物語は時代により変容する ―石黒耀『樹の上の忠臣蔵』―
昔の日本(とりあえず、昭和時代まで)では、忠臣蔵は人気コンテンツだった。しかし、現在はそうでもない。吉良上野介が自身の領地では名君だったというのがある程度知られるようになったし、赤穂浪士たちは昔のようにはほめられない。浅野内匠頭が心を病んでいた可能性があるし、ロマンティシズムよりも世知辛さの方が前に出てしまう。ロマンならば、戦国時代や幕末の方があると思われるだろう。
日本社会の価値観の変化により、忠臣蔵は人気コンテンツから外れていった。そういえば、源義経という人も昔ほどの人気ではない気がする。それは、手塚治虫と司馬遼太郎という二大巨匠が、偶像破壊的な義経像を描いたばかりではないだろう。源平合戦というコンテンツ自体が、戦国時代や幕末に比べて人気が低いからでもあるだろう。
そういえば、誰かが「人は死ぬとコンテンツになる」と言っていたね…? 人は「物語」になる。そして、歴史は物語の母である。物語は時代により変容する。
私が現在の読書メーターのアカウントを登録したのは2013年11月29日だ。そして、石黒耀氏の小説『樹の上の忠臣蔵』(講談社)を初めて読み終えたのは2013年12月15日である。すなわち、13年ぶりの再読だ。この小説は、忠臣蔵とその後の歴史を描くファンタジー小説である。
主人公〈私〉は妻と共に、自分の土地にツリーハウスを建てる。〈私〉は妻や娘たちと共にツリーハウスで過ごすが、ある夜、一人の男の幽体と出会う。その男・荘右衛門は生前、赤穂藩の家老だった大野九郎兵衛に仕えていたという。九郎兵衛は、世間一般では「不忠臣」とされている人物である。
その九郎兵衛は、世間一般の定説とは違い忠臣であり、赤穂浪士と吉良上野介を死なせた共通の敵を倒そうと決意した。すなわち、徳川幕府である。そして、物語は意外な方向へと動いていく。主人公〈私〉は時代小説並びに時代劇の愛好家であり、世間一般に広まっていた「忠臣蔵」伝説を信じていた。しかし、時空を超えた証言により、赤穂浪士事件の真実を知る。
この小説は、理系の知識を活かしたものである。私はこのような小説を書いてみたいが、残念ながら難しい。まずは、自分自身がそれらの知識を理解する必要がある。そういえば、だいぶ昔に、ある女性ミュージシャンに対して、ある先輩男性ミュージシャンが「お前、自分で書いてる歌詞を理解出来てるのかよ?」と批判していた。しかし、その女性ミュージシャンは読書家として有名であり、自身の経験を超えた知的レベルを持つ人物だろう。




