第16話 左門の決断
裏大奥に滞在して数日。
霧島左門は、ついに決断を下した。
(一度、江戸に戻らねばならぬ)
兵庫たちの様子を見て、彼らが謀反の徒でないことは分かった。
だが――
幕府はそう簡単に納得しない。
(報告を誤れば……あの娘たちも、あの少年も、危うい)
左門は裏大奥を後にした。
◆
江戸城。
老中・土井大炊頭の前に、左門は跪いた。
「戻ったか、左門。例の裏大奥とやら、調べはついたか?」
「はっ」
左門は慎重に言葉を選んだ。
「美女四人は、いずれも町娘。武家の血筋ではございません。また、謀反の気配も見られず、ただの共同生活にございます」
土井は目を細めた。
「ほう……?」
左門は続けた。
「町で噂が広まったのは、浮世絵師が勝手に描いたため。裏大奥という呼び名も、町人の戯言にございます」
土井はしばらく沈黙し、畳を指で軽く叩いた。
「左門。お前、何か隠しておらぬか?」
「……っ」
左門の背筋が強張る。
「左門。この浮世絵の少年……」
土井は絵を指差した。
「この子供、ただの町の子に見えるか?」
「……」
「どう見ても、武家の子だ。それも、相当な家柄の」
左門は言葉を失った。
(……見抜かれている)
「左門。お前は隠密だ。真実を見抜くのが役目だろう?」
「……」
「答えよ。あの少年は何者だ?」
左門は拳を握りしめた。
(言えば……若君は終わる)
(黙れば……私が疑われる)
その葛藤が胸を締めつけた。
「左門。お前は優秀だ。だからこそ、嘘はつけぬはずだ」
土井はゆっくりと立ち上がった。
「もしあの少年が豊臣の血筋なら、幕府は見逃さぬ」
「……!」
左門の心臓が跳ねた。
「豊臣の残党を匿う者がいれば、それもまた罪。たとえそれが町娘であろうと、浪人であろうと」
土井の声は冷たかった。
「左門。お前の報告ひとつで、大坂の裏大奥は消える」
左門は唇を噛んだ。
(幕府は、最初から処分する気だったのだ)
「左門。お前は幕府の忠実な犬か? それとも――」
土井は左門の目を覗き込んだ。
「主を裏切る下郎か?」
左門の胸に、兵庫の言葉が蘇る。
『若君は……拙者の命に代えても守るべきお方』
そして若君の笑顔。
『左門殿のこと、好きですよ』
左門は目を閉じた。
(私は何を守るべきなのだ? 幕府の命か? それとも……)
左門は静かに頭を下げた。
「老中様。あの少年は……」
土井が息を呑む。
「ただの町の子にございます」
部屋の空気が止まった。
「……本当か?」
「はい。武家の作法を知っているのは、旅籠で働いていたため。品があるのは、生まれつきでしょう」
土井は左門をじっと見つめた。
「左門。お前、嘘をついていないだろうな?」
「ついておりません」
左門は、初めて幕府に嘘をついた。
「よかろう。だが……」
土井は鋭い目で左門を射抜いた。
「裏大奥の監視は続ける。お前も大坂に戻れ。次に怪しい動きがあれば――」
土井は扇子を閉じた。
「容赦はせぬ」
左門は深く頭を下げた。
「……御意」
◆
江戸を出て大坂へ向かう道中。
左門は馬上で空を見上げた。
(私は幕府に逆らった)
(だが……)
若君の笑顔が脳裏に浮かぶ。
(あの子を……あの場所を……壊させはしない)
左門は拳を握った。
「兵庫……お前の覚悟、今度は私が試される番だ」
風が吹き、左門の黒装束が揺れた。




