第59話 【樹海の王者】<下>
◇◆◇ 天魔神教 天魔仙跡:白蛇原始樹海 第六公子 白眉剣龍 日月慶雲 ◇◆◇
白蛇をふらつかせた、あの全力の一撃。
【万鈞墜山剣法】の絶招『崩岳千重』。
あの瞬間、本座を油断させるために、わざとふらついたのだとも思ったのだが、今冷静に考えるとあれは間違いなく効いていた。
しかし問題は本座の持ちうる天賦と内功、そのすべてを尽くしてなお、即座に反撃が可能な程度に終わったということだ。
『快』や『鋭』の妙理に比べれば、方向性は間違っていない。しかし正解でもないといった感じなのだろう。
「ふむ、どうしたものか。あのような硬い相手は火攻め、水責め、毒、打撃あたりが弱点というお約束があるはずなのだが……」
重剣……まあこの場合は打撃で良いか。それが効かぬとなれば、その辺の別の手段を模索していくしかないか?
しかし多少の空気の流動は確認しておるとはいえ、この水中洞窟で火は危険すぎるな。そもそも白蛇が【寒暑不侵】の境地にある可能性も十分にある。そうなれば並みの火では効かぬし、酸欠狙いではどう考えても果ては共倒れである。
ならば水責めを……と言いたいところであるが、はたして水中洞窟を巣穴としておる霊物にどれ程の意味があるのか。最悪、水中呼吸は当然として、水中機動すらも遅れを取る危険性が高い。これも却下だ。
……毒? フッ、有り得んな。本座の首をかけても良いが、この白蛇は間違いなく【萬毒不侵】の境地にある。むしろそうでなかったら驚く。これは論外だ。
「となればやはり重剣……そこに活路を見出すしかない……か?」
いや、同じ陽剛気功でも炎功ではなく雷功ならばあるいは……いやだめだな。蛇が相手では、地面への接地面が大きすぎてそこから雷気が逃げる。
無論、時間を掛けて浸透させればその限りでは無いのだろうが、あまり長い時を掛ければ水中へと逃げ込まれよう。それだけで更なる雷気の拡散を促せるのだ。
……では逆に陰寒気功? ふむ、【彌陀聖水】の傍で育った霊物に通じる訳がないな。特に【寒暑不侵】の境地を成しておれば通じにくい程度ではない。鱗の表面でも凍らせられれば御の字と言ったところか。
「――ん?」
なんだ? 今どこかに引っかかった……。
「【寒暑不侵】……陰寒気功……いや雷功か? 雷気……接地面? 時間を掛けて浸透させ、れ……ば?」
…………浸透?
「……【血天大羅剣法】か!?」
浸透、すなわち『透』の妙理。
そして、この天魔神教において『透』の妙理を極めた武功を挙げるならば、それは言わずもがな――
七魔の一人・血魔の末裔、血天王家に伝わる独門武功【血天大羅剣法】である。
この武功は、かつて戦った血天王家の嫡孫・王天翔がその戦いの中で繰り出した【血進剣法】の上位に位置する神功絶学。
潜魔館の秘笈書庫、そのさらに奥に存在する内部禁書庫で見つけたお宝の一つである。
……ちなみに内部禁書庫は潜魔の内にあって超絶頂の境地へ至った者しか入ることが許されない。そしてそれゆえに本座と冷仙月にとって誰にも邪魔されない逢引き場所となっている。いや、今は関係のない話だが。
「フッ……」
『透』の妙理とはすなわち透過。
いわゆる『遠当て』や『鎧通し』、中華にあっては『通背撃』や『隔山打牛』と呼ばれる技術の根幹である。思いついてしまえば、これまた硬い敵を相手取る際の定番の攻め手の一つだ。
そして【血天大羅剣法】の最大の特徴は、確実な防御をも突破する浸透の剣撃。
光明は得た。これであれば――
「――ジャアアアアアッ!!!!!!!!!」
咆哮と共に周囲に撒き散らされる膨大な内功。
それは気波となって本座を包み、そこに込められた感情を教えてくれる。
灼熱にも感じられるそれは、泰山の噴火のような極めて激しい怒り。
すぐさま襲い掛かってくる様子からしても、どうやらよほど幻術の迷路がお気に召さなかったらしい。
「ジャアアッ!!!」
「フハハハハハハッ!!!」
白蛇のあまりの威勢のよさに、いつの間にか本座自身もつられて笑っていた。
剝き出しの毒牙から猛毒が滴り、飛び散る毒は本座が嚙みつきを躱すたびに地面を溶かし異臭を撒き散らす。
薙ぐように振られる首は避ける本座を掠めるように岩壁や地面を打ち、密閉空間であるこの洞窟に爆発のような轟音が鳴り響く。
首に存在する毒腺からは濃い霧状の毒が散布され、この洞窟の見通しが悪くなることもさることながら、粘度の強い毒霧が徐々に皮膚へと付着していく。
異臭に轟音に毒霧。
異臭は嗅覚を。
轟音は聴覚を。
毒霧は視覚と触覚と味覚を。
戦いが長引くにつれ、あらゆる感覚が制限を受けていき、もし本座が【法宝・劫圧紫金錠】による弱体化に慣れていなければ、とっくの昔に捕まっていたであろうことは疑う余地がない。
しかし同時に一つの回避、一つの迎撃をこなすたびに冷や汗とともに自らの殻が割れる音がする。やはり死地にあってこそ磨かれるものがあるのだろう。……困ったものよ、楽しすぎる。
「ハハハハハハハッ!!!」
無論、本座もただ成長を喜んで遊んでいるわけでは無い。
肉体は常にぎりぎりの回避と迎撃を実現し、感覚は全力で白蛇の動きを捉え続け、思考は戦闘の流れを予測して白蛇に生じる隙を探し続けている。
当然、本座が求めるものは【血天大羅剣法】を最大火力かつ最大効率で発揮するための絶対的な隙である。
「ハハハハッ! 奪ったぞ、完璧だ!!!」
そしてその隙こそが、まさに今。
数多の思考に裏打ちされた回避と受け流しは、白蛇の胴体が上下逆になるほどの崩しを生み出し、白蛇は何一つ拘束されぬ身にも拘らず、完全に自由を失った……否、本座の手によって完全に自由を奪われた。
「血天大羅剣法!」
それはまさに僅か数秒ほどの拘束無き絶対の牢獄。
「絶招!」
そしてその数秒は。
「血魔再臨!!!」
本座が渾身の一撃を繰り出すには十分すぎる時間であった。
「ジャアアアアアッ!!!」
◇◆◇
「……ぬっ……ぐぅ!?」
身体が酷く重い。そして内功・肉体ともに回復も極めて遅い。
【毒仙龍魂道典】の修練とはまた別種の苦しさがそこにはあった。
身体の重さは筋肉的な疲労もさることながら、もはや思い出せぬほど久方ぶりに内功を使い切った事も大きな原因である。
そして枯渇した内功は【玄魔養生功】の効率を著しく低下させ、その再生能力は平常時の十分の一以下。これでは起き上がることさえ一苦労だ。
「…………ァァァ…………ァァァ」
【血天大羅剣法】を扱う上で最も重要なのは、招式における極めて正確な運気要訣である。
当然、これは内功の量が増加するにつれ難易度が増し、三甲子(180年)を超えるほどの内功を扱うとなれば、一時的にその運気にのみ集中する瞬間が必要不可欠。本座が数多の思考の末に行動を組み上げ、白蛇の自由を完全に奪ったのはそれゆえである。
「ふぅ……ふぅ……」
かようにして内功が枯渇する勢いで放たれた【血天大羅剣法】が絶招『血魔再臨』。
その一撃は確かに白蛇の白鱗と頭蓋を透過し、その奥にある脳を激しく揺らした。
「……ク、ククク」
しかしそれでも流石は【樹海の王者】。
本座の一撃はその命を奪うには、あと一歩及んでいなかった。
「シャァァ……シャァァ……」
「フッ……フハハ……」
しかしこれもまた想定の範囲内。
本来、【血天大羅剣法】とは化境以上の境地にある者にしか十全に扱えぬほどの深遠な剣法。いかに本座が様々な天賦を保有していようとも、未だその境地が超絶頂にある以上その縛りからは逃れられない。
そしてそのことを想定していたからこそ、次の一手は備え済みである。
「『瞳術開眼』。【月欠無窮】第一章・幻夢眼」
肉体と内功はすっからかんだったとしても、本座には第三の刃である魂力が残っているのだ。
「『派生技・恐々慌々』」
先ほどはわずかな時間で抜け出されたが、脳が揺らされ茫然自失の状態にある今回の白蛇にそれは困難。
先ほどの『派生技・迷々道々』が終わりなき幻術の迷路へと引きずり込むものであるならば、今回の『派生技・恐々慌々』はその生物が最も恐れる怪物の幻覚を眼前へと表すもの。
とどめを刺せぬのは業腹であるが、今この時ばかりは仕方がない。本座への恐怖を叩き込むのが精々である。
「……ジャ? ジャジャ? ジ、ジャアアアァァァ!?!?!?」
流石は【樹海の王者】。すべてを超越し今の座に至っただけあって、なんとも怖いもの知らずらしい。そしてゆえにこそ、強制的に恐怖を与えるこの瞳術は相当に効果覿面であるようだ。
「フハハハハッ、なかなか良い様よ。……しかし予想通りとはいえ、内功を空にする勢いで使っても倒せぬとはな。枯渇するのは子供の時以来か?」
体を震わせ徐々に恐慌状態に陥りつつある白蛇。
それを愉快な見世物としつつ、本座は自身の肉体の状態を確認した。
「一年どころか半月分も残っておらぬな。……いや徐々に増えている? なんだ、何処から――」
一滴残らず枯渇したはずの丹田に、何処からか湧き出すようにして内功が戻ってくる。
ふむ、外部からではないな。これは……細脈? 以前吸収しきれなかった霊薬の気が細脈に残っておったのか?
「ハッハッハ、『身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ』とはよく言ったものだ」
どうやら一度丹田が空になったことで、身体中の細脈に残っていた霊薬の気が弾き出されたらしい。
普段のようにただ運気をしていただけでは、絶対に起こりえない現象である。本座の運もなかなか捨てたものではない。
ちなみに一番奥深くに存在する気は【空清石乳】のものだ。確か本座がアレを吸収したのは未だ二歳の頃か。実に懐かしい。
「すべてを空にしたからこそたどり着けた……こと……」
……………………。
「…………ッ!?」
その時、本座の脳内に電流が走る。
あるいは聳え立つ高い壁を打ち壊した瞬間。
あるいは濃霧の中で正しい道を見つけた瞬間。
これは『悟り』だ。
「…………」
未だ脅威を消え去っていないと、どこか冷静さを捨てきれない本座の思考が警告を発する。
いつの間にか瞳術による影響を逃れ、何故か普通の蛇ほどに小さく(?)なった白蛇が動き出している。
このまま『無我の境地』に入るのは、己の命を差し出すも同然だ。
「――ホホホホッ、世話の焼ける童じゃの」
「…………」
そこからはもう何があったのか覚えていない。
本座が意識を取り戻したのは三日後のことだった。




