第60話 【三花聚頂】と【化境】の境地
◇◆◇ 天魔神教 天魔仙跡:白蛇原始樹海 第六公子 白眉剣龍 日月慶雲 ◇◆◇
――深い深い闇の中。
――燃え盛る墨色の炎。
――そこに映るのは、一人の少年が辿った数奇な運命を綴る物語。
◇◆◇
少年は他を圧する名家の嫡子として生を受けた。
才気煥発、眉目秀麗、頭脳明晰。その資質に欠けるところはなく、唯一優しすぎることだけが玉に瑕であった。
同族の長老たちにも可愛がられ、誰もがその輝かしい未来を嘱望し、家門に新たなる栄光をもたらす存在と信じていた。
しかし時の流れと共に、それらすべての称賛は過去のものとなる。
かつては数多の使用人に傅かれ、格式高い豪奢な服へと身を包んでいた少年。
しかしいつしかその装いは病人のものへと変わり、侍女が奏でる琴の音のみがその日々の唯一の慰めとなっていた。
仙界にあって不治の病とされる奇病に侵されたその身は、やがて自らが人々の記憶から忘れ去られていくことを、少年自身に確信させていた。
再び時の流れと共に場面が移り変わる。
次に映し出されたのは、毒を盛られ、丹田を砕かれ、俗界へと追放された少年の……否、若者の姿。
彼の周囲には折れた剣が転がり、纏っていた翡翠色の病衣は血と土で汚れ、その全身には幾筋もの裂傷が刻まれている。
如何に病身であろうとも、嫡出子という立場まで失ったわけではない。
そしてそれは家主の座を目指すものにとって、この上なく目障りなものであった。
若者は、地位に目が眩んだ同族の者たちの姦計によって陥れられたのだ。
瀕死の重傷の中、若者は幾度となく自問自答を繰り返し、やがて一つの答えへと辿り着く。
すべては自らの甘さが招いた結果だった。
己の業が己へと返ってきたにすぎないのだ。
涙はとうに涸れ果て、残るは血涙のみ。
若者は復讐を誓い、その覚悟を胸に刻み込む。
――天は彼を見捨てていなかった。
とある奇縁とともに、肉体のみならず魂さえ蝕んでいた病毒は消え失せた。
指一つ動かすことが叶わなかった肉体も、砕かれた丹田と共に完全に回復した。
若者は再び自由を取り戻したのだ。
◇◆◇
《【大試練・武道:化境到達】が達成されました。おめでとうございます。報酬が付与されます》
《『混元値』を200万獲得しました。【法宝・幽影無痕靴】を獲得しました》
「…………」
目が覚めた。
悟りを得た体はいつの間にか結跏趺坐の姿勢を取り、周囲には魂力による結界が張られている。
もっとも本座の張るような基礎操作の応用の産物ではない。もっと精緻で芸術的な、力技ではない技術による高度な結界だ。あらためて言うまでもないことであるが、この結界の作成者は師匠である。
「おお、目覚めたか童よ。随分と苦戦したのう。白蛇の方は妾が適当に蹴散らしておいた。すぐに戻ってくることは無いじゃろう。ちなみに今日で其方が悟りを得てから三日じゃな」
「……お、おお。助かったぞ師匠。随分と長い間無我の境地にあったようだな。改めて礼を言う」
『あの後どうなった!?』だとか、『あれからどれくらい経った!?』などという疑問を挟む隙も無い。
師匠から一息に語られた言葉は、本座が聞きたかったすべてのことが含まれていた。
流石は師匠だ。老練なだけあって、こういうシチュエーションには手慣れているらしい。
「ホホホホッ、律儀じゃの童よ。まあ護法など大した手間でもない。それで無我の境地はどうじゃった? 何か得たものはあったかの?」
「そうだな、随分と長い夢を見ていた気がするが……」
どこかの名家の若者が陥れられ、俗界へと追放され復讐を誓う物語。
夢と言うには妙に鮮明で、物語としては前世で百回は見たようなテンプレ。さらに言えば、あの若者には少し心当たりがある。というより何処かで聞いた話よな?
運気と共に気を体に巡らせ、改めて我が身を確認する。
……ふむ、運気の速度が普段よりも早い。いや、速度もそうだが、一度に流れる内功の量が多い。経脈が太くなったか、経脈の不純物でも抜けたか? だが、それにしても――ッ!?
「む? 百会穴と会陰穴が開いている? なるほど、打通したのか。換骨奪胎ほどではないが、体に残っていた不純物の大半が抜けたようだな。境地は……化境の入気境か」
運気が小周天から大周天へと移り、普段はそこで躓くはずの百会穴と会陰穴さえもすんなりと通り抜ける。すなわち任督両脈の打通だ。
「ホホホホッ、やはり化境の境地に至っておったのじゃな。童は気付いておらぬじゃろうが、【三花聚頂】を成しておったぞ」
【三花聚頂】。
それは武人の【精・気・神】が結びつく境地であり、この【精・気・神】とは上丹田・中丹田・下丹田のそれぞれを指す。
この時、各丹田より立ち上る気が頭頂へ集い、頭の上に三つの花が咲くような現象が起こることから、この境地は【三花聚頂】と呼ばれる。
【換骨奪胎】や【五気朝元】と並び、武人ならば誰もが夢見る憧れの境地である。
「しかし齢十二と少しで化境とはのう……。この俗界の霊気は、仙界と比べて格段に薄い。ここでそれほどの早さであれば、童の才は太初神教の直伝弟子にも匹敵するかもしれぬ。……そういえば童は何を悟ったのじゃ? たしか以前までは超絶頂の熟練止まりじゃったはずじゃの。越階とはまた珍しい」
「いや、ご期待に沿えぬようだが大したことではない。『一つ上に上がる』ためには、『今まで積み上げてきたものを空』にし、『再び満たす必要がある』という、武学を学び始めた子供でも知っているような単純なことだ」
いや、それどころか砂場で遊ぶような子供でも分かっていることだろう。
より高い砂山を作るためには、一度作った砂山を壊し、土台から再び創り上げねばならない。極々単純な理屈である。
「ホホホホホホホホホッ!!! 馬鹿なことを申す出ないぞ、童。武学に限った話ではないがの。世の理というものは、案外単純なものじゃ。しかし同時に聞く側の姿勢が整っていなければ、その単純な理すら何の糧にもならぬものじゃ」
「………」
「そして故にこそ、必要な瞬間に必要なことを伝授できる師の存在が貴ばれるのじゃ。まあこれは妾のことじゃな。ホホホホホッ!!!」
「…………!!!」
ある種の蒙を啓けた気分であった。
必要な時に必要な話をしてくれることで、知識は理解を超え、やがて体得へと至る。本当の意味で助言が血肉となるのだ。
「……なるほど、やはり本座は恵まれておるな。フハハハハッ」
洞窟に二人の笑い声が響く。
師匠のソレは照れ隠しを多分に含んでおり、本座のソレは師匠が恥ずかしがることを承知の上で行う意地悪さが多分に含まれている。
自らを良き師匠と言ったことがそんなに恥ずかしいのか。であれば要らぬことは口に出さなければ良かっただろうに……。
「ま、まあ童の成就の話はもう良い。もう十分に休めたじゃろう。そろそろこの洞窟の調査に戻ろうではないか」
そろそろ照れ笑いも苦しくなってきた師匠が話題を変える。
とは言っても、既に霊薬と霊材、天材地宝の採取は終わっており、白蛇と本座が暴れまわったこの広場ではこれ以上の調査のやりようがない。――白蛇が暴れたことで露見した隠し洞窟以外は。
「ああ、調査とはいうが本題はあれのことであろう?」
本座は首をしゃくり、岩壁に出現した隠し洞窟を指し示す。
「そうじゃ。あの白蛇が隠していた岩を退けねば妾も気づかぬところじゃった。これは何かあるぞ?」
「…………」
開いた洞窟の口からは、ほんの僅かながら血の匂いが漂ってくる。
本座の体の芯まで凍り付くような恐ろしい気配と共に。
「……鬼が出るか蛇が出るか。すでに蛇が出たゆえ、鬼には遠慮してもらいたいものよ」




