13 妖魔の目覚め
周りは開校以来初めてといわれる授業参観にざわついているけど、私は別のことで心が騒めいていた。とうとう黄泉を浄化する日が来てしまったのだ。
「桃」
落ち着かないまま今日の授業を終えると、耳に馴染んだ声に呼ばれる。振り返ると、教室の外に父さんと母さんが立っていた。父さんは仏頂面で、母さんはにこにこだ。いつも通りで少し安心した。
「父さん! 母さん! 来てたの?」
「まあ、なんだ。退魔師でもないのに学園に入れるなんて思ってなかったから、記念にな」
「嘘つき。桃が心配で来たんでしょうに」
あっさりと母さんに学校に来た理由をばらされて、父さんはバツが悪そうに目を反らした。私もちょっと気恥ずかしい。気にしてくれたんだって、やっぱり嬉しい。
きりっとした私を見せて安心させたいけど、へにゃりと気持ちが緩んでしまう。
「元気そうでよかったわ」
「うん……」
「何があったんだ?」
緩んだ表情から、私の不安定な様子がすぐに漏れてしまったようだ。父さんと母さんは的確にその隙をつき、何かがあったことを見抜いてしまう。
こうなると、父さんは絶対に何があったか聞きださないと落ち着かない。だから私は精一杯大したことではないふうを装うのだ。
「大したことじゃないんだけどさ、友だちとの約束を破っちゃって……、でもまだ謝れてなくて」
でも、弱っているのも事実だから。本当の悩みも混ぜて吐き出す。
不安にさせたくないから、妖魔が関わっているだなんてことは伏せる。友達――黄泉が友だちかって言われると微妙だけど――とのすれ違いなら、そんなに心配させないで済む。
私にとって一大事なのは変わらない。
「すぐに謝らなかったのか」
「先輩に、その子に会いに行くな、みたいなことを言われちゃったの」
あははは、と誤魔化すように笑った。でも、父さんの目は驚くほど真剣で、私は作戦が失敗したことを悟った。父さんに見破られて母さんに見破られていないはずもないわけで。
「こっそり謝りにいったら? 気持ち悪いんでしょう?」
「うーん、そうすると先輩との約束を破ることになるし」
「……どっちを破る方が、桃にとって重要か、よく決めなさい。父さんたちはもう帰るから」
「桃が正しいと思う方を選びなさい。夏休みには帰ってきなさいね」
「はーい。二人とも気をつけて帰ってね」
長い影すら見えなくなるまで見送って、真っ赤な空を仰いだ。
私は、私が胸を張れるほうへと、背中を押されたのだ。具体的にどっちとは言われなかったけど、私は早く黄泉に謝りに行くことにする。黄泉も先輩もどっちも悪くないんだから、お互い正々堂々がいいと思う。
ぐずぐずしていたら、疼く良心が化膿してしまいそうだ。
黄泉はどこにいるんだろう、前に珠ちゃんとじゃれていたところかな? あんまり浄化の予定時刻まで時間があるわけじゃないと思うから、早くいかないと。
「黄泉っ、いた! ちょっと用があって」
予想はどんぴしゃりだった。芝生に座る彼に声をかけると、またお前か、みたいな顔をされた。うざったいのはお前の前髪だろうって思っちゃうけど。
「なんだ」
「この間の霊障、先輩に知られちゃったから、謝りたくて。ごめん」
「いつ?」
「……一週間前」
「そうか」
時間が経つと、やっぱり謝りにくさは半端じゃなかった。緊張して、言葉がぶつ切りになる。
大した反応も見せず淡々と考え込む黄泉には悪いけど、私は本題を切りださなきゃいけない。今日の浄化の儀式で無事に済むかどうかを。
「黄泉、珠ちゃんと、契約してる……?」
「それはどういう……?」
「主従け」
「鈴鹿ちゃん?」
黒い髪の奥の見えない目を伺うように、及び腰になる喉を叱咤して尋ねる。けど、さすがの黄泉でもそれだけで意図を察せるはずもなく。
追加で説明を加えようとして、咎めるような茨木先輩の声に遮られる。ぎしりと何もかもが軋む音がした。
「黄泉、生徒会室に来てくれないかしら」
「朱音……」
「断らないわよね?」
「チッ」
夏なのに寒気を覚えるような先輩の声。黄泉が先輩を呼ぶ声には、墨を溶かしこんだような苦みがある。
お互いに無表情を浮かべているのに、茨木先輩と黄泉の間にはどろりとした空気が淀みはじめて息を吸うことすらためらってしまう。
「鈴鹿ちゃんも気になるなら来る?」
「……行きます」
黄泉が付いてくることは、茨木先輩には確定事項だったみたいだ。実際、黄泉は舌打ちしていたのに既に立ちあがっていた。
私はいてもいなくてもおそらくいいんだと思う。おざなりに誘われた。
でも、この誘いを断ったらもう見たいと思ったって見られるものではないと思う。黄泉に儀式を受けさせるきっかけになったのは間違いなく私だ。その行方は、見なくちゃいけない。
たぶん、大丈夫。黄泉と珠ちゃんが契約していないとは、正直思えない。杞憂で終わるはず。
かつん、かつん、とやたらと響く、いつもより長く感じる階段を登り、生徒会室へ向かう。
何でもないはずの木製のドアは、今日ばかりは酷く威圧的だ。
「茨木です。黄泉を連れてきました」
「どうぞ」
「さ、黄泉、先に入って」
「別に逃げはしない」
会長の声と同時に、茨木先輩はドアを開けて黄泉と私を先に部屋に通し、後ろ手にドアを閉めた。
そこには生徒会のメンバーの他に、入学式以来初めて見る校長と、師匠と、何人かの知らない大人たちが能面のような顔で部屋の四方――五角形の頂点に立っている。
なんだかこの部屋、調度品が運びだされている以外は普段となにも変わりないのに、胃酸が喉を這いあがるような、雪の日の耳鳴りのような落ち着かなさがそこにある。
「桃!? なんでお前まで。……顔が真っ青だけど、大丈夫か? 横の部屋に真蛇が待機しているから、そっちに行くか?」
春にいがこっそり私の方に寄ってきてくれて、声をかけてくれる。あんまり大丈夫じゃないけど、逃げたら負けだと思う。私は部屋の中央へと進む黄泉を見据えたまま、小さく首を横に振った。
「黄泉君、きみには三つの疑いがかかっている。一つ、未契約の妖魔を使い魔と偽っている。二つ、妖魔に精神をのっとられている。三つ、君がそもそも妖魔なのではないか。まあ、後ろ二つの可能性は限りなく低いだろうけど」
「……なぜそんな疑いが?」
「あんたの妖魔が霊障を引きおこすところを、私が見たからよ。あんたには、剥妖の儀式を受けてもらうわ」
会長がとつとつと今回黄泉を呼び出した経緯を説明していく。「黄泉は妖魔なんじゃないか」なんてバカバカしいにもほどがある。こんなに堂々と生活していて、卵とはいえ退魔師がうようよいるこの学校で何年も――それこそ十年以上も隠すなんて不可能だ。まして妖魔が鬼器を扱えるなんてありえない。
ぐらぐらする頭でもそれくらいはわかる。でも、妖魔を剥がす術式の話に移ると、どんどん顔色が悪くなっていくのもわかった。
「悪いけど、やめることはできないよ。なに、ちゃんと契約しているなら問題はないはずだ。それに、格式ある黄泉家にかかっている疑いがすべて晴れたほうが君にとっても良いことだろう」
「勝手に決めないでいただきたいですが。そうも言っていられないんでしょうね。最下級の妖魔すら逃がさない陣がもう敷かれている……」
「稀代の術師はさすがだね。きみならすぐに失った戦力を取り戻せるよ」
「あんたたちに何がわかる……」
会長が説得するように黄泉に語りかけるけど、効果はなく。黄泉の歯ぎしりさえ聞こえそうだ。
黄泉の同意を結局得ないまま、会長は大人たちを見回して「お願いします」と頭を下げた。
「華を瓶に活けし寿逸君の定めし律。
巡り巡りて正しき姿に戻らん。
空に揺蕩う皓鬱将が守りしの法。
飆英く、水益々澄みわたり留まるは詔」
大人たちの声が重なり、床に五芒星が描かれ、輝き始める。私は立っていられなくなって、床に膝をついた。春にいが部屋の外へ連れ出そうとするけど、やめてもらう。
俯いて思いっきり吐きたいけど、目は。目だけは黄泉から離さない。
「人は陽、鬼は陰。間は不越。
玄き花裂き乱れ、常に縁つづくこと无しとの令。
宝のごとき容、月の色は丹ある霊の命」
呪を唱えるごとに黄泉の身体を光の鎖が貫き、次々と妖魔が霧のようににじみでて、消えていく。全身を震わせ突き刺すような哀しみが、私にも走る。
「何体いるのよ!?」
「こんな大物まで飼っていたのか……!」
黄泉が泣いているのが、なぜかわかった。そして、その目が青く輝いていることも。
――え?
「珠……!」
最後の章に差しかかったとき、一際大きな影が浮かび上がる。
呼びかけからして、それはあの珠ちゃんのようだ。子猫のような面影はない、
『またすぐに逢える。気にするな、軍』
柔らかい女性の声――おそらく珠ちゃんの声――が、脳裏に響く。親愛が多分に含まれたそれは、使役されていたということが信じられないほど優しい。黄泉を舐めるように黒い霧が包む。
そして不思議なことに、私を見た気がした。
「――臨む兵、闘う者、皆陣を列べて前を行く」
最後の句と共に、気配は霧散する。私の吐き気も治まっていた。
「はあっ、はあっ……。くそっ、最後の妖魔は逃がしたか!」
珠ちゃんは死んでしまったのか、と思ったが、校長先生が肩で息をしながら悔し気に毒づいたので、そうではないとわかる。
よかった、珠ちゃんは逃げ出せたみたいだ。
気になるのは、黄泉の目がやっぱり青く見えたこと。私は背を向けている黄泉に走り寄って、その目を覗きこんだ。
「黄泉、大丈夫?」
青い目は、涙にぬれて一層綺麗だった。魅入られるように、魅入られたいかのように、私はその目に釘付けになる。この目だ。私が探していた色は。
「あーはっはっは! いいざま。手足をもがれてさぞや心細いでしょ」
五年前のあの日私を助けたか、なんで普段は普通の目なのか、尋ねようとしたところで、茨木先輩の哄笑が弾けた。
「この時を、待っていたわ」
困惑する私たちを置いて、朗朗とひび割れた呪が、部屋を渦巻き昏く垂れこめていく。
「天枢、天璇、天璣、天権、玉衡、闓陽、瑶光、洞明、隠元。
辰、太白、鎮、熒惑、歳。
時遡リテ放埓。魂魄精揃イテ充溢。霊反リテ虚ロニ受肉」
心臓を生温かい舌で舐められるような怖気が全身を襲う中、私はどうにか鬼器を生み出す。だって、呆然自失の黄泉を守れるのは、今、私だけなんだ。
「止めろ!」
「ダメだ、近づけない! 早く応援を呼んでこい!!」
師匠たちが必死に茨木先輩の呪を止めようとするけど、近づいた大人たちは渦巻く気配で霊障になり、激痛でうずくまる。
茨木先輩の色もどんどん薄くなっているから、彼女自身も霊障になっているはずなのに、呪は途切れない。
「――九星転転マタ過グ。……ふふふ、止められないわよ。だって、この学園に封印されていた大妖が復活するのよ? 名うての退魔師は黄泉の浄化で力を失っているし、今日は新月。妖魔が最も力のある月の巡り!」
そして呪は完成してなお、ずん……と空気が重みがいや増していく。
霊障になってなお、苦痛というにはむしろ恍惚とした表情で、茨木先輩は「ほう」と息をついた。
「長かったわ……、生徒会に入って学園に張られた結界を弱めて、黄泉の力を削いで。この大妖と契約して、私こそが黄泉家の跡取りにふさわしいと示してやる。正統な血をひく私が正しいと、証明してみせる」
恐ろしいほどの執念に、破滅的な光がその目の中で瞬く。
明るい展望を語っているけど。先輩は、堕ちている。
「結界を弱めたのは、茨木だったのか!」
学園の結界が弱くしたのは茨木先輩だとわかり、激しく反応したのは春にいだった。
それを見て茨木先輩がさらに笑った。
「ええ。鈴鹿ちゃんに見られたときは焦ったけど、無知で助かったわ」
「まさかあの時の……!?」
茨木先輩の嘲る瞳に思い出すのは、夜に回収した真っ赤な石。
封印を弱めるのを、知らずに手伝っていたってこと……!?
衝撃が私を襲い、それと同時に部屋に気配が満ち満ちた。
「……私に降れ、雷鵺!」
13、14話に関しまして
固有名詞っぽさのある漢字は日本語にちょうどいい読み方がない場合、適当にルビをあてているので雰囲気で流してください。
正しい読み方をご存知の読者様がいた場合、こそっと教えていただけますと幸いです。




