第54話 【魔泉心法】の真の名と【太初神教】
◇◆◇ 天魔神教 天魔仙跡:白蛇原始樹海 第六公子 白眉剣龍 日月慶雲 ◇◆◇
昨日は結局、湖に降りる前に立っていた崖に狭い横穴を掘ることで一夜を過ごした。一応、魂力の基本的な操作による簡単な結界付きである。
もし仮にまともな陣核となり得るものがあれば……いやそうでなくとも、もう少しだけ時間があればそれなりの防御陣法を敷けるのだが、昨日は流石に時間がなかった。朝早くにこの仙跡に来たとはいえ、その後三人の巨魔の襲撃に【霊物】&【霊薬】捕獲採取ツアー、そして白蛇の追跡と散々に時間を使ったがゆえである。
とはいえ魂力による簡易結界も昨夜限り。今日でこの横穴を広げて空間を確保し、同時に師匠直伝の陣法を敷いて拠点化を進める所存である。……というか、昨夜張ったような簡易結界は魂力の消耗が酷く激しいのだ。正直なところあまり連続してやりたいものではない。
そして本座は作業を進めながら、師匠に昨日の話の続きを振ることにした。ちなみに穴を掘る武功はモグラの形象拳を基とした魔功【鼹魔功】だ。
「――そういえば師匠。覚えておるか?」
「ん? なにがじゃ?」
例によって例のごとく、作業を手伝うことなくぷかぷかと浮かんでいる師匠。
もっとも雑務は弟子の仕事であるし、今回の作業は本座の拠点を作るためのものだ。師匠としても文句を言われる筋合いはないのだろう。……いや、そもそも文句を言われるなど考えてすらおらぬよな。本座は大人しく土にまみれるとしよう。
「昨日のことだ。たしか天魔神教の基礎心法たる【魔泉心法】のことを俗界用に再編されたものと言っておったな? つまり言い換えれば、魔泉心法には真の姿が存在するということだ。やはりそれこそが【天魔神功】なのか?」
昨日の問答の中で新たに発生した疑問、『俗界に合わせて再編されたものが魔泉心法ならば、その源流となる功法は何か?』。本座はそれに対する答えとして【天魔神功】と解いた。
――ただしこの答えは間違っているはずだ。【天魔神功】が再編される前の【魔泉心法】であるのであれば、その成就段階は『成』ではなく『層』で表すことになる。しかし現実には【天魔神功】は『成』でその境地を示しており、そこに矛盾が生じている。
「…………」
「どうした師匠? 本座には話せぬようなことなのか?」
しかし事は神教のすべての武学の根本に触れるような重要な事柄。
簡単に教えられることとは限らぬし、師匠の気紛れではぐらかされる可能性もある。
そしてなればこその問いかけが先の見え透いた間違いの一言だ。もし師匠に間違いを修正したいという気持ちが生まれてくれれば、それが口を軽くしてくれると本座は期待しているのである。
「うーむ……まあ良かろう。本来であれば魔尊未満……玄境に至らぬ者に話してはならぬのじゃが、童には特別にの」
些か渋ってはいたが、無事話してくれる気になったらしい師匠。本座の小賢しい話術も少しは効果を発揮したのかもしれぬ。
「それは有り難いが……良いのか?」
「うむ、どうせ時間の問題であろうしの」
いや、それ以上に師匠の本座に対する期待の大きさがものを言ったようだ。これは少々恥ずかしい。
しかし玄境か……未だ化境にも至らぬ身なれば、流石に今少し時間をもらうことになりそうなのだが……まあ大丈夫か。師匠の期待を裏切らぬように励むのみよ。
「それで? やはり【天魔神功】という本座の予想は外れか?」
「ホホホッ、なるほどの。先ほどの物言いはワザとじゃったか。――そうじゃのう、何処から話したものよな……天魔神教の開派祖師・【始天魔祖師】がその出自を仙界とすることは知っておるの?」
「ああ。たしか始天魔祖師はとある使命によりこの俗界に降りて参られ、この天魔神教を創り上げられた……だったか?」
本座のこの辺の知識は幼魔館で習ったものだ。そして一度でも見聞きした情報を忘れぬのは本座の【三頭千魔】の【天脳覚知】の能力。
しかし幼魔館で記憶を封じるのは自己の由来を曖昧にして神教への依存を強めるという目的がある。ゆえにこの頃に教えられたことは例え月日が経っても忘れる者は少ないと聞く。……まあ、記憶を封じられていなかった本座以外の場合は、という話だが。
「使命……のぅ。まあ、始天魔祖師の御威光のためそのように語られておるのじゃが、実際のところはかなり違う。真実は陥れられて俗界へと追放されたのじゃ」
「…………」
これは意外な真実……でもないのかもしれない。
元々仙界の人である始天魔がなぜ俗界にいたのかという疑問はあった。幼魔館では使命などというもっともらしい語り口で教えられたが、それとて違和感がなかったわけでは無い。
仙界から使命として降りてきて天魔神教を創り上げたのであれば、その後は創っただけで満足して仙界へと帰ったことになる。それでは中途半端も良いところだ。これはあくまで印象の話に過ぎぬが、この俗界を天魔神教一色に染め上げるくらいが仙界からの使命としては妥当なように思える。
「始天魔祖師の本来の身分は仙界の太初神教を支配する長生天家の嫡子。その父親は太初神教の教主にして、長生天家の家主じゃ。始天魔祖師は後継者争いの渦中でその存在を煙たく思っていた分脈の者に毒を盛られ、瀕死の状態で俗界へと追放されたのじゃ」
「……なんと――」
なんと……いや本当に何と言っていいのか分からぬな。確かにこれは魔尊以上の者にしか伝えられぬような極秘案件だ。
……いや、そうか。元々の話の筋は【魔泉心法】の源流。であればその由来は――
「そして始天魔祖師が仙界に戻られてからは、この天魔神教は太初神教の外門宗派の一つ。……まあここまで言えばわかったじゃろうが、【魔泉心法】の源流は太初神教のものじゃ。その名を【太初真魔仙典】。太初神教では真伝功法として教えられておる。……もっとも【魔泉心法】はその途中までじゃがの」
外門宗派……【太初真魔仙典】……真伝功法……。
いやこれもまた驚愕の真実。正直なところ、どこに驚きの焦点を当てればよいのか分からぬほどだ。
先ほどの話も相当な極秘案件であったが、しかしこれこそが真の重要秘匿事項。仙界に昇ることが予定される魔尊以上の……玄境以上の者にしか伝えられないことだ。
「……まさかこの神教が仙界の宗派の下部組織だったとは……」
繋がりがあることは知っていたのだが、まさかここまでとは……。
「ホホホホッ! ……時に童よ。七魔の一人である音刀魔尊……刀魔の名前を知っておるかの?」
「? ああ……確か『木泉』であったか?」
突然師匠は脈絡もなく、七魔の一人・刀魔の名前を聞いてきた。……いや本当に何の脈絡もないな、刀魔に何かあるのか?
「ホホホッ、ではその出自は?」
「……そういえば、刀魔はその出自がはっきりせんな。同じ七魔の一人である魂終魔尊……魂魔はあらゆる記録が消されているゆえさておいたとしても、刀魔はその血脈も武功も伝承している。記録が消されているというわけでは無いはずだが……何故だ? 実子も弟子もいたというのに……」
「ホホホホホッ! それは刀魔の出自が始天魔祖師が仙界にあったころから仕えていた侍女だからじゃ! 長生天家の嫡子という仙界でも有数の高貴な身分にある始天魔祖師に、身分違いの想いを寄せていた侍女! 始天魔祖師が俗界に落とされてからは、それを追って来て仙界の眼が届かぬことを良いことにまんまとその夫人の座を射止めた! どうじゃ童よ、なかなか痛快な女じゃろう! ホホホホホホホッ!!!」
「…………」
何故か唐突に恋バナが始まってしまった!
……まあ師匠が可愛いので許す。
「ゆえに【魔泉心法】の名の由来は、あらゆる魔功の源泉と言う意味もあるのじゃが、同時に自分を慕う『木泉』の名を残したかった始天魔が『泉』の字を使ったという裏話もあるのじゃ。こちらも面白いじゃろう」
「……そうだな」
ああ、この恋バナは一応【魔泉心法】の話の続きだったのか。忘れ去られたわけでは無くて安心。
しかしそうだな……確かに始天魔祖師の愛妻家的一面が知れたことは面白いのだが、これを子孫に知られていることについて始天魔祖師はどう思っているのだろうか? あるいはむしろ自分から喧伝しているような、そんなずば抜けた愛妻家だったりするのか? だとしたらイメージが変わるな。
「ちなみについでにもう一つじゃ。始天魔祖師は第一夫人である剣魔・冷謡月の名も残そうとし、それでできたのが『日月宮』じゃの」
「……月しか残っておらぬが?」
というか既に【魔泉心法】関係なくないか? さらに愛妻家イメージが強くなるぞ。
「元々は『謡月宮』の予定じゃったが、剣魔本人が嫌がったため『陽月宮』に。そしてそれも恥じた剣魔が勝手に名前を変えたのが『日月宮』じゃ。――『清浄光明 大力知恵』。日月とはすなわち『明』の字じゃ。まあ巡り巡って神教に相応しい名になったということじゃな」
「そうだったのか……」
始天魔祖師のイメージはともかくとして、こういう裏話は確かに面白い。何故か始天魔祖師の裏話暴露になってしまっておるが、この話は『日月』慶雲として自身の名のルーツを知れたという思いだ。ファミリーヒストリーというやつもこんな感じなのか?
「――さて、そろそろこの横穴も広げ終わったの。確かここを拠点とするために陣法を敷くのじゃったか?」
「ん? あ、ああ、そのつもりだ」
半ば無意識に体を動かし続けていた本座は、既に予定した範囲の穴掘りを終えていた。大体25メートルプールくらいの広さだろうか? これ以上は快適性よりも崩落の危険性の方が大きくなる。
「であればお喋りは此処までじゃな。妾もしゃべり疲れた。童ももう良かろう?」
「フッ、ああ。何だかんだと寄り道が多かったが【魔泉心法】の疑念は氷解した。感謝する、師匠」
師匠が宙を泳ぎ回るのをやめ、至黒麟龍環の中へと帰ろうとしていく。ミュージシャンの如く充電期間がいる師匠なのだ。
「そうじゃ。最期に二つ」
「ん?」
しかし師匠は腕輪に入る寸前で動きを止め、こちらに振り返った。
「始天魔祖師は、現在の太初神教の教主にして長生天家の家主じゃ。妾のように仙界に昇った者は何度か拝謁しておる」
「……ほう?」
幼少の頃……というか、未だ赤子であった頃にもしかしたら始天魔祖師に会うことができるかもしれぬと思ったものだが、そうか、今はそのような地位にあるのか。
「そして、天魔神教の教祖家系……すなわち『天家』に生まれた者でも天魔の座に就かねば天の姓を名乗れぬのはそういうわけじゃ」
「……?」
いや意味が分からないが? まあ始天魔祖師の現在の身分には多少驚きはしたが、ただそれだけだ。
「天魔のみが名乗れる天の姓は仙界の長生天家の天でもある。ゆえに誰でも名乗れるわけでは無いし、その名には深い重みと相応の権利があるのじゃ」
「…………???」
師匠には珍しく回りくどいな。もっとはっきり言ってくれ。
「ホホホ……、天の姓を名乗る資格のある者は『長生天家』の『継承権』を持っておるということじゃ。同時に『太初神教教主』の『資格』も……」
「――ッ!?」
それはそれは……これまたとんでもない爆弾を投げてよこしたものだ。しかし同時にストンと腑に落ちるものも感じる。
【覇君賢王システム】。
覇君と賢王の姿を併せ持つ優れた君主を育てるシステム。
与えられる功法は凄まじい物ばかりで、天魔神教の教祖では些か役不足(誤用にあらず)の感が否めない。
天魔神教教祖、そして長生天家家主、太初神教教主。
そうか……これこそが本座の歩むべき道か。
「(ホホホッ、また何かあったら呼ぶが良い)」
そんな師匠の声をどこか遠くに聞き、ふと気づいた時には既にその姿は腕輪の中へと消えていた。




