爆誕、むささび猫?(2)
「川です、サラちゃん」
「見れば分かるわよ……ライラ、周囲はどう?」
『……大丈夫。対岸も含めてヒトの気配は無いわ』
二日間、かつておれの縄張りだった森を歩き、無事に境界線まで辿り着いた。
川を渡った先は、人間どもの縄張り。
上流へと遡れば、奴隷どもが元居た開拓村へと繋がる。
「他のみんなは大丈夫でしょうか……」
森に残してきた野犬どもを思い出し、奴隷は辿った道筋を振り返る。
総数、五十頭を超える群れを引き連れての移動は、周囲に与える影響が大きい。
開拓村の人間どもを含めて、森には多種多様な縄張りが存在する。おれが縄張りを捨てたことで、グリム・ガルムが群れを引き連れ、それを奪いに来たわけだが……やつも死んだことで空白はさらに増えた。
そのニュースは、すでに森の全域に知れ渡っていることだろう。
『やつらはすでに自分の縄張りを作り始めている。あれはもうただの野犬の群れではない。アニマで武装した集団だ。人間どもはもちろん、並のグリムとも対等以上に渡り合えるだろう……全く、せっかく手に入れたアニマを、行きずりの犬どもにくれてやるとは……』
「最初に作ってあげたのはネロ様ですよ?」
「もうすぐこの森が戦場になる――って脅かしたのもあんたよ。ボスを殺したあたしたちを、慕って付いて来てくれたあの子たちに何もしないで放り出すとか、できるわけないでしょ」
『それに全部じゃないわ』
ライラは傍らの犬と目配せする。
『あの子たちに必要ないものは、ちゃんと残してある。取引するなら量より質だって、ネロちゃんも言ってたじゃない』
『……誰と取引するかにもよる』
穢れだけでなく、人間どもから身を守るためにも、アニマは絶対に不可欠だ。
『で、グリムとやり合う覚悟はできたのか?』
「……えっとぉ……」
「…………」
『……正直、まだ……ネロちゃんの言っていることは分かるけど、話が急すぎて、うまく答えられないわ……』
まぁ、無理もない。
つい先日までグリムと戦うどころか、人間どもにすら一方的に扱われていたやつら。
両手に左目、そして声を奪われ、社会的にも肉体的にも救いようのなかった弱者どもが、いきなりグリムと戦えと言われて、すんなり受け入れられるはずもない。
とはいえ、自分たちが選べる立場でないことは、こいつら自身がよく理解している。
慌てず急かさず、じっくりと追いつめていけばいい……。
『まずは情報だ』
おれは奴隷の頭にのしかかる。
『人間どもがどこで、誰が、どうやって、カナリアをアニマにしているのか……きさまの記憶だけではサッパリ分からん。全く、使えんやつめ……』
『まぁまぁ……それについては私たちも同罪だから、ユアばっかり叩くのは可愛そうよ』
「平気です……爪と肉球のコンボ、痛きもちいいです……あうぅぅ……」
「本当に? じゃあ、あたしの肩も叩いてくれる?」
『断る。そんなものは奴隷の仕事だ』
「じゃあ、私が……あっ、指が入って……」
「何やって……いたたたたっ!」
「あわわ……余計に指が入り込んで」
『慌てるな、奴隷ども……とにかくサラ、きさまはじっとしていろ。奴隷よ、まずは落ち着け。深呼吸だ。きさまにもサラにも害意は無いのだ。そう、指先に教えてやれ』
「……ぬ、抜けました……」
「もぅ……死ぬかと思ったじゃない……何やってるのよ……」
『あなたもね、サラ……。私たち、自分の穢れさえまだうまく使いこなせていないんだから、お互いに気をつけ合わないと……』
『まぁ、あまり気負うな。ここでダラダラ時間を潰すのも悪くは無いが、続きは向こう岸へ渡ってからにするぞ』
この川は境界線。
川の向こうもしばらくは森が続くが、もうそこは森に巣食うグリムどもの縄張りではない。
人間どもの、縄張りである。
「……ところでネロ様。どうやって渡ればよろしいのでしょうか?」
『飛ぶなり泳ぐなり、好きにすればいい』
「飛べないし泳げないわよ、あたしたち!」
『そうねぇ……潜るだけならともかく、泳ぐのは……』
「流れもあって深そうです……向こう岸もちょっと遠いですし、せめてロープとか……」
『やれやれ……本当に愚図だな、きさまらは……』
「何よ、あんたもしかして泳げるの?」
『おれは猫だぞ? きさま猫が泳げると本気で思っているのか?』
「思わないし、期待したあたしが馬鹿だった!」
『やれやれ、方法などいくらでもあるだろうに……。奴隷よ、おれを両手に掲げてみせよ』
奴隷の手の平の上で、おれは両手を広げてみせる。
「こ、これは――」
猫の形をしているとはいえ、おれはグリム。
全身が穢れで出来ているため、自在に身体を作り変えることができる。
鳥のような翼を生やすこともできるが、飛行するには猫の姿そのものを捨てなければならないし、何より翼をバサバサするのが面倒この上ない。
だいたい、翼など無くても、もっと簡単で効率のいい飛行手段は他にもある。
『ムササビという生き物の擬態だ。やつらは手足の間に張った袋を広げ、風に乗って空中を移動できる。これなら鳥に化けずとも、猫の姿のまま空を飛べる』
「さすがネロ様。これはこれで可愛いです!」
「……理屈は、何となく分かるけど……」
『ネロちゃん、本当にそんなので飛べるの?』
『当然だ。では奴隷よ、おれを放り投げてみせよ』
「えぇっ?」
『滑空には高さが必要だ。ただのジャンプでは飛距離が伸びん』
「でも、ネロ様を投げるなんて、気が進みません……」
『きさまの両手は今やきさまのものだ。自分で力をコントロールしてみせろ。さすればおれに頼らずとも、仲間の安全を守れるようになる。違うか?』
「――――っ!」
『向こう岸の一番高い樹、あのてっぺんを狙うイメージだ。失敗しても、おれが調整してやる』
「分かりました…………いきますっ!」
――――ぅにゃあああああぁぁぁぁぁぁぁ――――!
「……飛んだ、わね……はるか高く……滑空というか、直線に……」
『……んーっ……とりあえず生きてはいるみたい……』
「……あわわわわ……私、あんなに飛ぶなんて……どうしよう、どうしましょう……」
「言い出したのはあいつだし、別にいいんじゃない? ところで、あの樹を見て思いついたんだけど、あれくらいの長さなら向こう岸にも届くんじゃないかな?」
『それよ! 橋を作ればいいのよ! ほらユア、ネロちゃんは心配いらないから、こっちに来てちょうだい。あなたの阿呆力……じゃなくて、腕の見せどころよ』




