第70話 【心魔】と【小仙女】と【魔君】
◇◆◇ 天魔神教 潜魔館 第一階層 闘技場 第六公子 白眉剣龍 日月慶雲 ◇◆◇
『――攫われた貴人の名は【百雷鳳雛】麻夢蝶。仙界より推挙を得た仙縁之子にして、六公子の従妹姫じゃ』
『その後、神教は崑崙派の残党を根絶させ、今回の襲撃の主戦力となった西蔵のポタラ宮も滅ぼした』
『さらに生死境を超え、自然境に至られた太上教祖様が仙界へ昇られ、数人の魔尊もこれに付き従った。これは攫われた麻夢蝶を探すためでもあったのじゃが、同時に仙縁之子を守れなかったことを太初神教に謝罪するためでもあった』
『……お主の伯父・【焔刀魔君】もまた、太上教祖様に付き従い仙界へと昇った者の一人じゃ。お主の幼魔館での活躍を聞き、心残りとなった【心魔】が解けて玄境の境地に到達したと聞いておる。そして自らの足で仙界へと探しに行った』
『まあ未だ見つかったという知らせがないとはいえ、この神教では七年も前に始まり、五年前には終わった話じゃ。民草はほとんど覚えておらぬじゃろうし、仮に情報を集めようにも緘口令が敷かれておる。詳しく聞ける相手もおらぬはずじゃ』
『――じゃからな六公子。お主に何かをしろというわけではないのじゃ。ただ、この潜魔館を出る前に伝えておかねばと思っての』
◇◆◇
「……朝か」
今日は夢瞳魔尊からとんでもない爆弾を受け取った日の翌日。
自室で休んでいた本座は、ゆっくりと目を覚ました。
残念なことに、あれ以降は魔尊と話す機会がなく、本座は機械的に式典と報告会に参加したのち、集まりつつあった臣下たちに今日は休むように告げ、自室へと戻った。
当然、この指示の背景にあるのは、皆疲れているだろうという配慮一割と、頭の中を整理したい本座の私欲九割である。
「フゥ。まあ……成るように成るのであろうな」
深いため息とともに自嘲の言葉が零れ落ちる。
一晩という時間を費やした甲斐あってか、本座も相応に落ち着くことができた。
……否、諦観と共に受け入れたと言った方がいいのだろう。
「フハハ……成るように成るではないな。もう成るように成った後か……情けないことよ」
再び零れる自嘲の言葉は、大切に可愛がっていた蝶姫の失踪を、都合七年もの間知らずにいたという事実に対して。
助けに行くと気炎を吐くにも、さすがに年月が経ちすぎている。
何かの生贄にと攫われたのであれば、その命を救うにはもう遅すぎる。
その才を弟子にと攫われたのであれば、生きてはいるだろうが本座にできることは何もない。
……しかしこれは予定通り太初神教に行っていようと、仙界の仏門に連れていかれようと、結局は同じことだ。仮にそこで蝶姫が助けを求めていたとしても、今の本座には成すすべがないのだから。
「フッ……」
あるいは薄情にも思うやもしれぬが、これこそが今の本座の実力相応の判断。
【強者尊】とは、この俗界の武林のみならずすべての場所で適用される言葉であり、だからこそ人は力を求めるのだ。
「ホホホホッ、やっと落ち着いたようじゃの童。迷いに迷い、揺れに揺れ、ようやく心が据わったの。中々愛いやつじゃ」
目を瞑り、心を鎮める本座に、師匠がやたら恥ずかしいセリフと共に声をかけてくる。
昨日はあれ以来、腕輪から出てこようとしなかった分際で……何たる言い草であろうか。相手が師匠でなければ、唖穴をついて黙らせているところだ。
「……ああ、師匠か」
まあ正直なところ、師匠には言いたいことがないでもない。
具体的には『そんな大事なことは教えよ! 聞かなかった本座も悪いが!』、と。
「……」
しかしこれも結局は意味のないこと。
もし教えていれば何か変わるのかと聞かれれば、何も変わらないと答えるしかない。
例えば『さらに努力して、もっと早く強くなれたかもしれない』などとも考えてみたのだが、実際のところ、本座はほとんど最短距離を駆け上がるように境地を上げてきている。
むしろ本座の中に遊び心という余裕があったからこそ、【太初之火】を始めとする数々の奇縁とも出会うことができたのだろう。
……ああ、そうか。そういった精神的余裕という面でもそうだ。
もし先に本座が蝶姫の失踪を知らされていれば、この胸中に存在し続ける焦りがいつの日か【心魔】として顕在化し、例えば【太初之火】の吸収の際などに致命的な齟齬を起こしかねなかったのかもしれない。
フン、まったくもって、自身の弱さが嫌になるわ。
「ふむ……ホホホッ、妾が言うまでもなくいろいろと気づいたようじゃの?」
師匠がぐっと顔を近づけ、本座の胸の内を読み取ったようなことを言う。
その見透かしたような瞳に本座は思わず生唾を飲む……などと言えば恰好がよいのだが、いつどんな時も師匠の瞳にあるのはうっすらと輝くピンク色のハート型の瞳孔のみ。
まあ、もしかしたら見透かしたような瞳をしているのかもしれないが、弟子である本座をしても、その是非は見破れない。真実は闇の中……いや瞳の中である。
「心が据わった、か。真、その通りよ。これから本座が進むべき道は確かに見えた」
「ほう?」
大事な妹(従妹)の身に起きたことを聞いても、何もできない我が身の弱さ。
その嫌になるほどの弱さを打ち払うには、結局のところ力をつけるしかない。強くなるしかないのだ。
「――というわけで、だ。とりあえず師匠、臣下たちに会いに行くぞ」
「む? ……まあ童がいいのじゃったら、それでも構わんが」
何故か肩透かしを食らったような顔をする師匠。
師匠が何を思っておったのかは知らぬが、本座がより強くなるためにはこの俗界最高の功法であり、【太初真魔仙典】の正当続編である【天魔神功】は必須。
そしてこの【天魔神功】が伝授されるには、天魔の後継者たる【小教祖】に任命される必要がある。
つまり本座の与力たる臣下たちとの交流は欠かせぬというわけだ。実に単純な計算式であろう?
◇◆◇ 天魔神教 潜魔館 第五階層 大広間 第六公子 白眉剣龍 日月慶雲 ◇◆◇
「まずは我が君、ご無事のお戻り何よりでございます。下教・白刻影、臣下の皆を代表して主君にご挨拶申し上げますとともに、我が君の新たなる成就、心よりお祝い申し上げます」
真面目そうな男のハキハキとした声が大広間に響き渡る。
今、音頭を取ったのはかつての本座の右腕である、白刻影。
昨今では他の逸材たちの台頭もあってか、右腕と言うにはいささか物足りぬような実力となってしまっているが、それでも【白龍十五翼】の一角であり、それとは別に本座の秘書のような役割を果たしていることが多い。
忠義に厚く、努力を怠らない、まさに臣下たちの規範となる【白龍十五翼】に相応しい男だ。
「「「お祝い申し上げます!」」」
そしてその音頭に合わせて唱和するのは、無事今回の試練を達成してのけた本座の臣下たち、計1231名。
【白龍十五翼】を筆頭に、いずれも潜魔五号生にいたるまで脱落することなくついてきた……すなわち、全員が齢12にして絶頂の入気境以上の境地に至っている将来有望な魔人たちである。
しかし運悪くというべきか、今回の『実践演習』では与えられた任務を達成できず、脱落となってしまった者が12名ほど存在していたりする。
つまり師匠が気づかなければ、本座も脱落組に仲間入りするところであり、場合によっては今、本座が座るこの席が空席となっていたかもしれないということだ。実に恐ろしい……。
ちなみにそんな脱落組であるが、彼らが脱落した理由としては、不運にも序盤で大怪我を負ってしまったり、偶発的な凶作に影響され課題の品物がまったく見つからなかったりと様々である。
まあ大怪我の方は今後気を付けてもらうとして、凶作については『洞窟型』や『城郭型』の仙跡ならともかく、『領域型』の仙跡ではどうしても植物の生育に豊作・不作が生じてしまうことがある。本当に単純に運が悪かったのだろう。
脱落者が出たことは残念であるが、この『実践演習』の試練では例年数人の死者が出ることもある。命が残っただけよかったと考えるべきであろうな。
……さて脱落組への回想はこの辺りで良かろう。そろそろ臣下たちを労ってやらねばならん。
「――皆、ご苦労。よく集まってくれたな。此度の試練、少々運が悪かった者もいるようだが一人の死者も出すことなく終わった。本当によくやった」
「「「はっ!!!」」」
本座が大広間の上座に座り、臣下たちが下座へ。
そして【白龍十五翼】などの幹部や、潜魔序列で上位に来るような者たちから順に、本座の近場を埋めるようにして整然と並んでいく。
実はこの手の集会自体、割とよく行っているものなのだが、今回は少しばかり違う点があった。
具体的には上座に座る本座の隣へ用意された、【小仙女】冷仙月の席である。
「次に【白龍十五翼】筆頭、【小仙女】冷仙月。此度の『実践演習』を経て、化境の境地へと至ったこと、実に見事だ。本座が改めて言祝ごう」
「おぉ……」
「……なんと」
「いや流石は……」
広間には本座の声が響き渡り、それに呼応するように列の各所からざわめきが起き始める。
ざわめきの内容はおおよそ驚き四割に称賛が四割、残りの二割は困惑と納得と言ったところだろうか。仙月はその強さと美貌が相まって、追従者が多く、今も熱狂的な視線を向けてきている者がちらほらと見えるほどだ。
「ありがとうございます、慶雲師兄。勿体ないお言葉です。この仙月、深く御礼申し上げます」
仙月はしなやかな動きで立ち上がり、涼やかな声とともに本座に対してかるく膝を折る。
【化境】の境地。すなわち神教における【魔君】の位階とは、その名に『君』とつくように誰かの主となる『君主』としての性質がある。
これはかつて【魔尊】という称号が【魔君】の中で特に優れていた者に与えられていたころ、つまり【魔君】こそが最高位の位階であったころの名残であり、この神教の根本である『強者尊』を表す特徴的な風習の一つである。
ゆえにその礼節は、天魔至尊とその後継者たる小教祖にのみ向けられ、たとえ天魔の血族であろうとも礼を強要することは出来ない。
……出来ないはずなのだが、実際天魔の血族の不興を買っても何の意味もないわけで、長い年月とともに形骸化した面がないとは言えない。
そして今回、やたら重めのヤンデレの気がある仙月がその風習を順守した行動をとったのは、彼女の特別扱いを形で示すため本座が無理やりやらせたからである。
見ようによれば本座への不敬とも見える行動であるゆえか、かつてないほどに抵抗を示したのは言うまでもない。……今もよく見れば、膝の上に握られた手が震えているようであるし。とりあえず暴発だけはしないでくれ。
「……」
……それにしても、あれだな。この十か月でかなり背が伸びたか? 無論、【換骨奪胎】して身の丈六尺(180センチ)を超えた本座ほどではないのだが、背だけでなく肉体そのものが少女から大人の女性へと近づいてきている気がする。
……コホン! 相手は未だ13歳の少女だ。セクハラ、ダメ。ゼッタイ。
ま、まあそれでもだ。師匠という、性質は違えど仙月と同等の美しさを誇る美女を見慣れているはずの本座が、目を奪われてしまうほどなのだ。他の者であれば、さもありなんといったところであろう。
これからも本座の隣に立ち続けてほしいものだ。




