第三話 リバース・セントラルの遺児
時刻はまだ昼を過ぎたばかりだ。
商売人たちは交渉に熱気を上げ、
儲けた山師は昼間から酔っ払い、
掏摸の子供たちは虎視眈々と狙いを定めている。
町は騒がしく、人は生を謳歌していた。
それは僕らが歩き始めて二、三分ほど過ぎた頃。
繁華街の入り口付近でのことだった。
「兄さん」
隣を歩いていた遙花は立ち止まると、
僕の腕をぎゅっと抱いたまま、
背後を振り返った。
「聞きたいことがあるんですが……」
「なんだ?」
僕は引っ張られるように足を止める。
「どうしてあの人は、
私たちの後ろをついてくるんですか」
遙花は低い声で僕をなじるように言う。
「今日の兄さんは、私の兄さんなんですよ」
理由は分かりきっていた。
「……どうしてだろうな」
僕は嘆息する。
十メートル後ろを歩く茜色の瞳の少女は、
もはや隠れる様子もなく、
静かにこちらを見つめていた。
その視線からは何の表情も読み取れない。
それが不気味さを醸し出していた。
「やめさせることはできないんですか?」
遙花は少し腰が引けたようだ。
声の勢いが弱くなっている。
「無理だな」
僕はぼやく。
「あいつが好きでやっていることだ」
遙花は僕をじっと見て呟いた。
「女たらしですね」
それから諦めたように言う。
「もう、一緒に歩いてもらってください。
あんな風に尾行されていると、
気分が悪いだけです」
「いいのか」
「好きにすればいいです」
(フレア、聞いていたな)
僕はフレアに視線を向ける。
(問題ありません)
フレアは頷くと、
僕の斜め後ろの定位置についた。
遙花はその様子をうさんくさそうに見て、
抱きつく腕の力をぎゅっと強くした。
不満げな表情だ。
反射的に僕は遙花の髪を撫でる。
遙花は一瞬蕩けそうな顔をして、
それから騙されませんよ、
と怒りの表情を形作った。
僕らは店を回った。
遙花は休みごとにここに来ており、
その間はほとんど、
僕かベルと一緒に行動している。
そのため僕たちの行きつけの店では、
どこでも顔なじみだった。
「お昼、まだだよな」
「はい」
「じゃあワンさんのところに行くか」
ワンさんはここらでは古株になる。
屋台ばかりの界隈で、
小さいながら店舗を構えていた。
暖簾をくぐる。
「おお、ハルカちゃんやないか。
久しぶりやなあ。
そうか、もう学院は春休みになっとんやな」
第一声は厨房のワンさんだ。
「お久しぶりです、ワンさん」
僕らはテーブルに着く。
遙花は素早く僕の隣を確保していた。
「ご、ご注文はお決まりですか、
ハルカおねーちゃん」
出てきたのはワンさんの孫娘だ。
「モリーちゃんも久しぶりです!
元気してましたか?」
「はい!」
元気な返事が返ってくる。
「注文はいつも通りでいいですよね」
僕に確認した後、遙花はフレアを見る。
「ロデリックと同じもので」
フレアは頷いた。
「ふーん。じゃ、定食三つでお願いしますね」
「分かりました!」
モリーちゃんは元気よく答えて厨房に向かう。
「じーちゃん! 日替わり三つ!
大至急の超特急で!」
「店じゃ大将やと、何度も言っとるやろが!」
ワンさんは怒鳴りつつ、準備に入る。
いつもの光景だ。
定食はすぐに出てくる。
「ハルカちゃんも、
もうこっちの子になっちまえや」
厨房から出てきたワンさんが笑い、
ハルカが頷く。
「もちろんです。
学院を卒業したら、
兄さんと一緒に働くつもりですから」
「おお、そんときは贔屓にしてくれや」
ワンさんは笑う。
モリーちゃんもその場に来た。
「ハルカおねーちゃんが来たら、
お嫁さんにしてもらうの!」
いつものモリー・ワン爆弾発言集である。
昔の遙花は黙っていれば、
確かに少年にも見えたけれど。
鼻息の荒いモリーちゃんの本気具合が、
気になるところである。
「なにい! さすがに孫は渡さんぞ!」
ワンさんが吼える。
遙花は微笑んだ。
「モリーちゃん、それは無理ですよ。
私は兄さんのお嫁さんになる予定ですから」
いつもの返事である。
だが、そこでワンさんの表情が曇る。
「そ、そうやなあ」
視線は僕の正面にいるフレアに向かっていた。
遙花も気付いたようだ。
不機嫌そうに僕を睨む。
そこでフレアが口を開いた。
(何を言うつもりだ?)
(あなたにとって都合のいいことです)
「私はこの人の妻が何人いようと構いませんよ」
遙花は愕然と目を見開いた。
「……それ、本気ですか」
「嘘は言いません。
もちろん私も傍にいることが前提ですが」
「……私は独占したい方です。
気が、合いませんね」
遙花は座ったまま殺気を放出した。
その姿勢が僅かに変わり重心が大きく動く。
おい、何を始めようとしている。
僕は隣の遙花の頭を軽く叩く。
「仲良く、な」
遙花は不満そうに叩かれたところを撫でた。
僕はフレアを睨む。
(お前、何がしたかったんだ?)
(おかしいですね)
フレアは戸惑っていた。
(敵ではない、とアピールしたつもりですが)
フレアはそれから、よく分からないことを、
ぶつぶつと繰り返していた。
しばらくして食べ終わったところで、
厨房に潜っていたモリーちゃんが出てくる。
「おねーちゃん、試食して、試食!」
持ってきたのは、
ちょっと不恰好な包み料理だった。
これも遙花来訪時の恒例行事である。
「モリーがつくったの!」
「ありがとうございます。いただきますね」
ぱくりと一口。もぐもぐ。
「……微妙ですね。でも前よりは美味しいです」
「そっかー」
遙花の判定にちょっとへこんでいるようだ。
だが、すぐに復活して、
にへへとモリーちゃんは笑った。
「もうちょっと修行だねー」
厳しいことを言う妹様だが、
これでも最初は甘いことを言っていたのだ。
だがそうしたらモリーちゃんに怒られてしまい、
その後はこの有様になった。
「それじゃ、また来ます」
「まいど!」
ワンさんに見送られ店を出る。
それからも繁華街を巡り、
気付けば夕方になっていた。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
事務所まで戻ると、
ソファで居眠り中だったアリスを起こし、
遙花を預ける。
「じゃあ、またな。健康には気をつけるようにな」
そして僕は帰ろうとした。
当たり前のようにフレアが、
僕の斜め後ろに続く。
「兄さん、ちょっと待ってください」
呼び止める遙花。
僕は振り返った。
遙花は冷たい目で僕を見ていた。
何かを確信しているようだった。
「どこまで一緒に帰るんですか?」
僕は口ごもる。
答えたのアリスだった。
「……部屋までだよ。だって隣同士だしね」
致命的な一言である。
遙花に驚きはない。
「兄さん、本当ですか? 本当なんですね」
疑惑を確信に変えて、遙花が目を細める。
そして宣言した。
「なら今日は朝まで兄さんと一緒にいます」
「な、何を言っているんだ?」
意味が分からなかった。
急展開についていけない。
だが遙花は本気のようだ。
僕は助けを求めて、アリスに視線を向ける。
アリスは言った。
「別にいいんじゃないかな」
お前、遙花の相手がめんどくさかっただけだろ。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
僕の部屋がある半壊ビルまでつくと、
もうスターライトは消えかけていた。
僕はフレアに尋ねる。
「今日はどうする?」
フレアは拳を握ってみせる。
「やれるならやりましょう」
「何の話ですか」
僕の腕に抱きついたままの遙花は首を傾げる。
「稽古だよ。僕らも昔はやっていただろ」
僕らはそのまま屋上に向かった。
そして稽古を始める。
殴る、蹴る、投げる。
何でもありの修練である。
稽古が終わった後、遙花は言った。
「兄さんもですが、
フレアさんもすごいですね。
いえ、お昼の襲撃の時の動きでも、
かなりの腕だって分かっていたんですけど、
本来の能力をきっちり常人並みに抑えたうえで、
あれだけの動きができるとは思いませんでした。
相当の使い手ですね」
冷静な評である。
遙花に褒められるなら今は十分だろう。
汗を拭いた後、僕らは屋上から階段を下りた。
(フレア、今日だけは頼むから、
隣で待機していてくれよ)
(……考えさせてください)
部屋の直前まで来て、
フレアはやっと答えた。
(今回は特別です)
僕は安堵に緊張を解いた。
フレアは遙花に会釈して、
隣の部屋に入っていった。
僕も遙花と一緒に部屋に入る。
「兄さんの部屋ですね。
くんくんです。兄さんの匂いがたまらないです」
入るなり遙花は呟き、じろりと僕を見つめた。
「あの女の匂いもしますね。
分かっていました。
やっぱり連れ込んでいたんですね」
どんな嗅覚をしているのか。
いや、ほとんど一晩中いるのだから、
匂いが残っているのも当然ということか。
「話をするときは、こっちに来てもらっている」
「いつも夜中にベッドで話をしているんですね」
遙花はそう言いながらベッドに近づく。
そして首を傾げた。
「あれ、あいつの匂いがしない?」
「だから話しているだけだって」
普段から壁際を指定席にしていてよかった。
だが遙花は別の解釈をしたようだった。
「兄さんの男性が不能になってしまったなんて」
「馬鹿なことを言うな」
「本当に問題ないのですか。
ちょっと確認させてください」
僕は下半身に伸びる手を叩き落した。
「妹がこんなにも下品になって、僕は残念だ」
「女なんて一皮剥けばみんなそんなものです」
「みんなが自分と同じだと思うなよ」
「そうでしょうか?」
「そうに決まっている」
僕はちょっと安心していた。
遙花はもう笑っていた。
不機嫌はどこかに飛んで行ってしまったようだ。
「そうだ、兄さん、手当ての道具はありますか」
「何に使うんだ?」
「あの人にかなり殴られてたじゃないですか。
その手当てです」
普段なら、そのまま寝れば、
起きたらもう全快している。
別に治療など必要ない。
だが断ることもないだろう。
僕は棚から医療品の袋を出すと遙花に預けた。
「上、脱いでください」
上半身、裸になる。
遙花は、頬に手を当て、
わはー、などと言っていた。
その頬は少し上気している。
何とも変態淑女に育ったものだ。
だが本来の目的を忘れてはいないようである。
遙花は打ち身や擦り傷の手当てを始めた。
「学院は変わりないか?」
僕は思いついた質問を口にする。
「……兄さんがいた頃と、何も変わりません」
遙花は俯いた。
僕は少し後悔した。
セントラルは外の人間には冷たい閉じた社会だ。
遙花はセントラルで生まれながら、
完全な外の人間だった。
リバース・セントラルの外交官の、
私生児だったのだ。
アルテミシアには、
そういう子供を集めて回る悪癖がある。
僕が血縁でもないのに、
兄などと呼ばれているのは、
学院での下宿が一緒だったからだった。
「兄さん」
「……何だ?」
「兄さんは昔から生傷が絶えませんね」
「余計なお世話だ」
「あの頃の兄さんは、
貴族相手にも決して退かなかった。
弱っちい、ただの人間だったのくせに、
よく頑張っていたと思います」
遙花はよくトラブルを持ち込んだ。
その大半は、遙花の容貌が原因だった。
オリエンタルな美貌に目の眩んだ男性貴族と、
嫉妬する女性貴族たちである。
僕はそれを色々な伝手を頼り、
時には身体を張って解決した。
「弱っちいとは何だ」
遙花は小さく笑む。
「褒めているんです」
「でかい面されるのが気に入らなかっただけだ。
それに大事な妹をけなされて、
黙っていられるか」
僕は遙花の茶色の髪をガシガシと撫でる。
「んふふ」
遙花はくすぐったそうに笑った。
「でも、ですね。
やることは卑怯なことばかりで、
実は少し恥ずかしかったです」
「……あれが僕のやり方だ」
僕は顔をしかめた。
正面からでは命が幾つあっても足りないのだ。
「私のせいで、
いつか兄さんが死んじゃうんじゃないかって。
いつも、すごく怖かったです。
本当に紙一重のこともありましたよね。
姉さんがいなかったらどうなっていたことか。
今まで五体満足ではいられなかったはずです」
遙花は少し怒った顔を作り、
それからくすくすと笑った。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
リバース・セントラルの人間は特殊だ。
彼らは独自の強化外骨格を着込み、
それを決して脱がない。
僕らが見るリバース・セントラリアンは、
ずんぐりむっくりした熊のような、
巨大な卵に太い手足が生えているかのような、
そんな機械の鎧の怪物だ。
あれが同じ人間であると直観するのは難しい。
リバース・セントラルは機械の支配する国だ。
そこらを徘徊している鎧の怪物が、
リバース・セントラルの住人そのものである。
そう考えているうっかり者も多い。
そのため数人は外骨格を脱いだ。
その必要があったから。
同じ人間であることを証明するために。
彼らは人種系統こそセントラルとは違ったが、
確かに人間だった。
その一人が遙花の父だった。
母はセントラルに住むベルト人だったが、
産後に死んだと聞いている。
外骨格を脱いだリバース・セントラル人は、
故郷に帰還する資格を失う。
遙花の父は数年をセントラルで過ごした後、
自殺した。
「いつもパパはしかめっ面でした。
セントラルの水を飲むことも嫌で、
空気を吸うことも苦痛みたいでした。
セントラルで生まれた私を、
パパは哀れみの目で見ました。
私はそれが嫌いでした。
セントラルで生まれたってことが、
そんなにいけないことでしょうか」
彼はセントラルで子供を作ってしまったことを、
恥じていたようだった。
「パパは時折、
昔着ていたという外骨格を、
悲しそうに見つめていました。
故郷を離れて、
怪物どもの巣窟に追いやられ、
二度と帰れないという現実に、
耐えられなかったのでしょう」
自分には分からないが、
と自嘲するように遙花は言った。
遙花がリバース・セントラル人であるのは、
その遺伝子だけだった。
彼女の父親は何も残さずに逝った。
その頃から、
リバース・セントラルとセントラルの関係は、
悪化の一途を辿ることになる。
僕はその自殺も、
本当に自殺かどうか、疑わしいと思っていた。
そのくらいは遙花にも分かっているだろう。
だが証拠のないことを、
ことさらに荒立てても仕方がない。
遙花は身体的特徴を除けば、
言葉も習慣も全て、
セントラル式のものを身につけていた。
彼女の父がそういう風に育てた。
彼は遙花を、
セントラルの人間にしたかったのだと思う。
だが彼女は行く資格さえない故郷に、
自分のアイデンティティを置いた。
セントラルという世界は、
他者の扱いに慣れていなかった。
貴族を中心とする閉鎖社会では、
異邦人の蔑視はあまりあるものだった。
貴族。
それは人類を超えた人類だ。
だが超人であるという自己認識は、
弱い精神を簡単に病ませてしまう。
貴族は鈍感になりすぎていた。
自分が他者にどう見られているかということに。
腐っていると表現しても差し支えなかった。
少なくとも遙花は貴族たちを、
種族として一まとめに憎んでしまっていた。
何をするか分からないほどに。
ベルが、遙花を、
休暇のたびベルト地帯に呼んで、
セントラルから離れさせたのも、
そのためだった。
「……兄さんは貴族は好きですか」
「相手によるさ」
だが僕は知っている。
貴族も人間だった。
それだけのことだ。
悪い奴も、ほんの少しだがいい奴もいた。
遙花に近づいてきたのが、
ゴミ虫ばかりだったのは確かだが……
「私は貴族なんてみんな嫌いです」
「ベルもか?」
遙花は慌てて首を振る。
「姉さんは特別です」
「そうか」
僕は安心する。
だが遙花は顔を少し赤らめて続けた。
「……兄さんも……特別です」
僕は黙り込んだ。見つめ合う。
遙花は治療の手を休めたまま震えている。
小さな肩に手を伸ばしたくなる衝動を堪える。
いや堪えきれず手がゆっくりと伸びる。
先に目を逸らしたのは遙花だった。
「兄さんに襲われかけた」
冷静な口調で呟く。
「姉さんに言いつけてやります」
「そ、それはやめてくれ」
僕は呻く。
「嘘です。それじゃ私も疑われてしまいます」
僕は言葉を失う。
遙花は俯いて手当てを再開した。
「兄さんは、はっきりしない人だから。
そういうことは、
本当に好きな人とだけにするべきです。
よそ見しちゃ駄目ですよ」
僕を戒めるだけではない、
自分に言い聞かせるように遙花は淡々と告げた。
「なあ、そう言えばアリスはどうなんだ?
あれも、一応貴族だけど」
遙花は少し考えて言った。
「あれはただの怠け者です」




