第三話 自由商人とネオブッディズム
レイシャを追うと決めた僕らは準備にかかる。
まず突き止めなければならないのは行き先だ。
変異持ちの二人を集落へ帰した後、
酒場の主人の老人に話を聞くと、
行き先は分からなかったが、
依頼主はすぐに判明した。
「よりにもよってジョセフ・カーウィンか」
僕はため息をつく。老人は頷く。
「少なくとも依頼に来たのは、
ジョセフのところの会計係だったわい」
またろくでもないところに関わったものだ。
ジョセフ・カーウィン――
彼はアルテミス近辺に存在する自由商人が作る、
緩やかな商人連合体、その一つの領袖だった。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
四ヶ月前――
フレアと共同生活をするようになって一ヶ月。
アルテミス市街地の案内を終えた僕は、
彼女と共にアルテミス郊外を回り始めていた。
(自由、商人ですか?)
荒野に拓かれた道で、フレアは首を傾げる。
既に幾人かの旅人と僕らはすれ違っていた。
(この裏街道は自由商人のための道なんだ)
僕は説明する。
自由商人――
時に無法商人また破戒商人、
稀に死人食らいの蔑称で呼ばれるそれは、
破戒都市スワルガに住まう異端者と同じく、
何らかの理由でネオブッディズムと対立し、
法の庇護から外されたごろつきの一部であり、
その中でも流通に携わる者の総称である。
数多の社会の落伍者の中でも、
傭兵たちや山師たちと異なり、
商業に携わる者だけが、
こうして特別の名を持つのは、
彼らが戒律に公然と反抗しているからだった。
彼らが破り続けているもの――
それは単純に、
僧院に許可を受けた者以外は、
流通活動を行ってはならないという戒律である。
(彼らは常に戒律に違反しているから、
僧兵の検問がありそうな道は避けて通る。
そのための裏道がこの裏街道という訳だ。
ネオブッディズムについては以前に説明したな)
(はい。確か……)
僕は自分のした説明を思い起こす。
ネオブッディズム――
それは多くのものを指す言葉だ。
貴族から見ればそれはベルトの統治機構であり、
ネオブッディズムの長はベルト地帯の王だった。
それ以上の価値はなかった。
貴族が求めるものを考えればその認識は妥当だ。
それは確かに政府機構と警察機構の代替物で、
またその教義は貴族から見れば、
考慮に値しないほどの迷妄の塊でしかなかった。
だがそれはベルトの住人には些細なことである。
ベルトの住人にとってネオブッディズムとは、
真理であり法であり生活の規範そのものだった。
彼らの教育は文字すら危ういもので、
旧時代の知識はろくに残っておらず、
人類が地球に生まれたことさえ伝説の域だった。
それを信じているのも、
過去の継承を執念深く続けてきた、
アブラハムのような特殊な集団だけで、
そのアブラハムでも知識は変わり果てており、
守ろうとした律法も本来の姿を留めてはいない。
地球、太陽系の中の各文明の歴史、
育まれた文化、思想、理論――
それらはもう完全に失われている。
多くの者はこの大陸こそ人類の故郷であって、
人類はここで無から創造されたと考えていた。
ネオブッディズムの創世譚はその典型である。
僕もセントラルで真実を知るまでは、
それを信じていたのだ。
どれほど精密に構築された理論も世界観も、
現実を説明できなくなれば見放されていく。
結局のところ、
古びた宇宙漂流物の表面で暮らす人々にとって、
人類の歴史など、どうでもいいことであった。
そしてそのことを僕は間違いだとは思わない。
正確な知識を得たとして、知るのは絶望だけだ。
この大陸は人類の生存圏としてあまりに小さく、
物資はどれほど節約しても枯渇する一方であり、
人類の滅亡は不可避である。
できることは手を尽くして、
滅亡の日を遠ざけることだけである。
そんな救いのない現実を認識するぐらいなら、
迷妄でも信じている方が健康的であると思う。
そして全てを知ってなお、
僕はネオブッディズムの偉大さを疑っていない。
なぜならその存在意義を僕は知っているからだ。
ネオブッディズムの始まりは、
確かにベルトで発生した一つの宗教だったが、
活動の結果として生み出された組織と戒律は、
宗教の域を完全に越えていた。
ネオブッディズムを迷妄の宗教としてではなく、
このベルト地帯で生き続けるということを、
実際的に模索した思想として捉える時、
そこに現れてくるのは、
有限の資源でいかに生活するか、
また有限の資源をいかに保全するかという、
開拓初期に人々が直面したであろう問いだ。
惑星上での生活は無限に近い資源が前提だ。
宇宙コロニーの生活でも定期的な補給なくして、
長期の維持は不可能である。
ベルト地帯は生活空間として見ると、
初期の宇宙コロニーと較べても過酷過ぎた。
補給はなく、何もかもが不足していた。
溢れているのはスターライトと重力だけだった。
セントラルからの支援がなかった訳ではない。
だが十分と言えるものではなかった。
貴族には貴族の戦いがあったからだ。
開拓初期の記録はほとんど残っていない。
残す暇もなかったのだろう。
だがそれなりに安定的な環境を形成するまでの、
彼らの苦闘が壮絶なものだったであろうことは、
容易に想像できた。
おそらくネオブッディズムの宗教的核心部分、
創世の神話はこの時代に生み出されたはずだ。
暗澹とした黙示録の光景は、
おそらく当時の劣悪な作業環境を伝えている。
この頃にはもう、
ネオブッディズムは唯一の宗教として、
ベルトの住民の中で受け入れられていたようだ。
環境の形成が終わった後も課題は残っていた。
この不毛の地でどのように生き続けるのか。
どのようにして世代を繋いでいくのか。
どのようにしてそのための環境を維持するのか。
不可能とも思えるそれらの課題の解決のために、
当時の指導者によって纏められた対策が、
違反者は全て極刑に処すこととした厳格な戒律、
資源の消耗を極限まで抑える経済体制だった。
それらは宗教倫理として打ち出されたが、
教義との関連性は高いものではなかった。
人々の同意を取りつけるための方便として、
宗教を利用したと考えるのが自然だろう。
ネオブッディズムには十分な影響力があり、
そして指導者に対して協力的だったようだ。
対策は受け入れられた。
だがそれでも厳格すぎた戒律は強い反発を呼び、
黄衣派の分離へと繋がっていく。
戒律の厳格さは、
数十年に渡って続いたスワルガとの戦争の末期、
対策の立案者である世代が死に絶えた頃から、
特例の乱発により運用面で崩れ始めた。
最終的に極刑の適用は、
重要な条項に限定されることが明文化された。
だがもう一つの柱は以後も堅持された。
僧院に許可を受けた者以外は、
流通活動を行ってはならない。
自由商人を縛るこの戒律がその柱なのであった。
(本来、商業は組合商人だけに許可された事業だ)
(組合、商人ですか?)
僕は頷き、説明する。
組合商人――
そう呼ばれるのは僧院の許可を得た商人だ。
組合とは互助組合という、
組合商人たちの交流会の名に由来している。
彼らは戒律によって流通の独占を許された、
ベルト地帯の特権階級だった。
現在の彼らは世襲の権力者でしかないが、
かつてはそうではなかった。
戒律が作られた当時は、
金と物の流れの理論と実践を僧院で学んだ者が
出自を問わずその役割を務めていたという。
運営者を厳しく選別することを前提として、
許可を得た者には大胆に権限を与え、
状況対応能力を高める仕組みだった。
また役割には任期があり、
永遠に続けることなど想定されていなかった。
それは身を削る激務で、
期間を定めたのは負担を集中させないためだ。
思想と理論を共有する専門家が運営する、
強力な資源管理体制。
それが指導者たちの思い描いた姿だった。
だが危機の記憶はすぐに忘れ去られる。
安定した世界しか知らない世代は、
資源を保全するための制度を、
権力欲を満たし安逸を得るための手段に変えた。
独占は権力である。
権力というものは人を惹きつける。
それを握ったものは二度と手放したくなくなる。
いつしか初期の制限は全て有名無実となった。
一人の人間が無期限で役割を務めるようになり、
その子供が親の役割を引き継ぐようになるまで、
時間はかからなかった。
彼らは世襲の権力者となった。
戒律に定められた資格を満たすために、
彼らは全て僧院の卒業者ではあったが、
彼らが学んで帰って来ることの大半は、
実用的なノウハウではなく、
特権階級内の熾烈な政争を生き抜く方法だった。
だが実のところ、それこそが必要だったのだ。
停滞した社会では、
先祖代々の手法を守っていれば、
同じように最小の資源消費で経済は回っていく。
創意工夫こそ無駄を生む、忌むべきものだった。
世界は進歩ではなく永続を目指すものだった。
変化を拒む世界の中で彼らは権勢を競い合った。
組合商人の力は商業の世界に留まらなかった。
彼らの中でも高位の者は、
各都市、各村落の統治機構に入り込み、
会計役を担当することでその財政を支配した。
彼らはベルトの統治機構そのものとなった。
こうして組合商人は硬直する。
そして自由商人の活動する隙間が生まれる。
(正式なルートでは求めるものが手に入らず、
それでも諦められないなら、
裏のルートにそれを求める。当然のことだ。
そしてそのために金を出す客がいれば、
その金を目当てに戒律を破る者も出てくる)
(それが自由商人、
という訳ですね)
(そうだ)
自由商人。
無法商人。
破戒商人。
彼らは多くの名を持っている。
自由商人と一言に括られるが内実は多彩である。
歴史的な時期によってもその姿は異なっていた。
大半は盗賊紛いの零細業者だったが、
辺境を巡る山師紛いの冒険商人、
禁制の品を扱う闇商人、
組合商人並みの規模を誇る商人連合体、
スワルガに本拠を置くマフィアも含まれていて
その中には組合商人にまで成り上がる者もいた。
古い時代の話で言えば、
運送屋組合が扱っている特急の偽竜。
その特殊な育成方法は、
かつて闇で偽竜を育てていた自由商人が、
試行錯誤の末に見つけ出したものだった。
一時期、高速の偽竜はベルト地帯を席巻した。
その圧倒的な有用性が明らかになると、
組合商人は形振り構わず、
ノウハウを有する自由商人を内に取り込んだ。
現在の運送屋組合は互助組合の傘下の組織だ。
運送屋組合の幹部には、
その自由商人の子孫が今も含まれている。
他にも先進的な商売が生まれ、
そのノウハウが模倣の難しいものであれば、
その第一人者が組合商人に取り込まれた。
取り込まれた自由商人は、
組合商人の中では最下層から始める訳だが、
それでもなお、その地位は魅力的であった。
もちろんこれは例外だ。
自由商人の大半は自由なまま一生を終える。
彼らが狙うのは目新しい商売などではなく、
硬直した組合商人の裏をかくことだった。
代表的なものはやはり後ろ暗い商売だろう。
誰にも知られず、あるものを手に入れたい。
誰よりも早く、あるものを手に入れたい。
戒律を破る禁制の品を手に入れたい。
そんな希望はいつの時代にもある。
自由商人はそんな希望を商売の種とする。
また組合商人の運送網でも、
あらゆる場所のあらゆる需要を、
完全に埋めることはできなかった。
巨大であるが故に、
小回りの利かないところが残った。
一部の自由商人はその弱点を突く。
安く買える場所で仕入れ、
高く売れる場所で売る古典的な商業でも、
うまくやれば儲けることはできた。
情報力のある自由商人は、
己の才覚で商品を調達し、
それが不足している場所を探して運んだ。
そして組合商人に劣らない利益を上げた。
しばらくすれば組合が対応し、
商機は失われてしまうが、
常にどこかで不足は発生している。
投機屋としての自由商人は今もあり続けている。
(聞く限りでは分業をしているように感じますね)
(確かにそうだな。実際、戒律違反と言っても、
裏で細々とやっている限り罰されることはない。
大口の輸送は組合商人が担当し、
対応しきれない小口は自由商人が担当する。
そういう分業が成立している雰囲気はある。
だが地位は同じではない。
一度問題が発生すれば、
自由商人は簡単に排除される弱い立場だ。
大目に見られているだけで、
戒律違反の事実がなくなった訳ではないからな)
フレアは目を細めた。
(それは釈然としませんね)
(公平ではないと思うが悪法も法だ。
自由商人という道を選んだ時点で、
覚悟は済んでいると考えるしかない。
少なくとも、僕らが同情することではないさ)
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
そして現在――
ジョセフ・カーウィンについての記憶を探る。
カーウィンの連合体は、
アルテミス近辺に拠点を持つものの中では、
有数の規模を誇るものだ。
ごろつきの間ではよく知られた名だったが、
その名高さはその規模よりも、
ジョセフ本人の、
人の弱みをつくことを躊躇わず、
恩を感じるということを知らず、
弱者を叩きのめすことを信条とする、
油断のならない商売のやり方にこそあった。
彼が叩き潰した同業の数は数え切れないほどだ。
だがその用心深さのため、
カーウィンが手がける商売は堅実に利益を生む。
敵も多かったが、利用価値のある腕利きや、
重要な取引先は非常に厚遇したため、
味方もまた多かった。
ジョセフ・カーウィンは、
スワルガ的な野蛮さを備えながら、
それだけに留まらない視野を持つ商人だった。
「どこに行ったかは分からないのか?」
老人は首を振った。
老人の話では、
カーウィンの会計係が募集したのは傭兵だけで、
偽竜の餌を数日分積むとすぐ出発しており、
傭兵の他の調達は何もしていなかった。
彼らの目的はどこにあるのだろうか。
戦争でも始める気だろうかと僕は考える。
だが盗賊などの討伐ならば、
アルテミスの商人全体の共同依頼とするはずだ。
少なくとも費用を単独で負担する必要性はない。
また非道なことを行うつもりなら、
暗殺者などもっと相応しい依頼先があるはずだ。
ならば残る業務はキャラバンの護衛くらいだが、
本体のキャラバンの姿はなかった。
そこで僕は悟る。
これはおそらく増援なのではないか。
事前に組んだキャラバンの行き先で変事があり、
追加の傭兵が必要になったのではないだろうか。
「最近出発したカーウィンのキャラバンはあるか」
「それはわしだけでは分からんのう」
老人は唸ると酒場の店員を集めた。
話を聞いて分かってきたのは奇妙な挙動だった。
カーウィン商会は一週間ほど前から最近まで、
多くの仕事を始めていた。
名目は異なっていたが、
それぞれのキャラバンには、
やはり構成員や物資の偏りが見られた。
キャラバンの規模に対して、
技師の数が多すぎることもあった。
また逆に技師も山師もいないのに、
発掘用の道具を積み込んでいることもあった。
調べれば調べるほど奇妙だった。
七つあったキャラバンの詳細を確認する内に、
謎の答えは明らかになっていった。
これらは分割された一つの大キャラバンなのだ。
となるとレイシャの行き先の探し方はこうなる。
四方八方に散った七つのキャラバンが、
どこで集合するつもりかを推測すればよいのだ。
推測のためのヒントはもう一つあった。
ジョセフがキャラバンを次々と組む前のことだ。
当時ジョセフは仕事を急に取り消されてしまい、
資材と人員が余っていたらしい。
使う当てのなくなってしまったそれを、
ジョセフはプレートの探索に放り込んだ。
ただ飯を食わせるぐらいなら、
何でもいいから拾って来させ、
赤字を少しでも減らした方がよいと考えたのだ。
彼らは近場のアルテミスプレートに向かった。
一週間の予定だったらしい。
だがそのキャラバンは、
期日よりも大幅に早く四日ほどで帰ってきた。
そして直後にジョセフは動き出した。
なにが起きたのか、推測はできる。
相当の掘り出し物を見つけたのだ。
一つ一つは断片的な情報だったが、
目的地を推測するには十分だった。
「ありがとう。助かったよ」
範囲の絞込みに必要な情報を集めた僕たちは、
アルテミス郊外の廃ビルに舞い戻る。
(次はどうするのですか?)
廃ビルの物入れを漁る僕にフレアが尋ねる。
僕は倉庫に仕舞われていたものの状況を確認し、
答えを返した。
(探索のための装備を調達する。
僕のものはメンテナンスをさぼっていたから、
このままでは使い物にならないし、
それにお前の装備も用意する必要があるしな)
(では向かうのは技師街ですね)
フレアが確認する。
(ああ)
倉庫から道具を取り出し、
まとめて背負うと僕は頷いた。




