第68話 【焔牙魔君】
◇◆◇ 天魔神教 潜魔館 第一階層闘技場 焔牙魔君 ◇◆◇
天魔神教教祖・『崩月天魔』天武宗が第八子、第六公子【日月慶雲】。
幼少期、『聖火の儀』にて結果が振るわず【白葦公子】の蔑称が風評として広まる。
――後の成果からして、おそらく有力家門の後ろ盾がないことや親族である麻空燕へのやっかみが籠った誹謗中傷の類であると思われる。
数年後、幼魔館を過去最高の成績で卒業し、齢八つにして絶頂の境地に至る。
――同年、絶頂の境地到達時に開催されていた大会にて【白眉剣龍】の別号を得る。以後、瞬く間に潜魔序列の頂点を極め、数々の修練施設で前人未到の結果を叩き出す。
一年後、潜魔二号生初期から、潜魔館所属の教官や階主たちとの比武を繰り返すようになり、齢十一を前に超絶頂の境地に至る。
――この時点で【潜魔洞】の時代も含めたすべての記録において、前人未到の成果を残す。
まさに時代の寵児、あるいは天才たちさえ圧し潰す巨星。
仙人の子供が誤って俗界に産まれてしまったとしか思えない。
そう……例えば、攫われたとはいえ、仙界へと昇ることが決まっていた【百雷鳳雛】麻夢蝶。
彼女と一緒に仙界へと上がることこそ、六公子様にとって正しい道だったのだろう。
◇◆◇
「……」
「……」
そして今、闘技場の舞台の上で対峙している六公子様の境地は、この私をして推し量ることができない。
つまり化境の極か、それ以上。
わずか十二歳で超絶頂の壁を越え、化境の極に……いや、それもそうだが、わずか十か月で、超絶頂の熟練から化境を極めるまでに至ったのか。
……化け物という他ない。
だが六公子様が常軌を逸した存在であるということは、とうの昔に分かっていたことでもある。
六公子様は私では想像もつかない高みへと登ることが約束された人物であり、いかに若年とはいえ決して侮っていたつもりはなかった。
そして警戒すればこそ、三人の巨魔による襲撃を計画し、命を削り力を得る劇薬・【爆血丹】という奥の手さえ与えた。
その三名はいずれも巨魔の中でも上位にある強者たちであり、中には化境に肉薄した超絶頂の極の境地にある者もいた。つまりいかに天才とはいえ、超絶頂に上がってから一年と少しの経験の浅い武人であれば容易く狩れるはずであった。奥の手まであれば猶の事だ。
……万が一失敗した場合も、事前に飲ませておいた【化骨散】が屍気と反応して、その死体を身元が判別できないほどに溶かしてしまうはずだった。
しかし――
「――以上の証拠から【白眉剣龍】日月慶雲は疑義を呈し! 【焔牙魔君】黄仁孝へはこれを否認した! よってこの判決は『生死決』による決着によって決めるものとする! 双方! 異議なくば沈黙せよ!」
――その結果がこのざまである。
今回、六公子様より提出された証拠とは、私が送った三人の巨魔の内の一人【天狼魔剣(慶雲仮称・天狼剣)】の真新しい遺体。
本来であれば、仮に【化骨散】が働かなかったとしても、かの仙跡の環境下で十か月もの間、死体をきれいに保管しておけるはずがない。
……はずがないのだが、なぜか提出された遺体は、数十分前に殺されたような不気味な新鮮さを誇っている。
そしてそこにありありと残っているのは、命を削る劇薬である【爆血丹】を服用した痕跡と、穴道を狂わせる禁功【逆穴魔功】を使用した痕跡。
さらに【天狼魔剣】が元々私の部下であったことも知られているとなれば、状況証拠は十分すぎるほどに十分であった。
「…………」
「…………」
……これは本当に今更な話だが、あの時私自身が直接手を下すことができればそれが最良であった。
しかし【潜魔】の階級とは始天魔祖師様が定められた祖法の産物であり、これに手を出すことは祖師様の権威への挑戦と同義である。
これを破る者は、たとえどのような身分の者であっても族滅が言い渡されると言えばその重要性がわかるだろう。
つまり私に与えられた選択肢とは、『勝利して無罪』か、『敗北して死』か、『生死決』を拒否して本格的な調査が入り、すべての企みが露見して『族滅』となるか。この三つだった。
こうなれば『生死決』を断る余地はない。
「良かろう! ではこの場の見届け人は『魔学之司』【夢瞳魔尊】が承った! 始めよ!」
前口上が終わり、とうとう『生死決』が始まった。
夢瞳魔尊の声と共に私は愛刀を構えるが、六公子様には動きはない。
まるで無防備にも見えるその姿。
しかしそれは如何なる体勢からでも招式を繰り出せる『剣決』を極めたという証明であり、私の孫よりも年下の若造であるにも拘らず、まるで隙が見えない。
化境の極か、それ以上とは言ったものの、発される気質からは未だ玄境の境地にはたどり着いていないように思える。
つまり境地だけならば同等であるはずなのに、勝ち筋がまるで見えない。
………私はなぜこのお方を敵に回してしまったのだろうか。
◇◆◇
私の名は黄仁孝。
この神教では魔君の位階にあり、現在は役職名である【潜魔館主】、あるいは『焔牙魔君』の別号で呼ばれることが常である。
我が黄家は三代天魔祖師様の時代より存在する歴史深い名家であり、初代様以来、今に至るまで幾度もの断絶の危機を乗り越え、幾人もの魔君や魔尊たちを輩出し続けている。
その家柄は七魔直系家や刀魔三家に次ぐほどに名高く、まさに最上位の権門と称しても決して過言ではない。
そんな我が黄家の開祖は、三代天魔様の御世に名を馳せた武人、【熱覇魔尊】・黄元様である。
この方は崑崙奴の父と北海人の母を両親に持ち、年の離れた妹が一人いた。
兄である【熱覇魔尊】様は崑崙奴である父の血を色濃く受け継ぎ、今の中原でもほとんど見られない黒い肌を持ち、逆に北海人の母の血を色濃く受け継いだ妹は、雪のように透き通る白い肌を持っていたとされている。
後に二人の両親は亡くなり、黄元様はとある浪人に引き取られていくのだが、妹君はその才が認められ万剣冷家へと引き取られていくことになる。
これこそが兄・【熱覇魔尊】様と妹・【寒月魔尊】様の【陰陽双尊】の誕生秘話である。
――さて運良くそのような名家に生まれ落ちた私であるが、その半生はそう大したものではない。
かつての【熱覇魔尊】様は妹を守る力をつけるため、貧困の中であらゆる危難へと身を投じたとされているが、今の黄家は天魔神教でも有数の名家。
当然、その後継者である私には膨大な資源と良質な修行環境が用意され、その血筋と武功を後世に伝えるべく、大事に育てられた。
また多くの名家の子女がそうであるように、私もまた幼魔館を経ず潜魔館からの編入とし、たまたま同年代に七魔家や刀魔三家、さらに教祖家系である天家の子女がいなかったため、その世代の代表者となっていた。
そしてそのまま順調に進級し、合わせて相応に増長し、よくいる傲慢な名家の後継ぎとして成長した。
潜魔館を卒業した後、直ぐに鼻っ柱を折られたことも含めて、本当によく居る小僧でしかなかった。
そんな私に転機が訪れたのは、潜魔館を出て二十余年ほど経った頃。
不惑を前にした私は、私より後に生まれた数多の天才・鬼才の後塵を拝し、自身の身の程というものを嫌というほどに思い知っていた。
かつての増長はなりを潜め、さらに経験と修行を積んだことも相まってその境地は超絶頂の極に達し、黄家の後継ぎとして順調に地歩を固めていた。
そんな私に訪れた転機とは、とある未来を嘱望された若者たちの噂である。
潜魔館を出たばかりでありながら、その隊の人員の半数が超絶頂の境地にあり、中でも隊主と副隊主が超絶頂の極の境地に至っているという若き俊英たち。
それは当時の三公子様、つまりは後に天魔となられ【崩月天魔】の号で称されることになる現天魔・天武宗様の隊であった。
しかし如何に綺羅星の如く煌めく天才たちの噂であろうとも、そのような話など、神教では決して珍しいものではない。それほどまでに神教の人材は豊富なのだ。
特に天魔の御子の話ともなれば、各人が素晴らしい才を見せるため噂にならぬ方が珍しいほどだ。
――であれば私は、何を以て転機と称したのか?
実はこの話、三公子様の隊そのものは関係なく、その隊に所属する副隊主が偶然得た、ある奇縁に由来する。
その男は三公子様に誰よりも早く仕えた片腕。
当時の【十龍十鳳】の一角として【真陽刀龍】の別号で呼ばれ、のちに魔君となれば、天魔となられた天武宗様の妹君を娶り、仙界より招集される仙縁之子・【百雷鳳雛】麻夢蝶の父となった人物。
その名は【焔刀魔君】麻空燕。
そして彼が偶然出逢い、攻略し、認められてしまった仙跡の名は【熱覇仙跡】。
我が黄家の祖・【熱覇魔尊】様の仙跡だったのである。
◇◆◇
我が黄家が三代天魔祖師様の時代から、一度も途切れることなく在り続けている家門であることは先ほど言ったとおりである。
だがこれは、我が家が如何なる時代も順風満帆であったことを意味したわけでは無い。
それはまさに幾度もの断絶の危機を乗り越えた先祖たちの功績であり、ゆえにこそ今を生きる我ら子孫は先祖の御霊に恥じないように生きていかねばならないのだ。
しかし一方で先祖の乗り越えてきた断絶の危機が家門の根本を揺るがすような代物であったことには間違いなく、その過程で失われた物がなかったというわけではない。
それこそが我が黄家の独門武功にして、家祖・黄元様が完成させた神功絶学【炎魂神功】である。
【炎魂神功】。
それはかつて『火神』と称されるほどに圧倒的な火力と超越的な爆発力を誇る凄まじい武功であった。
しかし断絶の危機の混乱の過程で一部の口訣が消失。やむを得ずその欠落を【魔泉心法】の安定性で補った結果、現在の我が黄家に伝わる【炎魂神功】は、真髄であったはずの火力と爆発力が大きく損なわれ、玄境への到達が極めて難しい底の浅い武功へと変わってしまっていた。
ゆえにこそ【熱覇仙跡】を攻略し【熱覇魔尊】様の伝人となった麻空燕は、私にとっての転機であり、我が黄家にとっての悲願そのものだった。
本来であれば件の伝人と友好関係を構築し、話をつけて対価と引き換えに、家門への武功の伝授を求めるのが常道であり、これには前例も存在する。だが、その出来事から数十年が経った現在、我が黄家には未だに完全なる【炎魂神功】が戻ってきていない。
一つの問題が生じたのだ。
当時の情勢を考えれば、件の伝人・麻空燕に近づくことは三公子様に近づくことを意味し、さらにその内容が家の悲願とも呼べるものである以上、対価として黄家全体が三公子様の麾下に入ることを要求されても決して不思議ではなかった。
しかし当時の我が黄家は【神女】をひとり輩出していた。
家主の妹、すなわち私の叔母は当時天魔の座にあった天雲外様に見初められ、雲外様の最初の御子を授かった身として『日月神女』と呼ばれていた。
さらに言えば雲外様の大公子様・二公子様ともに、叔母の腹から生まれた同腹の兄弟であり、我が黄家は外戚として当然その方々を支援していた。
家門の悲願と肉親の情。
これこそが我らに生じた一つの問題だった。
◇◆◇
その後のことはあまり長く話すようなことでもない。
結局、血のしがらみは断ち切れず、何より肉親さえ捨てた時に生じるであろう周囲からの侮蔑や忌避を警戒し、我が黄家は大公子様と二公子様の陣営に留まった。
伝人・麻空燕への対応は、三公子様の勢力を潰した後での誘引。
居場所を失うであろうことが予想された彼は、保護の約束を以ての取り込みで十分だと思われた。
……誰もが口にしなかったことではあるのだが、あのような若造に頭を下げることに拒否反応があったことは否定できない。
私も血気盛んと言うほどの若さはなかったが、それでも隠居するにはまだまだ早いような歳。
仮にそのような考えが根底にあったと聞かされていたとしても、当時の私なら、その提案を否定することはなかっただろう。
しかし結果は大公子様と二公子様の敗北と、三公子様の小教祖拝命。
我らの思惑は完膚なきまでに砕かれたのだった。
◇◆◇
さらに時が流れ、天魔となられた元三公子・天武宗様に次々と子が生まれる。
神教には新たな時代がやってきたのだ。
この時私は既に黄家の家主となっていたのだが、元三公子様に最後まで敵対した我が黄家は、端的に言って冷遇されていた。
特に天魔の御子の長兄である大公子・日月武雷様は伝人・麻空燕にとって甥にあたる人物だ。
今更我らが大公子様の下に就いたとて信用される可能性は低く、完全なる【炎魂神功】が帰ってくる可能性も低い。
ゆえに我が黄家の家人の中に燻り続けていた【炎魂神功】に対する執念は、二公子・端木武閃様の麾下につくという形で発露した。
おそらく、ただ単に伝人・麻空燕とその一党を懲らしめたいだけだったのだろう。
誰が明言したというわけでも無いのだが、私はそのように思う。
◇◆◇
「――ハッ!?」
ふと気を取り戻すと、目の前に迫るのは六公子様の凄まじい掌力。
それを放つ掌法は今まで見たどんな掌法よりも優れているように感じる。
どうやら昔のことをほんの少しだけ思い返していたつもりが、いつの間にか走馬灯へと変わっていたらしい。
「クッ!?」
私は独門武功である【真炎熱覇刀法】で辛うじて掌力を逸らし、同じく独門武功である【豪炎爆進歩】で何とか距離をとる。
恥ずべきことだが、先ほどから遊ばれるばかりだ。
今この瞬間まで私が生きていられるのは、六公子様が新たに得た境地を試しているからに過ぎない。
「――醜いな」
「……? 何を仰せられます?」
この『生死決』が始まって以来、一度も声を発していなかった六公子様が唐突に話しかけてきた。
「いや、その刀法と歩法よ。伯父上の猿真似……にしても随分と出来が悪い」
「……!!!」
……この世には見え透いた挑発であったとしても引いてはならない時がある。
それはまさに、公衆の面前で家門の独門武功を侮辱された時だ。
「【真炎熱覇刀法】! 絶招! 十日同天!」
「――フッ。多少マシになったが、これではまだ猿真似だな」
覚悟を決めて繰り出した私の絶招は、またしても見たことがない掌法によって破壊される。
今回は【罡気】はおろか、単純な掌力さえも使っていない。
「……バカな」
そこにあったのは化境と超絶頂、いやそれ以上の実力差。
脳裏をよぎったのは、かつて絶頂の境地にあった私が化境の達人である父に稽古をつけてもらった日のこと。
今の一招式からは、それほどまでの実力差を感じ取れた。
「――さて、そろそろ終わりで良いな。新たな武功を少し実戦で使いたかったのだ。嬲るような真似をしたことは許せ」
私が愕然としていると、六公子様は世間話でもするかのように軽く話しかけてくる。
「……」
斯様な軽々しい言葉で死の運命を決定された私だが、しかしもはや抗う余地は残されていない。
まさに神教の根本である『強者尊』を体現したような言葉だった。
「本座の潜魔館はこれで始まった。ゆえにこれの再現を以て終わりとしようと思う。貴様の猿真似とは違うこれでな。――さてなかなか綺麗な終わり方だと思うのだが……どうであろう?」
六公子様が片足を軽く上げると、その身から聖火に酷似した墨色の火が噴出した。
「なんと……」
その一歩は正派の悪夢にして、君臨せし魔神の一歩。
長く語り継がれてきた天魔武芸の象徴。
「天魔君臨歩!」
六公子様が足を振り下ろし、衝撃波と共に襲い来るのは膨大な内功となぜか聖火に酷似した墨色の炎。
ああ……もはや光栄であるな。




