第十九話 灰色の毛皮の暗殺者
黄衣派法皇・暗殺者視点があります。
それは無名墓標の社が、
独立派に占拠された夜のこと――
黄衣派の本拠地である大寺院の最奥で、
黄衣派最高位の僧、法皇トウロは、
暴走する独立派への対処を側近に任せ、
一時の仮眠をとっていた。
苦しげに眠るトウロの側に何者かが立つ。
その気配にトウロは目を覚まし、
枕元の短刀に手を伸ばそうとするが、
その動きは始まる前に止められた。
身体が動かない?
(やっと見つけました。
あなたが当代の法皇トウロですね)
それは音のない声だった。
耳ではなく頭の中に直接響く声だ。
トウロは声を出そうとする。
だがそれもできない。
(危害を加えるつもりはありません)
トウロは驚愕に震える。
何が起きているのか分からなかった。
だが真の驚きは次の言葉にあった。
(あなたに伝言があります。
私は工神の最後を看取った者です。
私がここにきたのは、
あなたに直接伝えてほしいと、
工神から頼まれたからなのです)
何を言っている?
トウロは混乱していた。
(私は、工神と同じものです)
そして彼女はトウロの眼前に姿を現した。
トウロが叫び声を上げずに済んだのは、
身体の自由を奪われていたからに過ぎない。
そこに立っていたのは、
機械仕掛けの内部構造を晒した人型だった。
それは確かに工神と同じものだった。
おお、おお……
信じられない思いだった。
だがそこには確かに、
幼い頃から何度も礼拝したものと同じ、
動く機械が存在していたのだ。
(信用できましたか)
あ、ああ。
トウロは頷こうとするが、
その身体は微動だにしない。
だが意思は伝わったようだ。
機械仕掛けの怪物はトウロに顔を寄せた。
(では伝えましょう、工神の言葉を)
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
竜人との再戦の翌日――
僕とフレアは、
スワルガ奥地にある、
アブラハム本拠地を訪れていた。
そこは戦闘艦内でもかなりの高所である。
高所にあるということは、
あらゆる富が埋蔵される迷宮から、
遠く離れているということだ。
だが雨水利用という観点では、
ベルト表面上の低地と並んで、
それなりの効率性がある。
領域内には段差のある平面が多くあり、
その間を少しずつ水が流れ下っている。
平面上では農作物が生産されていた。
また他の平面では、
おとなしそうな家畜が放し飼いにされている。
艦内高所に陣取り、
数箇所の水密区画を占有して溜め池とし、
自前の水源を確保している。
そのことを力の源泉とした近郊農業集団、
それがアブラハムの本来の姿だった。
強固な防御が施された外周部の門を抜ける。
その内部は完全に農村だった。
案内人について歩き、領域中央へと向かう。
アブラハムの本家は鄙びた一軒家だった。
案内された部屋で待っていると、
ナイジェルが現れる。
まだ痛々しい格好だ。
僕は尋ねる。
「まだ護衛対象は生きているのか?」
「ああ。別口では今日も一人、
逃亡していた幹部が死体で発見されたがな。
消息不明は他にもいるがおそらく始末済み。
うちで拘束しているのが最後の一人だろう」
「恨まれたものだな」
僕は笑う。ナイジェルは顔をしかめた。
僕らがこんな僻地にいるのは、
ナイジェルからの依頼があったからだ。
シモン死後、シモン派の幹部は、
急速に数を減らしていた。
片っ端から暗殺されていたのだ。
ちまたでは、トビーの亡霊の仕業などと、
まことしやかに囁かれていた。
シモン派に恨みを持った何者かが、
起こしているのだ、と考えられていたが、
最近の徹底的な殺しぶりからは、
どこかの組織の暗殺部隊が、
集団でシモン派抹殺を企てているのではないか、
という推測も出てくるほどだった。
そしてアブラハムでは、
今もシモン派の幹部の一人を拘束していた。
リディアが捕縛した実行犯のリーダーである。
ナイジェルは、
彼を保護するために、
フレアの助力がほしいと言ってきたのだ。
「僕たちはもうすぐ帰る。
いつまでも警備は続けられないが、
本当に二日間だけでいいんだな?」
僕は確認する。ナイジェルは頷く。
「それで構わない。
その間に警備の陣容を整えるつもりだ。
実は内部犯を疑っているところもある。
奴らにここまでの恨みを持っている者なんぞ、
そんなにいるとは思えないからな。
だから内部の者だけで警備をさせたくねえんだ」
確かにその線は有力だ。
「なるほど、理由は分かった。
それなら確かに外部の目が必要だ。
ただし警備には僕も参加する。いいな」
ナイジェルが目を細める。
「危険だぞ。暗殺者はかなりの腕だ。
油断していなくとも死ぬぞ」
「それでもフレアだけで、
参加させることはできない」
ナイジェルはため息をつく。
「お前がいいのなら二人での警備としよう」
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
その夜――
シモン派幹部が監禁された座敷牢の前。
僕とフレアは武装状態で待機していた。
更にその外部では、
アブラハムの戦士十五人が警備している。
僕は座り込んで銃の状態を確かめていた。
(あなたは、なぜここにいるのですか?)
沈黙を守っていたフレアがふと呟いた。
(何を言っているんだ?)
意味が分からなかった。
そんな僕をフレアが振り返って睨む。
(こんな危険な場所に、
あなたが理由もなく来るはずがありません)
(危険? どこにある?
貴族か強化外骨格でも来ない限り、
今のお前が僕を守りきれないはずがないだろう。
一応言っておくが警備より僕の安全が優先だぞ)
僕は確認のために言う。
フレアは戸惑いを浮かべ、
そして観念したように尋ねてきた。
(私は勝手に二つ名を受けました。
そんな私を信用していいのですか?)
そんなことを考えていたのか。
僕は少し言葉を探す。
(確かに、あれは今でも怒っている。
あの選択は間違いだと思っている。
だがよく考えれば、
お前ならそうするだろうと思った。
あの場面で僕に従って断るようなら、
それこそ逆に信用できなくなっていただろう)
僕の答えにフレアは目を細める。
(あなたは、ひねくれた人ですね)
僕は笑う。
(分かってきたじゃないか)
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
夜も更けてきた頃――
(来ました)
静かなフレアの声に、
僕は大きく息を吸い、
そして深く吐く。
(敵の数と装備を教えてくれ)
フレアは立ち上がり、
座敷牢の入り口を見つめている。
(敵は一人、武装は両手にそれぞれ短刀。
他には投擲武器を若干隠しているようですね)
単独で近接武装が主となると、
(敵は変異持ちか)
フレアは頷く。
(その可能性が高いでしょう。
アブラハムの警護は、もう機能していませんね。
近付いてきています。五秒後、正面から来ます)
フレアは迎撃の構えを取る。
次の瞬間、何者かが飛び込んできた。
真っ黒な装束を着ている。
人型だがかなり小柄だ。
だが恐ろしく速い。
襲撃者は蛇のように踏み込む。
フレアがぬるりとその進路を妨害する。
その歩みは薄気味が悪いほどに隙がない。
両者が激突した。
幾つもの火花が咲く。
金属を打つ音が幾つも重なって響く。
その一瞬にどんな攻防があったのか。
激突の場から弾かれたのは襲撃者だった。
大きく宙へ飛ばされている。
だが襲撃者は空中で体勢を整えると、
天井を蹴って進路を変える。
跳ね回るような軌道で飛ぶ。
フレアは進路を、再び阻む。
だが二度目の衝突か、と思われた瞬間、
襲撃者は一瞬でステップを切り返した。
フレアが置いていかれる。
その脇を襲撃者がすり抜ける。
僕は視線だけは外さぬように防御を固める。
だが襲撃者は僕には見向きもせず、
座敷牢を強襲する。
銀光が走り牢の格子が斬り開かれる。
次の瞬間、シモン派幹部の首が飛んでいた。
襲撃者はぐるりとこちらを見る。
牢から飛び出ると、
フレアの横をすり抜けようとする。
交錯の一瞬、
襲撃者はがくりと崩れ落ちかけるが、
足は止めず、そのまま走り抜けた。
(一撃入れましたが仕留められませんでした。
完全に逃亡を優先しているようですね)
(フレア、追えるか)
(やってみましょう)
黒い影を追ってフレアは飛び出していった。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
ムミョウは走っていた。
どこへ?
もう全ては終わったのだ。
行く先などない。
だからか足は自然と止まった。
全て、終わったのだ。
もう誰も何も知らないのだから。
見知らぬ場所で立ち尽くす。
そして十日ほど前のことを思い出す――
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
黄衣派本拠地最奥、工神の間。
表向きの祭儀に使われる書院の裏に、
その空間はあった。
ムミョウがそこに到着したのは、
緊急の呼び出しから十五分後だった。
その場には既に三人の暗部が揃っていた。
三人とも守旧派子飼いの暗部だった。
ムミョウもそうだった。
黄衣派に変異持ちが生まれると、
ほとんどは修道会へ流されるが、
一部の才能があると判断された者は、
黄衣派の中に残され、
特別な環境で育てられた上で、
裏の仕事を一手に引き受ける暗部となる。
ムミョウは父も母も知らない。
ただ黄衣派の誰かだと知っているだけだ。
だが、それで十分だった。
ムミョウたちは法皇直属だった。
幼い頃より法皇と面会し、
裏向きでは食事を共にすることもある。
ここまでするのは当代になってからと言うが、
少なくとも法皇の手足と呼べるところまで、
親交を深めるのが通例だった。
ムミョウたち暗部の前、
上段に座っているのが、
黄衣派最高位の権力者、法皇トウロだった。
トウロ爺は黄衣派の長であると同時に、
守旧派の長であり、
守旧派の中でも伝統重視の一派の長だった。
そして守旧派大粛清の、
非情な命令は既にまとめられ、
発表の時を待ち構えていた。
その発議の中心となったのが、
法皇トウロその人だった。
その果断な意志と断固とした態度に、
意見できる者はいなかった。
集まった暗部も沈んでいた。
己が母たる集団が死を迎えようとしているのだ。
冷酷非情の暗部たちにも感情はあった。
トウロ爺は四人の暗部が集まったのを見ると、
静かに話し始めた。
「無名墓標が暴かれたことは知っているな。
奴らはソーマを発見し黄衣派を糾弾した。
我らはこの難局に対処せねばならん。
その方法は、もう聞いているだろう」
解答は守旧派の大粛清だった。
トウロ爺は凄絶な笑みを浮かべた。
「血で罪をあがなうのだ。
だが、血は誰のものでもいい訳ではない。
何も知らぬ守旧派の子らを幾つ並べたとて、
その血は安いものよ。
我らは名のある者の、首を並べねばならん。
名簿はここにある。漏らさず、覚えるのだ。
そしてもう一つ。
これは口を封じるだけでいい。首は不要だ」
二つの名簿。
そこにはあまりに多くの僧の名があった。
ムミョウは震えた。
「これを見れば、誰でも疑問を覚えるだろう。
本当にこれほどの数を殺す必要があるのか」
トウロ爺は言う。
「全ては黄衣派を生かすため。
そして生まれ変わらせるためよ。
よいな、並べるのだ。こやつらの首をな。
封じるのだ。工神の秘蹟は失われねばならん」
法皇の命令は絶対だった。
如何に理不尽でも、暗部は従うだけだった。
「こたびの問題への対応として、
まず守旧派の首は、全て呼び集める。
その場に参集した者は、その場で首を取れ。
応じずば、取りに行け。
それこそ難行となろうが果たさねばならぬ」
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
その時は来た。
大書院の奥まった部屋に、
守旧派の幹部たちが揃っていた。
その部屋は気密性が高く、
中での会談内容が外に漏れにくいため、
重要な会議に使われることが多かった。
呼び集めた全員が残らず全てその場にいた。
二十八名全員である。
ムミョウたちはその周囲に潜んでいた。
部屋の扉が閉ざされる。
法皇トウロは微笑んだ。
「やれ」
部屋の中に煙が撒かれた。
それは麻痺を誘発する煙だった。
僧たちは混乱している。
四人の暗部が飛び込む。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
しばらくして――
「これでよい」
眠る僧たちの群れを見渡しトウロ爺は頷く。
「この部屋は封鎖せよ。次の会議だ」
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
次の会議は一風変わったものだった。
集まる者たちの出自が、多様なのだ。
黄衣派内の革新派の者もいれば、
更に黄衣派外の者も含まれていた。
だが、ムミョウはそれぞれが、
守旧派と深い関わりを持つ者だと知っていた。
この会議の人数は少なかった。たったの七名。
全員が集まった後、トウロ爺は笑った。
「やれ」
四人の暗部が飛び込む。
七つの命が絶たれるのは一瞬だった。
「彼らはいつも通り、
死体が残らないように処理してくれ」
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
その後には長い自殺偽装の仕事が待っていた。
終わった頃には夜になっていた。
トウロ爺は微笑んだ。
「よしよし、いい仕事だぞ。
ここでやってもらうことはもうない」
その後、トウロ爺は、
暗部の一人ずつに後の指令を託した。
そしてムミョウの番がやってくる。
最年少のムミョウは最後だった。
「ムミョウ、ここまでよく尽くしてくれたな」
トウロ爺は笑みを浮かべ、
ムミョウの髪を撫でる。
「後は残るシモン直下の幹部を殺せ。
その後は己の中の記憶を始末しろ。
やり方は分かっているな。
その後の命令はない。
思うまま、望むままに生きてくれ」
トウロ爺は最年長の暗部と共に去っていった。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
それから、ムミョウは戦い殺した。
シモン派の幹部を狩り続けた。
少しずつ傷が増えていく。
だが探り、追いかけ、殺し続けた。
そして全て殺しきった。
終わったのだ。
黄衣派の、法皇のために生きた。
それ以外の生き方を知らない訳じゃない。
暗部としての教育が終わった後は、
自由に外に出ることができた。
色々なものを見た。
だがそれらは色褪せて見えた。
ムミョウの世界は黄衣派の中にあった。
トウロ爺が死んだことは聞いていた。
自分の中の世界が、
決定的に欠けてしまった感じだった。
だからか、全てを殺しきった後、
感覚の鋭さが消えてしまったのだ。
もう戦えなかった。戦う理由がなかった。
さっき脇に一撃を受けたところが、
じくじくと痛んだ。
痛い。苦しい。
そんな今まで気にもしなかったことを、
重い気分と共に生々しく感じる。
走る足が止まった。
それ以上逃げる場所がなかった。
アブラハムは辺境の地だ。
逃げ道を十分に考えずに走れば、
行き止まりに到達するのは自明の理だった。
そこはスワルガの側壁に突き出した突起だ。
そこから見渡す世界。
セントラルにリバース・セントラル。
そして闇に浮かぶ星々とサンライト。
そのどれもが美しく、
ムミョウの興味を誘わなかった。
あの警備の変異持ちは強い。
もう一度戦えばおそらく負けることになる。
そうなれば捕まってしまうだろう。
拷問を受ければ吐いてしまうかもしれない。
それは嫌だったが、トウロ爺の言うように、
記憶を失うのも嫌だった。
トウロ爺の命令よりも私はこの記憶が大切だ。
だからここが死に場所だ。
ムミョウは決めた。
刀を握る手に力を込める。
追っ手が現れる。牢内で会った少女だ。
人々に混じって働ける見た目だが、
あの膂力は確実に変異持ちだろう。
私もあんな風になることもあったのだろうか。
だがそんな想像は必要ない。
異形の姿であろうとも、
ムミョウには家族と誇るべき役目があった。
後ろ首に右手の刃を当てる。
トウロ爺、今、お側に。
ムミョウは僅かにためらい、
それから己の首を一瞬で斬り落とした。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
フレアの後を追って、
僕は現場に辿り着く。
壁に大きな穴が空いていて、
外に向けて壁が飛び出している。
戦闘艦の側面部にある砲塔の跡だろう。
その突端にフレアは立っていた。
その足元には、
黒装束を着た、
灰色の毛皮の変異持ちの死体があった。
その死体には首がない。
(何があった?)
(自殺、したようですね)
(自分で自分の首を刎ねたのか?)
(はい)
首は見渡す範囲にも転がっていない。
遥かベルト表面まで、
転がり落ちたのかもしれない。
(やはり職業暗殺者だな)
その装備を見ながら僕は考える。
よく整備され使いやすく改造されているが、
品物自体はどこでも手に入りそうな品だった。
捕まるより死を選ぶような暗殺者だ。
この遺体から素性を探るのは難しいだろう。
その後、僕は死体をナイジェルに引き渡した。
ナイジェルは少なくとも、内部の人間による、
直接の犯行ではないことに安堵していた。
僕らはそれなりの報酬をもらい、
アブラハムの本拠から中心街へと戻った。
フレアは少し憂鬱そうに見えた。
大方、あの変異持ちに同情でもしているのだ。
だが僕は同情しようとは思わない。
暗殺者になるということはそういうことだし、
それが嫌なら、竜人たちのように生きる道を、
選べばよかっただけの話だからだ。
宿のテーブルで酒を飲みながら、
僕は僅かの間、顔も知らぬ暗殺者のことを考え、
そして今日は酔い潰れるまで飲むことにした。




