第50話 【万重轟毒湖】と【乾坤鎮域】と【宝鑑天瞳】
◇◆◇ 天魔神教 天魔仙跡:白蛇原始樹海 第六公子 白眉剣龍 日月慶雲 ◇◆◇
「師匠、どうだ?」
健闘虚しくと言うべきか、残念なことに白蛇の追跡は失敗した。
いや正確には入り込んだ区域までは絞ることができたのだが、そこから先の痕跡が途絶えてしまったのである。
ここから先の地形はかなり特殊な場所のようで、少なくとも本座の【超感覚】でも【黒龍六眼】でも追うことができぬ。当然これは、普段装着している【法宝・劫圧紫禁錠】を外しての状態でと言う話だ。今日は明らかに襲われると分かった段階で外してある。
「うーむ、どうにも難しいのう。そもそも妾はその白蛇を見ておらぬからの。どうしても辿ることのできる縁が薄いようじゃ」
「そうか、師匠でも難しいか……」
「ここに本体が居ればのう……いや、そうでなくともここが外であれば蛇の放つ陰気を追えば良いだけなのじゃがなぁ。今の妾……というよりこの【見欲魂体】は魂力第八位階程度でしかないからの」
さらりとこの魂体師匠の魂力位階が判明したりもしたが、残念ながら問題の解決には至らないようだ。
……というか魂力第八位階程度って……。単なる好奇心でしかないのは承知の上であるが、師匠の本体の境地が俄然気になってくるな。
「それよりも童よ、気付いておるかの? ここはなかなか尋常な場所ではないようじゃぞ? 妾としては白蛇の行方よりこちらの方が気になるの」
「……ああ」
眉をひそめた師匠の鋭い言葉に本座は好奇心から眼前の地形へと意識を引き戻す。
眼下の崖の下に広がるのは群青色に染まる一見綺麗な湖。
しかし発される陰気と毒気は異常そのものであり、毒気が災いしてか周囲百メートルには草木一本生えていない。
言い換えれば、本座にとっては少し過剰に陰気と毒気が溜まっているという程度の認識であるが、あるいは眉をひそめている師匠の眼にはもっと悍ましい別の何かが映っているのかもしれない。
「『鑑定』」
〇【万重轟毒湖】
<分類>:霊泉
<概要>:万重水と萬毒を含む禁断の霊湖。湖水を構成する『重水』は重水素と酸素が結合した科学的な意味の重水ではなく、通常の水より遥かに高い圧力を内包する特殊な霊水の一種。湖内の毒と『重水』は比重ではなくその強さにより層を構築しており、上層・中層・下層・最下層と下に行くほどその毒性と圧力が強くなる。
<構成>上層【十重細毒】 中層【百重刑毒】 下層【千重鬼毒】 最下層【万重轟毒】
「【万重轟毒湖】か、その名に恥じぬ凄まじい毒気よ。最下層ともなれば、【千毒不侵】とて耐えきれまい……」
「そうじゃのう。妾もあまり近づきたい場所ではないの」
顔を顰めた師匠がいつになく即座に追従するのを聞き、そんな場合ではないと知りながらも少し笑ってしまう。
どうやら眉をひそめていた先ほどよりも不快指数が上がっているようだ。本座には不可思議に感じはするが、不快という意味では大したことがない。いったい何が見えているのやら……。
いや桃が邪気を払うというのは有名な話だ。そして【瑶地重瞳】の力の源泉は西王母であり、西王母と言えば蟠桃園の主。師匠は【瑶地重瞳】を通して、【万重轟毒湖】から発せられる邪気が見えているのかもしれない。
「まあどちらにせよだ。やはり近づかぬ方が無難、よ……な?」
「――ん? どうした童よ?」
「……ふむ。いや、そうか。段階的に強くなる毒と圧力か」
……なるほど。これほどの毒気であれば毒耐性向上のための修練場としても申し分ないし、圧力の発生する『重水』は外功のための修練道具として最適だ。その上で本座はもとより師匠の感知すら効かない場所なのだ。追手の目を欺く隠れ家としても優れているとなれば、まさに誂えたように丁度良い場所よ!
「決めたぞ師匠! これはまさに天の采配だ!」
「お、おぉ……何を決めたのじゃ? 妾とてつもなく嫌な予感がしておるのじゃが……」
「本座は今日からここに住む!」
強い眼差しを湖に向けて高らかに宣言する。
……その後、邪気を嫌った師匠からは幾度も再考を促されたことは言うまでもない。
◇◆◇
「考え直せ、童よ! わざわざこのような不快な場所に住むことなど無かろう!? 普段はそれこそ巨木の洞(元大ムカデ住処)か温泉の傍(元毒カエル住処)にでも住んでおって、修練の時だけここに来ればよいではないか!?」
師匠が見たことも無い必死さで、本座に翻意を促してくる。余程この場所が嫌らしい。
「いや他の場所では些か遠かろう。修練効率が悪い。ここであれば崖の側面に穴を掘るだけで住処とできようし、焔牙魔君が来たとしても湖に入るだけで隠れることができる。流石に見つかった状態であればどうにもならぬが、それはどこであっても同じことだ」
そんな必死な師匠には悪いが本座にも考えあってのことだ。残念ながら引く気はない。
「……で、では妾がその焔牙魔君とやらを直々に撃退してやったらどうじゃ?」
「ほう……?」
師匠はこれまで本座への襲撃者に対しては力を振るったことがない。無論、そのことに本座も異存はないし、文句を言ったことも無い。それが本座のためになると考えた師匠と本座の不文律であったのだ。
しかし、それを覆すほど嫌なのか……まあ、この決定を変える気はない。いかに利があろうとも、『だが断る』というやつだ。
「師匠の手出しは無用だ。禁じ手も良いところであるからな。それにどちらにせよ、本座は毒蛇の霊物を探さねばならん。――見よこの湖を。陰気と毒気に満ち満ちている。ここはまさに蛇にとっての別天地よ」
「それは……そうなのじゃがのう」
別天地……すなわち蛇の楽園だからこそ、蛇の霊物を探すに相応しい場所であるという本座の言外の主張に、師匠の舌先が鈍る。
「(――♪)」
そんな絶対に住みたくない師匠と絶対に住みたい本座が押し問答となったとき、どこからともなく音が聞こえてきた。
「――――♪」
調和のとれた和音を響かせる美しい鳴き声。
それはどこか心地の良い残響を残し、本座と師匠の心に安らぎをもたらした。
「「……」」
本座と師匠が音のした方に振り向くとそこは目の前にある崖の下。
【万重轟毒湖】の湖面の上には、一匹の獣が立っていた。
体高は四尺(120センチ)ほどで、形は鹿、顔は龍に似て、牛の尾と馬の蹄をもつ。その体表は鱗と毛が混在した混合皮膚。そして息を吐く度に彩雲がかかり、頭にはそれなりに成長した角がある。
それはまぎれもなく麒麟である。
……麒麟だと? お前も外に出てきたのか!
「『瑞麟』! 何をしている、危ないぞ!?」
本座は即座に崖の端まで駆け寄って『瑞麟』へと注意を促す。
『瑞麟』というのは、本座の伴生神獣である麒麟につけた名前である。
天に現れる吉兆たる現象の『慶雲』に対して、地に現れる吉兆たる存在の『瑞麟』。完璧に噛み合ったなかなか綺麗な名前だと自負している。
残念なことに未だ言葉は話せぬようだが、【万古通霊道典】を通して感情や思考が伝わってくる。
今も『毒の弱い上層とはいえ危険だ』という、本座の注意喚起は何処吹く風で、名前を呼ばれて嬉しいという感情だけが伝わってきている。まあまだまだ子供だ。
「――――♪」
またも鳴き声と共に伝わってきた感情と思考。
今のも特に主語は無く、ただ『任せろ』と意気込んでいる。
「なんだ? なにを――」
意図が掴めぬ本座の質問を聞き終えることなく。
瑞麟は大きな鳴き声と同時に、湖の上に立っていた足を踏み鳴らした。
「――――――♪♪♪」
◇◆◇
湖面には波紋が広がり、波紋と共に未知の力が走り抜けていく。
それと呼応するように湖が発する陰気が弱まり、どこか清浄な気配さえ漂い始めた。
「……これは」
「ホホホッ、流石は神獣じゃのう」
本座は言葉を失い、師匠は感嘆の籠った笑い声を漏らす。
目の前の景色は一見何の変化もない。しかし感じる気の性質は大きく変化していた。
「今のは麒麟族の独門神通の【乾坤鎮域】じゃ。一定領域の天地を鎮め、災厄を抑制する力があると言われておる。妾も見るのは初めてじゃが、見事なものじゃのう」
「――♪」
師匠が驚くほどのことを成した瑞麟だが、外見も内面も特に何も変化はない。【万古通霊道典】からは、ただ一仕事終わらせたような爽快感が伝わって来るのみだ。
しばらく自らの仕事ぶりを確認するように辺りを見回していた瑞麟だが、またすぐに本座の方へと振り向いた。
「――――♪」
「瑞麟……今度は何だ? また『任せろ』?」
今度は何をするつもりかと、本座をして些か戦々恐々としながら瑞麟に問いかける。どうにも瑞麟の能力は本座の想像を遥かに超えていたらしい。
「――――♪♪」
「『白蛇』? 『追いかける』?」
いい加減に崖の上から見下ろすのもあれなので、湖面の上に飛び降りて話を続ける。
残念ながら本座の軽功は『水上立』の境地には至っていないので、『水上飛』で湖面を飛び回りながらだ。実に締まらない。
ちなみにこの『水上飛』の境地を成す妙理を『踏波飛燕』と言う。今の本座の間抜けさとは裏腹にかなりかっこいい名称である。
「ホホッ、あれの追跡を請け負うというのじゃな。しかしどうやるのじゃ?」
「――――♪」
師匠もついてきて話を続ける。どういう理屈か、師匠も瑞麟の感情がある程度わかるらしい。……ああ、今の鳴き声は『見てて』だ。
「――――♪♪♪」
「ほう?」
「ホホホッ」
再び鳴り響く大きな鳴き声と共に瑞麟の眼が光り出し、群青色の【万重轟毒湖】に一筋の光の道が出来上がる。
光の道はゆらゆらと揺れるように動き、その先は湖の深層へと進んでいった。
「これは財宝を感知する天賦、【宝鑑天瞳】じゃの。ホホホホッ、良い友を持ったの童 」
自分のできなかったことを目の前で易々となされて自尊心が傷つけられたのか、どこか自虐の籠ったからかいを向けてくる師匠に本座は肩をすくめる。
まったくだ、本座には出来すぎた友であるな。




