第十四話 策謀の結果
独立派は大きく動いた。
無名墓標の社にある証拠を保存した上で、
黄衣派の証拠隠滅を防ぐために、
防衛線を作り上げたのだ。
夜が明ける頃には無名墓標の社は、
完全に独立派の拠点になっていた。
元来が要塞としての性質を持っていた施設だ。
もはやそれは難攻不落であった。
黄衣派はその暴挙に対して厳重に抗議し、
スワルガの各勢力に奪還への協力を要請した。
独立派の専横を許してはならない、と。
だがその要請に応じる声はなかった。
黄衣派と独立派の争いに手を出すことを、
各勢力は躊躇していたのだ。
今一つの噂が都市の中を駆け巡っていた。
それが真実なら、真の悪は黄衣派だったからだ。
噂とはトビー・ビショップの物語である。
彼の出自、
彼の目的、
彼の生き様、
その生涯は人々の間を流れ、
短い時間でどこまでも広がっていく。
トビーは無名の探索者ではなかった。
確かに彼は権力に近付くことはなく、
表の世界で影響力を発揮することはなかったが、
迷宮で生死を共にした探索者の中では、
頼りになる同胞として広く認知されていた。
そして彼が財産や名誉ではなく、
別の何かを求めていたことを知る者も多かった。
物語はそういった人々の証言をも取り込んで、
英雄の伝説へと昇華していく。
それは既に、
僕が最初に作ったものとはかけ離れていた。
もはやトビー本人とも別物に近い。
だがこれから変化は更に続いていくだろう。
もう人々の反応に戸惑うことはない。
こうなるのも当然のことである。
そうなる理由が今は僕にも理解できていた。
ソーマはスワルガの闇そのものだった。
それは振り払えない罪業である。
異邦人がスワルガを訪れた際、
最も嫌悪を感じるのは、
裏通りに転がる中毒者の姿を見た時だ。
たった一錠の薬で、
人がものも言わぬ、
排泄物を垂れ流すだけの肉となる世界。
それが破戒都市スワルガだ。
スワルガに住む者にとっても、
その嫌悪感は変わらない。
どれほど慣れていても、日常となっていても、
ちょっとした誘惑に負けるだけで、
いつ陥ってもおかしくない地獄がそこにある、
その現実が次第に心を蝕むのだ。
人々は待ち望んでいた。
この閉塞した状況を打開してくれる何かを。
そのからっぽの玉座に、
きれいにはまったのがトビーだった。
彼は英雄的行為を死により完結させている。
彼は殉教者だ。
名声に増長することもない。
権力者となって腐敗することもない。
もはや彼が人々の期待を裏切ることはない。
トビーは理想の英雄そのものだった。
独立派はその流れに予定通り便乗し、
こう宣言した。
独立派の今までの行動は全て、
トビーに協力するために行ったことだった。
皆に迷惑をかけたことを申し訳なく思う。
だがその結果として、
黄衣派がソーマを製造していたことの、
証拠を掴むことができたと。
そして独立派は各勢力に、
証拠を公開する用意があることを伝えた。
各勢力から人が集まったのは翌日だった。
製造設備自体は、
独立派が焼き払ったということになった。
だが残ったものでも証明には十分だった。
そこに集まった全ての勢力は、
ソーマの製造者が黄衣派だったことを理解した。
独立派の名誉は回復された。
独立派は正義となり、
黄衣派は悪となる。
黄衣派の名は完全に貶められた。
だがそれは黄衣派全体の敗北とはならなかった。
黄衣派の一派、革新派も、
トビーに協力していたことが判明したのだ。
革新派はこう宣言した。
為された悪は黄衣派の意思によるものではない。
全て古い因習に縛られた守旧派の独断であると。
これもまた予定通りだった。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
それは前々夜のこと。
詳細を詰める打ち合わせの後、
独立派の男は獰猛に笑った。
「痛めつけられた分だけ取り返してやろう」
独立派はこの機会を利用して、
黄衣派を完全に叩き潰す腹積もりのようだった。
だが僕はそこまでさせる気はなかった。
「復讐をするなとは言わないが限度はある」
「なぜだ?」
「逃げ道をなくせば、
これまでの君たちのように相手は死兵となる。
別に全ての復讐の機会を手放せとは言わない。
ただ、相手が頷ける程度で済ませるべきだ。
黄衣派の存在はスワルガには必要だからな」
独立派と黄衣派は破戒都市の二大巨頭だった。
二者は相互に牽制し合うことで、
安定を維持していた。
これは動的な均衡だ。
押し合う二者の片方が突然消えれば、
押さえを失った力はどこに向かうだろうか。
「……確かに」
男は僅かに表情を歪める。
「敵は外にいる方がいいね」
覇者となった独立派は統制を失い、
無数の派閥に分裂することになる。
黄衣派と同じように。
僕は頷いた。
「だから逃げ道を用意する。
黄衣派の上層部に理解させるんだ。
ソーマ製造は全体の意思ではなく、
一部の閉鎖的な派閥が独断で行っていたことだ、
ということにして、腐った部分を切り捨てれば、
まだ生き残る道はある、とな」
「分かった。だが、どう伝える?」
「了解してもらえたなら問題はない。
朝には黄衣派にその旨の連絡が届くだろう」
「何だと?」
男は僕を睨みつける。
僕は微笑む。
「黄衣派の中にもトビーの協力者はいた。
その一人を僕も知っている。
それだけのことだ」
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
黄衣派の動きは早かった。
革新派は守旧派の大粛清を行うことを発表した。
その規模は、まさに未曾有のものだった。
だが、それが実施されることはなかった。
発表の直後に、
主犯とされた責任者が集団自殺したのだ。
守旧派大僧正九名とその側近十九名。
自殺者は二十八名を数えた。
ほぼ同時に、
守旧派の書庫の主要な記録が火にかけられた。
彼らがなぜソーマを製造していたのか、
どのように製造したのか、
真実は完全に失われることになった。
残された遺書には、
犠牲者への謝罪と、
罪深い行為を続けたことの後悔、
そして命令に従った信者の減刑の嘆願が、
記されていたという。
その自殺が自殺かどうかは判然としなかった。
だが当事者が死ねばそれ以上の追求は難しい。
また死者の願いを無視することもできない。
こうして問題は終わりを迎えることになった。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
あの夜から丸三日――
全てがまとまった後、僕は解放された。
「今回は助かったけど、
次に会う時はまた敵同士だ。容赦はしないよ」
社の裏口で独立派の男は笑った。
「……それはお互い様だ」
僕は返し、それから背を向けた。
少し歩いたところで声がかかる。
「私はケイマン・トラウェイだ。
あなたの名を聞いてもいいかな」
僕は振り返り答える。
「ロデリック・ラッカード。
ラッカードと呼んでくれ」
「今後、あなたと連絡を取る時は、
どのようにしたらいいだろうか?」
「僕がスワルガに滞在している間は、
教会のナイジェルを経由してくれ。
それ以降は、僕と君は敵同士だ。
もう連絡を取り合う必要はない」
僕はそう言い、背を向ける。
「ラッカード、あなたに感謝を。
誰も知らずとも私とリディアは知っている。
英雄は一人ではないと。
始めたのはトビー・ビショップかもしれない。
だが、あなたがいなければ終わらなかった。
要求通り、あなたの名は隠し通したが、
本当にそれでよかったのかい?」
ケイマン・トラウェイは問いかける。
僕は答える。
「ケイマン、
お前はこの物語を、
貴族が糸を引く茶番劇にしたいのか。
英雄はトビー・ビショップ一人で十分だ」
「……そうか。
また会える日を楽しみにしているよ」
僕は今度こそ振り返らず、階段を下った。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
五分ほど門前町をゆっくり歩く。
トビー・ビショップの噂が、
そこかしこで囁かれている。
誰もが浮かれているようだった。
そこで、フレアが合流してくる。
僕の斜め後ろを歩き始める。
(全てあなたの予定通り、というところですか)
その声は僅かに糾弾の音色を帯びていた。
(そうでもない)
予定通りに進んだことはほとんどない。
(だが結末は想定の範囲内だ)
黄衣派の弱体化を餌にして独立派を懐柔する。
最終的な計画を一言で言えばそういうことだ。
そのために、可能なことは全て行った。
必要な事実を集め、なければ捏造した。
明らかに危険な綱渡りだった。
だが渡りきった今、僕らは大きな成果を得た。
(あなたとしては成功だと?)
(僕たちの安全は確保された。
目標が達成された以上、成功と言うしかない)
(……そうですか)
フレアは静かに答える。
(一つの都市を巻き込んで成功ですか)
(……規模を選んだのは、独立派だ)
(あなたは随分と楽しそうに、
作り話をしていたではないですか。
あの英雄の物語の出来は素晴らしいものでした。
それが導く結果からすれば、皮肉なものですが)
(何が言いたい?)
僕は振り返る。
フレアは静かに僕を見つめ返した。
(あなたがよく分かりません)
(僕にはお前がよく分からない)
(あなたは、
誰の命なら犠牲にできるのですか)
(人類の誰が死のうと、
お前には関係のないことだ)
僕は苛立っていた。
僕は目標を達成するために、
最善の行動を選んだだけだ。
それ以上のことなど、
何も考えていない。
誰が死のうが関係はない。
(お前は人類の敵だろう)
(違います)
フレアは真剣に答える。
(私は人類の守護者です)
意味が分からなかった。
僕はため息をつく。
だが言いたいことは分かった気がした。
今回は確かに多くの人間を巻き込んだ。
こんなにも大掛かりな作戦を、
一人で立てるのは僕も初めてだった。
この苛立ちはおそらく、そのせいだ。
(全ての者が幸福となる結末ではない。
それは分かっている。
僕の手で陥れられ、
自ら死を選んだ者のことも知っている。
僕は彼らの死を計算に入れていた。
そうせざるを得ない状況に追い込んだ)
僕の立てる戦略はいきあたりばったりだった。
ロデリック・エンダーの足元にも及ばない。
だがよりよい方法は思いつかなかった。
この現状でさえ、トビーという大駒を、
偶然手に入れていなければ、
たどり着くこともできなかっただろう。
(僕はどうすればもっとうまくできた?)
(何を言っているのですか?)
フレアは少し驚いているようだった。
何を驚くことがあるのか。
僕が全てを理解し、
何の恐怖も後悔も感じず、
淡々と作戦を進められる、
神算鬼謀の賢者だとでも?
僕がそこまで完璧なら、
こうはなっていない。
そんな感情を僅かに漏らしてしまったのか、
フレアはじっと僕を観察していた。
(私が誤解していました。
あなたを悩ませたことを謝罪します)
フレアは言った。
(私の目から見る限り、
あなたの作戦の結果は、
素晴らしいものだと思います。
あのケイマンという男の言っていた通り、
あなたの目的が保身だけなら、
こうする必要はなかった。
あなたには私という切り札があり、
目撃者を全て始末するつもりなら、
あなたの安全は保証されていた。
それでもあなたはトビーの夢を引き継ぎ、
それを完全に実現させた。
短期で見れば残酷なこともありましたが、
長期で見れば、それ以上に多くの人々が、
救われることでしょう)
(だが十分な利益がなければ、
トビーのことなど、放置していただろう)
(あなたが利益にならないことをする姿は、
想像できませんね)
その通りだと思った。
僕のシナリオは僕のために立てられたものだ。
それ以上でもそれ以下でもない。
そして、もしもう一度過去に戻れたとしても、
僕は同じように選び、命を切り捨てるだろう。
ならば後悔など必要ない。
(そうだな。そろそろ遙花のところに帰ろうか)
僕は歩き始めた。
その時だった。
見覚えのある少年が裏路地を駆けて来る。
初日に捕まえた掏摸の少年だ。
「おい、お前!」
息も切れ切れに少年が叫ぶ。
「きょ、教会が! アブラハムに!」
意識が切り替わる。
僕は走り出した。
少年の要領を得ない言葉から状況を整理する。
途中で疲れて足の止まった少年は、
フレアに抱えさせる。
十数分後――
僕たちがたどり着いた時、
既に教会は焼け落ちて、
人の姿は一つもなかった。




