第47話 幕間:【萬術天魔】・【天桃琳】<下>
◇◆◇ 天魔神教 潜魔館 第八階層 秘笈書庫 第六公子 白眉剣龍 日月慶雲 ◇◆◇
『見欲魂体じゃ(ドヤッ)!』
……などと言われたところで、残念ながら前提知識のない本座にはただ分からぬことが増えただけでしかない。
結局一からすべて説明してもらうことになり、さらに一つの説明が終わるたびにまた分からぬことが湧いて出るので、すべての説明が終わる頃には相当の時間が経過していた。
一応、話の途中で弟子入りに関しては認めてもらえたので、情報収集以外に何の収穫もなかったというわけでは無い。
「つまり話をまとめると、師匠は【萬術天魔】天桃琳祖師の分身……魂体のひとつで、今は天魔神教の護宗大陣である【天外神魔大陣】で『陣霊』をしていると」
「うむ」
師匠は軽くうなずく。
『陣霊をしているって何だ?』と自身の発言に疑問を覚えたが、そこまでこだわり始めると話が進まないのでここはスルー。
「魂体と分霊の差異は、半霊半物の存在である魂体に対し、分霊は完全に霊的な存在であるということ。魂体の利点は物質に触れることで、難点は必ず外部からの力の供給を受けなければならないこと。師匠が陣霊をしているのも、陣を通して地脈の力の供給を受けるため。分霊の場合は物に触れられない代わりに使役者本人の魂力ですべてが賄われ、補給の必要性が存在しない」
「そうじゃ」
またも師匠は軽くうなずく。
満点回答を逃した原因である魂体と分霊の差は、本座自身には初耳の知識ばかりである。……しかしまた『陣霊をしている』って……いや今回もスルーでいこう。
「そして六魂体とは師匠の本体が修める【六欲錬神重魂法】の秘術の産物。それぞれが【見欲】、【聴欲】、【嗅欲】、【触欲】、【言欲】、【意欲】の六つの欲望を核に作られており、師匠は【見欲】の欲を核とした【見欲魂体】。本体から瞳術と錬丹術、呪術に関する能力を与えられ、仙界から降りてきた。【天賦・瑶池重瞳】はそのひとつ」
「そのとおりじゃ。妾も説明するのが面倒な内容をよく一度で理解できたの」
今度こそ百点満点とでもいうように拍手を鳴らす師匠。
なんとなく舐められているような気もするが、天魔の御子であれば師匠にとっては甥っ子のようなものなのだろう。あるいは弟子には甘い質なのかもしれない。
唐突に『メンヘラ眼のダダ甘美女師匠』とか『この時代のこの場所に拍手の文化などあったか?』などという意味不明な雑念が脳裏をよぎったが、本座が聞きたいのはそんなことではない。
「うむ……【見欲】、か。……であれば師匠は何を見るためにこの俗界にいるのだ? 確か以前、幼魔館の講義で師匠は子供を残さず天魔の座を弟に譲って仙界へと登仙したと聞いたことがある。次代を残しておらぬのだ。であれば神教の行く末が気になってわざわざ降りてきたということもないのであろう?」
そう、最大の疑問はそこにある。
魂体だの分霊だの陣霊だの重瞳だのというのは、結局のところ本座の知的好奇心の産物でしかなく、今この時この場に師匠がいること自体への疑問に比べれば大した問題ではない。
この場を以て師として仰ぎ正式に弟子となった以上は、師匠の願いは今後の本座の動きに強く影響することが考えられる。なればこそ、この問いだけには答えてもらわねば困るのだ。
「……すべては終わった話じゃが……そうじゃな…………妾が再びこの俗界に戻ってきたのは、母様の復讐を見届けるためじゃよ」
◇◆◇
それは500年と少し前。仙界の存在が半ば伝説の物であり、未だ青海省が正派の領域であった頃の話。
当時の九派一幇の一角にして青海の守り神であった崑崙派には一人の娘がいた。
人より少しだけ薬が好きで、人より少しだけ薬草獲りが得意なだけの少女は、その平凡さとは裏腹に大門派である崑崙派の掌門人の娘として生を受けた。当時、五大道門の一つとして道教の聖地でもあった崑崙派だが、ここは武当派や華山派とは違い、道士であっても結婚や子供を作ることが許される門派であったのだ。
しかし掌門人の娘とは言っても、その武才は平々凡々。むしろ他者より劣っているほどであり、本人もまた武張ったことが得意ではなかった。故に特に重要視されることも無く、そのまま平凡に生き、平凡に結婚し、平凡に暮らしていくのだと、そう誰もが思っていた。
そんなある日、平凡なはずの彼女に転機が訪れる。
宿敵であり怨敵、そして不俱戴天の仇敵。
彼女は常の日頃から争い絶えぬ十万大山の主、天魔神教の象徴である【神女】に選ばれてしまったのだ。
もし……もし仮に正派と邪派で起こったことであれば、両者の面目のためにも建前としては互いに娘を嫁がせて和平を成すといったような、そんな穏便な申し出から始まったのかもしれない。
しかし今回の相手は『強者尊』を掲げ魔道を歩む天魔神教であり、事は天魔神教の象徴とも言える神女に関する重大事項である。
結果、崑崙派はある日何の予兆もなく襲撃を受け、天魔自らが指揮を執ったこの襲撃は、陽動で手薄となっていた崑崙派の本山の不意を突き、神女に選ばれた彼女はまんまと攫われていった。
当然激怒した崑崙派であるが、一人の少女のため崑崙派のみで天魔神教を相手に戦争を起こせるはずもなく。また他の大門派に助力を求めても、当時の中原は『大界変』の前触れとなる天変地異で酷く弱っており、その願いが叶えられることはなく。
結局後に残ったのは、娘を奪われ泣き寝入りとなった崑崙派と、無事神女を得て目的を果たした天魔神教。
そして天魔神教の神女として天魔に嫁ぐことになった、かつて平凡だった少女だけだった。
◇◆◇
「――その哀れな少女から生まれたのが妾というわけじゃ」
師匠の独白はどこか素っ気なく、その様はやるせなさを必死に隠そうと仮面を被っているようであった。
まあ500年前のとうの昔に終わった話と言えばそこまでの話だ。そして終わった話だからこそ、そのやるせなさは消えないのだろう。
「ふむ。しかしこれで話が終わりであれば師匠の母君の仇とはこの天魔神教のこととなるぞ? 師匠の功績は歴代天魔の中でも有数の物だ。特に術道という道を開拓し、天魔神教の繁栄の礎を築いたことは神教の底力を引き上げたと言っても良い。辻褄が合わぬな」
しかしそんな師匠の様子とは裏腹に本座が考えていたことは別のことである。
哀れな母を思って天魔神教に恨みを持ったのであれば、その後の行動に矛盾が生じるのだ。無論、仙界へと登仙してからの心変わりということもあろうが、それ以上にまだ話していない何かがあると考えた方が合理的であろう。
「ホホッ、察しがよいのう……そうじゃ、母様の受難はそれで終わりでは無かった――」
またも師匠は語り始める。
今度は先ほどよりもはるかに主観的な物言いとなって。
ここからは聞いた話ではなく自らの記憶から掘り起こされた話なのだろう。
◇◆◇
500年前に『大界変』が起き仙界と深くつながった。
このことは皆が知っておることじゃが、その当時の混乱までは詳しく伝えられておるわけでは無い。
その時に生じた全く新しい概念である【仙跡】の出現や、かつて細々としか伝えられてこなかった【術道】の功法の大量流入など、さまざまな要素による混乱が起き、それとともに数々の変化が生じることになった。
そして天魔神教において最も大きく変化したのは【神女】の扱いじゃった。
当時の妾は齢八つ。三陰絶脈として生まれたため武才がなく、潜魔館の前身となる潜魔洞にも入っておらんかった。まあ弟がおったからの。妾の代の後継者に困るようなことは無いゆえ、妾自身は気ままに日々を過ごしておったと覚えておる。
そんな日々のとある一日、『大界変』による混乱も表面上は落ち着きを見せ始めたころのことじゃった。
その日は妾にとってとても良い日じゃった。
普段から多忙で会う機会の少ない父が妾に会いに来てくれたことも嬉しかったし、その土産として【術道】の功法が記された書物を渡されたことも嬉しかった。あの時はこんなにも心躍る学問があるのかと思ったものじゃ。
そして何より嬉しい事じゃったのは、母様が常に切望していた里帰りの許可が出たことじゃった。母様はもとより、ずっとそのことを気に病んでいた妾もまた、我がことのように喜んだものじゃった。
……まあ当時の妾は知る由もないが、仙界と深くつながったことで神女の重要性が低くなったからこそ下された決断じゃ。崑崙派から文字通り攫ってきた母様はそれほど信用されておらんかったようじゃな。
かくして、母様は長年の夢であった崑崙派への帰還を成し遂げ、そしてそこで幽閉されることになった。
家族であったはずの……崑崙派に、じゃ。
◇◆◇
「――もう良い」
本座はここで師匠の語りを止めた。もうオチまで読めた。前世の朧げな記憶が、こんなもんは百回読んだと叫んでいる。
「ホホホホ……ほんに其方は察しが良いのう。じゃが気遣いはいらぬ。最期まで聞くのじゃ」
◇◆◇
そこからは聞くに堪えない、師匠の悲痛な叫び声が聞こえてくるような話だった。
師匠の母君はようやく帰ってきた家で幽閉の浮き身に合い、天魔の子を産んだことで正派の恥と責められた。
母君の心を何より削ったのは所詮身体的な痛みでしかない幽閉ではなく、かつて兄弟の如く接していたはずの道士たちからの侮辱。
そしてもはやここには居られないとなんとか逃げ出したところをかつての同門たちからの襲撃を受け、瀕死の状態で娘である師匠の下に帰還し、最後にはかつて確かに家族だったはずの崑崙派を『偽善者』と恨み、涙を流しながら娘の腕の中で息を引き取った。
文字にしてわずか数行の出来事であるが、当事者である師匠にとっては何百年もの悲しみが圧縮された出来事である。……なんとも救われぬ話だ。
◇◆◇
「――母様が腕の中で息絶え、妾が復讐を決意したときに新たに発現したのがこの【瑶池重瞳】じゃ」
悲痛な話が終わると、師匠は軽い調子で豆知識でも述べるかのように続けた。湿っぽい雰囲気を変えようとしているのだろう。
ならば忠実なる弟子である本座は逆らわず、母君のことを悼むより話を続けた方がよかろうな。
「……そうか、では師匠の仇とは崑崙派のことであるな。しかしそれなら400年前に滅門したはずだが?」
400年前は時代的に丁度師匠が蒔いた術道の種が芽吹き、数多の丹薬の量産により神教の武人たちの実力が底上げされたあたりのはずだ。念願叶ったというのであれば、この時代をこそである。
「ホホッ、大門派というのは根も深い。残党が残っておったのじゃ。それが滅ぶのを見届けることこそ妾の仕事よ」
……ああ、なるほど。俗家弟子……本山以外で修業する弟子でも残っておったか。それならば今ここに師匠がいることもわからなくもない。
だが疑問はもう一つある。
「ではもう一つ。なぜ自分でやらぬ? 本懐を遂げるために天魔の座すら奪ったのであろう? 己が手を血に染めることを躊躇うような性格ではあるまい」
500年前の後継者争いとなれば、本座の生きる現代のそれよりも遥かに血生臭いものであったはず。それに仮に歴史に名を残るように、数多の術道の道筋を残しただけで満足するような性格であれば、わざわざ天魔の座を狙うはずもない。
ある意味当然とも言える本座の質問に、数瞬の絶句を経て師匠は語りだした。
「…………妾の眼に宿る【瑶池重瞳】は瑶池金母に由来する。瑶池金母とはすなわち道教の女仙、西王母じゃ」
「……」
「最初はの、妾も自らの手で崑崙山を灰に変えてやるつもりであった。そのために死に物狂いで術道を学び、当時主流ではなかったこの功法で天魔にまで至った。しかしの、いざ事を成そうとするとこの眼が邪魔をしたのじゃ」
「……」
「ホホ……邪魔立てするなら我が眼と言えども許せぬ。えぐり取ってでも、とも考えたのじゃがの。しかしこの眼は母様の形見のような物じゃ。その様なことは出来んかった」
「……」
「ゆえに丹薬の処方や術道修練の道筋、その他諸々の神教繁栄の土台だけ残し仙界へと登仙した。再び戻ってきた今なお、自らの手は下せぬようじゃ。ホホホッ……なんとも回りくどいものじゃろう?」
「……」
確かに回りくどいが、それ以上に本座が感じたのは深い母君の愛だ。
娘が父を殺さぬように。
父が娘を殺さぬように。
父と娘が争わぬように。
これこそが運命に翻弄された平凡な彼女の最後の願いなのだろう。
「……」
だがこのことはわざわざ本座が指摘せずとも、すでに気付いていよう。伊達に何百年も悩み続けたわけでは無いはずだ。
「……師よ」
「なんじゃ?」
「聞くところによれば、崑崙派の残党は今なお残っておるのだろう? ならばここに誓おう。潜魔館を出た暁には本座が必ず滅ぼして、師を縛り付けるその因果を断ち切って見せよう」
なればこそ師匠はもう十分苦しんできた。ここでこの因縁を断ち切ることこそ、弟子としての本座の役割であろう。
この誓いは、たとえ師匠本人に拒絶されようとも引く気はない!
「いや、残党は数年前にそちらも滅んだと聞いた。ゆえに仙界に戻る前、最後の記念にと神教全土を見物して回っておったときに見つけたのが其方という逸材じゃ。弟子にせずにはおれんでのう。ホホホッ」
「……………………は?」
……いや勘弁してくれ。完全に道化である。
というか最後ぐらいシリアスで終わろ?
「言うたであろう。すべては終わった話よ。ホホホホホホホッ!」
絶句した本座を前に、師匠はいつまでも高らかに笑い続けた。




