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第56話 【萬毒不侵】と白蛇の巣穴

◇◆◇ 天魔神教(てんまじんきょう) 天魔仙跡:白蛇(はくじゃ)原始樹海(げんしじゅかい) 第六公子 白眉剣龍(はくびけんりゅう) 日月慶雲(じつげつけいうん) ◇◆◇



 出血毒……神経毒……細胞毒。


 腐食毒……麻痺毒……幻覚毒。


 熱毒……寒毒……精神毒。


「(深く……さらに深くだ)」


 ――血圧低下、めまい、頭痛……出血毒……ヘモトキシン……蛇毒か。

 ――口唇・末端部の痺れ、呼吸障害……神経毒、それも遅効性……テトロドトキシン……フグ毒だな。

 ――火傷の痛み、しかし熱によるものではない……腐食毒……濃硫酸……いや濃塩酸か?

 ――ヒ素に辰砂、トリカブトにカエンタケか。鉱物毒に植物毒、胞子類もあるな。


「(…………)」


 本座がいるこの場所は【万重(ばんじゅう)轟毒湖(ごうどくこ)】の下層【千重(せんじゅう)鬼毒(きどく)】。

 その中でも最も深い場所であり、水流の変化によっては稀に最下層【万重轟毒】の霊水が混ざる超危険水域である。


「(……ぐぅっ!)」


 しかし水流が穏やかな日であっても危険なことには変わりはない。

 『千重水』が持つ凄まじい圧力は、本座の肉体を圧迫すると同時に千の毒を侵入させんとし、ついには【覇体恒星身】さえ突破して毒が肉体へと浸透する。浸透した千毒は【毒仙龍魂道典】へと吸収される前に皮膚や筋肉の細胞を破壊し、本座の肉体はそれに対抗する形で【玄魔養生功】の超再生と共に【覇体恒星身】による幾重もの錬磨が重ねられていく。

 ……ちなみにこの毒を吸収する修練で個人的に一番きつかったのは血液凝固毒だ。血管の中で血液が徐々に粘性を帯び、ゼリーのようになっていく感触は如何とも表現しがたいものであった。


 閑話休題。


 この修行における肉体の破壊と超再生の効果は極めて大きく、たしか【覇体恒星身】が十一成へとたどり着いたのは二ヶ月近くも前のこと。本座も、あるいは『重水』による圧力がなく『毒』のみ負荷であったとしても、外功の修練としては十分な効果が得られたのかもしれないとも思うほどである。……ああ、これはついでであるが熱毒と寒毒を克服する過程で【寒暑不侵】の境地にも達している。以後は極寒の地も灼熱の地も、本座にとっては平地と変わらぬゆえそのつもりで。


「(……ふぅ)」


 さてそんな一見苦しくも順調そうな本座の修行の日々。

 だがそこには一点の……いや二点の悩みの種が存在する。


 それこそが【毒仙龍魂道典】と【四海覇皇道典】。この二つの功法は即ち――


「(難しすぎる……っ!!!)」


 ――諸君らはいつか師匠が言っていた、『しかし相当に難解な功法であったのではないか? 入門段階である一層にたどり着ければ御の字と言ったところではないかの?』という発言について覚えているだろうか?


 本座が習得した御獣訣が【万古通霊道典】であったと知ったときの師匠の発言であるが、この時は確か【万古通霊道典】の成就段階について話が逸れていき、本座も師匠もこの言について蒸し返すようなことは無かった。しかし今、本座はあの時もう少し掘り下げて話を聞くべきであったと後悔している最中である。

 確かに【万古通霊道典】は、当時本座が習得していた功法の中でも群を抜いて難解な功法であった。しかしそれでも功法の特性から、その難解な部分の大半を神獣たる瑞麟が受け持つ形となっており、本座自身、難解といえば難解だが取り立てて騒ぐほどではないとも感じていた。


 ではここで諸君らに一つ問いを投げかけよう。

 ならば件の【万古通霊道典】を凌駕するほどに難解な功法を、手助けも役割分担もなく、まったくのゼロから学ばねばならぬとなればどうなるのか?


「(難解にもほどがある。この本座が、どちらも未だ一層にすらたどり着けぬとは……)」


 師匠をして難解と言わしめるだけあってか、この二つの功法は俗界のあらゆる功法とは次元が違う深さを備えていた。

 そのすべてを学ぶことを大海に例えるならば、今の本座は波打ち際で足をパチャパチャとさせて戯れているのが精々。これでは一層すら満足に成しえぬのも当然である。


「(……まあ【毒仙龍魂道典】はまだ良いか。【四海覇皇道典】……問題はこやつよな)」


 だがそれでも【四海覇皇道典】に比べれば【毒仙龍魂道典】の方は幾分ましである。

 【毒仙龍魂道典】は本質は『毒道』であり、これにはかつて手に入れた毒耐性である【千毒不侵】の体質も含まれる。さらに言えば、この体質を手に入れるために服用した【天毒てんどく龍丹(りゅうたん)】は数々の毒薬を混和させた丹薬。その本質は限りなく劣っているとはいえ【毒仙龍魂道典】に近しいものがあった。


 とはいえ【天毒龍丹】は既に服用してから相応の年月が経っており、当然丹薬の吸収はとうに終わっている。だから何だと言われればそれまでであるし、今回のことがなければ本座も思い出すようなことは無かったのだろう。

 ゆえに本来無関係であるはずのその丹薬が、いや正確にはその丹薬の吸収を免れただけの残り滓が、規格外の超越功法と言える【毒仙龍魂道典】の根幹の一部と成りおおせたのは、凄まじい偶然……いや一種の奇跡だったのだろう。


「(なればこそ【毒仙龍魂道典】はまだ良い。無論【万重轟毒湖】のような練功に適した場所という地の利があったことも大きかったのだろうが、何より取っ掛かりを掴めたというのは素晴らしいことだ。しかし――)」


 しかし【四海覇皇道典】は違う。

 水中での動き方に始まり、水中での呼吸法や水中・地上を問わず使用できる水の操り方、そして水と言う物質そのものへの理解。得たものがないわけでは無く、むしろ結果だけを見れば【毒仙龍魂道典】よりも多くのものを得ているようにも見えるのかもしれない。

 だがこれらはすべて【四海覇皇道典】の始まりに付属した雑技のようなものであり、功法の根幹とも言える部分については未だ触れることはおろか、その本質が霧の中に包まれているような状態なのである。


「(まあ構わぬと言えば構わぬか。たとえ一層まで達せずともすでに水中で魚に追いつくだけの機動力は手に入れた。しかもこの【万重轟毒湖】内に生息する準霊物とも言える魚に、だ)」


 更に言えばその準霊物の魚の身を食べることで一層の半分程度には達した。まともな補助もなくここまで来れたのだ、及第点と言っても良いのかもしれない。

 ゆえに【四海覇皇道典】については、ここらへんでいったん打ち切ろうと思う。まずは【毒仙龍魂道典】で毒への耐性を上げ、【覇体恒星身】で肉体を強化することを優先するのだ。


「(やはり【四海覇皇道典】は海でこそであろうな。将来……まあ何時のことになるかは分からぬが、海南島の海南剣派でも攻め落としに行こう。そして血を落とすついでに海水浴だ)」


 ――そんな物騒な決意から数日。

 拠点を築いてからは三ヶ月が経った日、ようやく【毒仙龍魂道典】は一層へ到達し、同時に本座の肉体もまた【覇体恒星身】十二成、そして【萬毒不侵】の境地へと至ったのだった。



◇◆◇



「では行くか。師匠!」


「うむ!」


 本座が【覇体恒星身】十二成と【萬毒不侵】の境地に達した次の日。本座と師匠はかの白蛇の巣穴へと攻め込まんと気勢を上げていた。なお、この三ヶ月の修行中に【宝鑑天瞳】の光を辿り、かの白蛇の巣穴は特定済みである。


 少し意外なことにと言うべきか、蛇の巣穴は中層【百重(ひゃくじゅう)刑毒(けいどく)】に存在し、どうせ一番奥の最下層の深くまで潜らねばならぬのだろうと考えていた本座にとっては少々肩透かしであった。……まあ、だからといって毒と『重水』の湖の中を泳がねばならぬということは変わりはないのだが。


「――といっても妾は毒などに浸かる気はない! 腕輪の中で応援しておるぞ。頑張るのじゃ童!」


「……うむ」


 そして今、毒に塗れることを嫌がった師匠はさっさと至黒麟龍環の中へと引っ込み、気勢を上げているのは本座一人になってしまった。

 ……いつまでもこうしていても仕方がないな。さっさと行くか。


「……」


 ああ、そうだ。念の為。


「『アンテ』」


 合言葉を唱えて装着していた三種の【法宝・劫圧紫金錠】を解除し、三ヶ月ぶりとなる自由を取り戻す。

 此度の相手たる白蛇は師匠の感知すら阻むほどの隠密性を誇る霊物。そしてその巣穴への突入を目的とする以上、巣穴近辺での遭遇戦の可能性も十分にある。

 無論、本座がこの枷を解いたとて感知できる可能性は低いが、それでもできることをやっておかねば悔いを千載に残しかねん。真、自分の弱さが嫌になるわ。


「……ふむ」


 潜魔館より与えられた試練である『毒蛇の霊物の内丹の採取』。本座はそのために毒功と水功を身に付け、相応の備えを積み上げてきた。


「フッ、何故かな?」


 しかし何故だろうか。これから向かう先には毒蛇の内丹などとは比べ物にならないような奇縁が待っている気がする。

 本座は胸を躍らせて【万重轟毒湖】へと飛び込んだ。


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