
「……!」
「幕府は確実に若君を疑い始めている。監物のような者が、これから増えるだろう」
兵庫は拳を握りしめた。
「どうすれば……若君を守れる……?」
左門は空を見上げた。
「兵庫。お前ひとりでは無理だ」
「……!」
「だが――」
左門は兵庫を見た。
「お前たち全員なら、守れるかもしれん」
兵庫は息を呑んだ。
「左門殿……!」
◆
裏大奥に戻ると、お紺・お蝶・お鈴が駆け寄ってきた。
「若君、大丈夫ですか!?」
「怪我はない!?」
「兵庫殿、何があったのですか!」
兵庫は全員を見渡し、神妙な面持ちで言った。
「皆、聞いてほしい。若君が……幕府の役人に襲われた」
娘たちの表情が一気に変わる。
「……許せません」
お紺の声が震える。
「若君に手を出すなんて、無粋な真似してくれるじゃないか」
お蝶が扇子を閉じる。
「兵庫殿。若君のことを第一に考えましょう」
お鈴が静かに言った。
兵庫は涙をこらえながら叫んだ。
「皆……! 拙者と共に若君を守ってくれ!!」
「「「「当たり前です!!」」」」
裏大奥の声がひとつになった。




