第73話 幕間:【超絶頂】到達と【無月空剣】
◇◆◇ 天魔神教 潜魔館 第八階層 秘笈書庫 第六公子 白眉剣龍 日月慶雲 ◇◆◇
これはいつかの奇縁の話。
未だ【絶頂の極】の境地に留まっていた本座が、【超絶頂】の境地に至るきっかけを得た時の出来事である。
◇◆◇
それは確か本座の歳が十一になる直前のことであり、三号生も残すところあと数日という時期のことである。
この時の本座の境地は【絶頂の極】。それも一年以上同じ境地に留まり続け、まさに『境地の壁』と呼ばれるものにぶつかっている最中であった。
そしてそれを打破せんとした行動こそが、潜魔館の教官たちとの度重なる比武であり、第八階層に存在する秘笈書庫への頻繁来訪。
もっとも当時の本座は、未だかつてないほどに手応えのない修行に混乱をきたし、有り体に言って酷く迷走していた。
具体的には天魔の血族たる本座が、敵対勢力である正派の名門中の名門、泰山北斗たる少林の武功に傾倒していたほどである。
「【大力金剛掌】!」
「……」
「【転輪千降掌】!」
「……」
「【天上應龍爪】!」
「……」
「【観音十八手】!」
「……」
まあこのような有様である。
当時の本座の迷走っぷりは本当に酷く、実のところ、瞑想に費やした時間より、迷走していた時間の方が長いほどであった。
そしてそんな本座の様子を一番近くで見守り続けた師匠は、当然の如くいの一番にツッコミを入れた。
「……童よ、何をやっておるのじゃ?」
「【百歩神拳】! ……ん? いや、何と言われても、見ての通りよ。【少林七十二芸】だ、師匠。」
呆れたように問いかける師匠に、少林の代名詞とも言える【百歩神拳】を繰り出しながら答える本座。直後、聞こえてきた深い溜息は空耳ではあるまい。
しかし魂体という半分幽霊のような肉体で溜息を吐くとは……中々器用であるな。
「この大天魔神教の中心地たる新疆。それも次代を担う若者たちを育てる【潜魔館】で、天魔の御子たる童が少林の武功を展開して見ての通りじゃと? いったい何を考えておるのじゃ!?」
溜息から一転、珍しく天魔の御子のあるべき姿という観点から激しく説教をする師匠。
説教も珍しければ、あるべき姿などという思想を持ち出してきたこともまた珍しい。この時点から見れば未来の話になるが、それこそ術錬師のあるべき姿を説教したあの時くらいだ。
まあそれはともかく、神教教徒には大なり小なりそういうところがあるものだが、この師匠は母君のことがあってか、特に正派への嫌悪感が強いのである。
もし今、本座が繰り広げていた武功が仏家武功ではなく道家武功であれば、とうの昔に苦言を呈していたに違いない。
「何をと言われてもな……この秘笈書庫で学べる武功は既に学び尽くしたと言っても過言ではない。さらに、それらの武功を各々の形で発展させた教官たちの武学も、幾度もの比武で十分に学んだ。しかし本座には超絶頂への道が未だ見えておらぬ」
「……うむ」
「であればこそ、もはや本座が壁を超えるに至る筋道は、まったく別の根本を持つ武学にあると見たのだが……これは当然のことではないか?」
本座の言い分は師匠に渋面を作らせつつも、そこに一定の理があることを認めさせるものだった。……勿論、それでこの話がまとまるかと言われればそんなことは無いのだが。
「当然のこと? 天魔の御子たる童が少林の心法まで運用し『不可真気』で【少林七十二芸】まで展開することが当然じゃと!? 良いか、童よ!? 我らの祖先たる歴代の天魔は長きに渡り中原に侮蔑を受け、その屈辱を――」
「……」
むしろ一定の理があったことこそが問題となったようで、師匠の説教はますます勢いを増していく。
「それを仏家武功などという下賎な……。そもそも仏教というのは、殺傷を禁じ、自ら獲物を捕らえることをせぬ上に、糧を得るために畑を耕すことも禁じておる。斯様な寄生虫のごとき――」
神教の歴史にまで波及していた説教の行方は、いつからか仏家武功のみならず仏教自体への罵詈雑言へと形を変え、その勢いは衰える様子がない。
そんな時であった。
「(―――♪)」
「「!」」
美しく響く鳴き声が聞こえ、『バッ!』という音がしそうな勢いで本座と師匠がそちらを振り向く。
そこには何やら紙切れを咥えた獣――本座の伴生神獣たる麒麟・『瑞麟』が立っていた。
「―――♪♪」
再び響く美しい鳴き声は、最初の声の残響と共に本座と師匠の心に安らぎをもたらす。
いつしか顔を見合わせていた二人は、その意識を『瑞麟』の咥えた紙切れへと移していた。
「どうした瑞麟。何を咥えておる?」
「――♪」
楽しげに鳴く瑞麟は咥えていた紙を本座に渡すと、気紛れを起こしたようにふらふらと歩き回る。
といってもここはさほど広くもない秘笈書庫内の個人修練室。すぐに飽きたのか、特に何をするでもなく【至黒麟龍環】の中へと戻っていった。その勝手気ままな様は、麒麟というよりも猫のようである。
「「……」」
瑞麟の奔放な振る舞いに、本座と師匠はまたしても顔を見合わせる。
ちなみにこの瑞麟であるが、神獣たる麒麟としては生まれて数年の幼体であり、まだまだ子供もいいところである。
そしてそんな幼い瑞麟に窘められた形となる師匠の顔は、先ほどよりも遥かにバツが悪そうなそれだった。
「コホンッ……ホホホッ。それで童よ、瑞麟が持ってきた紙には何と書いてあるのじゃ?」
照れ隠しをするように咳ばらいをし、話題を瑞麟が持ってきた紙切れへとすり替える師匠。
その顔に浮かぶのは、天下万民のお手本になるような誤魔化し笑いだ。
「ふむ……剣譜だな」
そんな弄り甲斐のありそうな師匠の誤魔化し笑いも、とてもやさしい弟子である本座が触れることはない。
瑞麟の持ってきた紙に書かれていたものは、墨と筆で描かれた剣招の軌跡……すなわち剣譜であった。
「…………」
「? 童?」
これは……なんだこれは!? このような剣法は見たことがない!
完成度が尋常ではなく高い。これに匹敵するような代物はそれこそ【天魔君臨歩】ぐらいしか……ぬっ!?
「……師匠」
「ど、どうしたのじゃ?」
先ほどの説教中とは打って変わって、酷く狼狽している師匠。
幼い瑞麟に窘められたことで、若干メンタルが弱くなっているらしい。
「境地の壁が緩んだ。うまくいけば【悟り】を得られるかもしれぬ」
「なんじゃと!?」
しかし今の本座に必要なのは、【悟り】をまとめる瞑想の時間でもなければ、弄り甲斐のある可愛い師匠でもない。
すぐにでもこの招式を、そして今得た『気付き』を十全に試すことのできる比武の相手だ。
「階主たちに比武を申し立てる。さすればこの『気付き』も完全にモノにできるはずだ」
そう決断した本座は師匠の返事を待つことなく、個人修練室を飛び出していく。
ああ、そうだ。比武も良いが、その前にこの剣法の名前だけでも調べておかねば……。
「【在魂大法】、『起』」
本座は物品に宿る記憶を読み取る【在魂大法】を発動する。
紙切れから読み取れる記憶は、実に数千年級の厚みを持っていた。
剣譜の著者は【万剣魔尊】こと、剣魔。
この招式の名は――
「【無月空剣】か」
それは万剣冷家に伝わる『神功絶学』の名だった。
◇◆◇
――さて、本座は斯様な次第で『気付き』を手に入れ、その後、階主たちとの比武を終えた時、超絶頂の境地に至った。
ちなみに本座の迷走の象徴である【少林七十二芸】についてだが、これは本座の武学の知見が広がったということ以外特に役に立ってはいない。
……まあ当然だ、本座の前に聳え立っていた壁は、あくまで魔功における悟りの壁だったのだから。
さらにこれは今にして思えばという話なのだが、おそらく瑞麟はその天賦である【宝鑑天瞳】によって、本座にとっての宝たる【無月空剣】の剣譜を探し当ててくれたのだろう。
いやはや、本座も師匠も、瑞麟には頭が上がらぬわ。




