第四話 屋上での問答
ハルカ視点です。
ハルカ・アブライラの眠りは短く、浅い。
スターライトの照射が始まる前には、
いつも目を覚ましている。
隣でまだ兄が眠っているのを確認して、
ハルカはそっと起き上がった。
ハルカは気配の変化に敏感だ。
隣の彼女が五分ほど前に、
部屋から出て行ったことにも気付いていた。
兄の部屋を出て階段を登る。
屋上に上がるとそこには、
茜色の瞳の少女の姿がある。
「おはようございます、ハルカさん」
気配は隠していたはずなのだが、
フレアという少女は、
あっさりハルカの存在に気付く。
にこりと微笑む少女にハルカは思う。
これは強敵だ。
あらゆる意味でそう思う。
少女は静かに身体を動かしている。
その流れは最速でも巧緻でもないが、
どこか自然で、なお人工的だ。
身体の部分それぞれが、
もっとも自然に動ける動きを選んでいるような。
それは特殊な動きではある。
だがあまりに素直な技でもあった。
――これでは兄さんには勝てませんね。
ハルカはそんなことを意地悪く考え、
それから当初の目的に戻った。
敵なら敵でいい。
でも今の状態はもう嫌だ。
何が何なのか分からない状態は、
もう我慢ならなかった。
彼女の本音を確かめたい。
だからハルカは尋ねた。
「フレアさんは兄さんのこと、
どう思っているんですか」
もっと婉曲に意志を確かめる方法もあると思う。
兄は、そういうのも得意だ。
だがハルカは苦手だったし、
そんな風にするのが嫌いだった。
質問は正面からする方が向いている。
茜色の少女はちょっと考えて、言った。
「あなたが彼に好意を持っているのは分かります。
しかし申し訳ないのですが、
その点にはあまり共感できません。
私は彼に好意を持っていませんので。
ただ、幾ばくかの興味を持っているだけです」
分かりにくい言い方だ。
人を煙に巻くのを好む人間の口調だと思った。
「でも、兄さんと一緒にいたいんでしょう?」
ハルカは質問を続ける。
茜色の少女は頷いて答えた。
「確かにそうです。
ですがそれは、
彼から学びたいものがあるからです。
少なくともロデリックがとても理性的で、
なおかつ強い意志を持つ、
敬意を払うに値する存在であるのは、
確かだと思います。
私がしばらくの間でも、
傍でその生き方を見ていたいと、
願ってしまう程度には」
その表現は不明瞭だった。
だが、兄を評価しているのは確かだ。
ハルカは兄を褒められるのも好きだった。
少しいい気分になる。
茜色の少女は、言葉を続けた。
「私は臆病な存在です。
予測できない状況を怖れて前に進めずにいる。
私が彼の傍にいるのは、もしかすると、
そんな状況でも前に進むための、
姿勢を学びたいから、
なのかもしれません」
抽象的だった。
けれど訥々とした言葉に、
ハルカは少し共感していた。
それは未知への恐怖を語るものだったからだ。
ハルカ自身にも、その恐怖はあった。
だから、自分の出した結論を伝えたくなった。
「望んで踏み出した結果なら何を失ってもいい。
そう心に刻めば、もう何も怖くありません」
ハルカの言葉に、
茜色の少女は曖昧に微笑むばかりだった。
「勇敢ですね。
私にその勇気が少しでもあればよいのですが」
悲しいような、悔しいような。
割り切れない気持ちを感じた。
言い募る。
「勇気なんていりませんよ。
何も考えずに踏み出せば」
だが自分でも何を言っているのか、
よく分からなくなってきた。
もう黙ろう。
ちょっと失敗した気がする。
でも話せてよかった。
この人の人となりに触れることができた、
ような気がした。
話は聞いていた。
ベルトの名家の出身で変異持ちであること。
幼い頃に、兄と数ヶ月一緒に旅をして、
探索者としての技術を学んだこと。
それからは探索者として暮らしていたこと。
今はアルテミシア商会で働いていること。
そして、その技術はトップクラスであること。
事実は列挙できる。
こういう人を、天才と呼ぶのだろう。
だがその性格はよく分からなかった。
彼女の境遇は、ハルカと似ていた。
変異持ちは社会から完全に拒否されている。
それはリバース・セントラル出身者の
ハルカの比ではない。
そんな中を生きてきた少女が、
どんな考え方をしているのか興味があった。
話してみると分かった。
彼女は強い人だった。
言葉は弱気だけれど、
そんなものは関係ない。
自分の弱さと向き合っているのだから。
それはもう強さだと思う。
すごい人だ。
認めると、
想像していたよりもずっと激しく、
心の中で鬱屈した感情が噴き出すのが分かった。
どうしようもないほどの劣等感が、
心の底にわだかまる。
溢れるほどの嫉妬が湧き出ている。
彼女は天才だから、強いから……
彼女が抱えたものも知らないのに、
言い訳を繰り返してしまう。
向き合えていない自分を呪いたくなる。
もう止めだ。
これ以上はもうだめだ。
「私、やっぱりあなたが嫌いです」
自分が支離滅裂になっているのは分かっていた。
だが茜色の少女は、慈母のように微笑む。
「それで構いません。
あなたがたの人間関係に割り込んでしまって、
本当に申し訳ないと思っています」
なんて心根の優しい人なんだろう。
だから、ハルカはその場を逃げ出した。
もう考えるのは止めよう。
この人は眩しすぎる。
こんなに輝いている人が、
兄さんの傍にいることに耐えられない。
これは嫉妬だ。
止めよう。
心に蓋をしよう。
そんなことを考えても惨めになるだけ。
もう兄さんのところに帰ろう。
兄さんの隣で、兄さんの体温を感じよう。
それだけで何もかも忘れられる。
それだけで幸せになれるから。




