尻尾が動いて止まりません
『――やった』
右前足を失い、よろめく獣。
今なら、簡単にとどめをさせるように思えたが……。
「まだよ! 近づいちゃダメ!」
双頭の獣はサラを睨みつけながら、低くうなる。
途端、肘の付け根から新たな足が飛び出したのだ。
『――また生えた? 全然効いていないってこと?』
「あいつはグリムよ。全身のほとんどが穢れで出来てるから、材料さえあれば作り直せるんだと思う。ダメージはあるし、無限に生えるわけじゃないけど……あいつの本体……頭を潰さないとダメ」
『……マナのうごき、ミえる目……ますます、ホしい……』
サラを見据えながら、獣はよだれをたらす。
視線を遮るように、ユアが間に入った。
「サラちゃんたちに手出しはさせません」
『――ジャマだ』
横薙ぎ。
犬を狙った動きだが、奴隷はこれを固めた腕で弾き返した。
穢れで出来たユアの両手は、触れるだけで破壊することができる。
――だが。
『……砕けていない?』
「穢れごと引き裂く爪よ……吹っ飛ばされないように固めたせいで、攻撃ができないのよ。多分、あいつもそのことに……」
獣は新たな右前足の状態を確かめ、にやりと口元を歪める。
『やはリ……オマエの手、サわらせなければいい……』
獣の声に応じて、四匹の野犬たちがユアの背後に回りこむ。
両手を攻撃に使わせない方法など、いくらでもある。
たとえその結果、配下が何匹犠牲になろうとも、獣にとっては痛くも痒くもない。
だが、当の野犬たちは違う。
死ねと言われて死ぬやつはそういない。生存本能の強い、野性動物ならなおのこと。
ユアの背後に張り付いておきながら、次の一歩を踏み出せないでいる……。
『やれッ!』
野犬どもの恐怖も、意思も、獣はたった一声でねじ伏せた。
命じられるまま、野犬たちが飛び出してくる。
『――させない!』
ライラとサラの下僕犬が、攻撃に割って入る。
数こそ負けているが、二匹にはアニマの装甲がある。加えて、ライラが声の限り獣の命令を妨害している。
「じゃあね、くそ犬っ!」
サラが嘲笑い、獣は視線をさまよわせる。
『――どこだ。アの目、ドコへきえタ?』
立ち止まったところへ、ユアが突撃する。
狙うは獣の頭部ただひとつ。
他は何も考えていない。殺さない限り、絶対に止まらない動き……。
――そう察知した獣は、前に踏み込んだ。
相手より先に攻撃すること。それが、破壊の手を防ぐ手立てだからだ。
純粋な身体能力は全てにおいて獣が勝っている。
一手の遅れも、即座に取り返し、先に両手に爪を叩き込んだのだ。
『――もらった』
獣が口を大きく開く。
あらゆる獣の最大の武器は爪ではない。爪とは、手足を守り、土を蹴り、獲物を捕らえる、便利な道具のようなもの。
野生の獣が本気で相手を絶命させる時につかうもの。いつだってそれは、命の日数だけ獲物を噛み砕いてきた、その牙である。
――同時に、それは諸刃の剣。
猫でもヒトでも獣でも、トドメを刺す瞬間が、もっとも無防備状態になるのだから。
「……はい。もらいました……」
獣の牙は、奴隷の肩に触れたところで止まっていた。
噛みつかれるより先に、奴隷の尻尾が獣の首に巻きついていたからだ。
『…………』
獣が何か言おうとしたらしい。
だが、もう口元は動かない。感覚はすでに無く、なおも動こうとするのは本能か反射か。
いずれにしても、それは崩壊を早めただけ。
奴隷を掴んだ格好のまま、首だけがボロリと落ちて……それは壷みたいに割れた。
「…………」
続けて、奴隷も仰向けに犬の背から落ちた。
後頭部から落ちたというのに無反応。
犬が吠え、サラが駆けつける。
「ユア!」
「……サラちゃん……?」
「――とりあえず生きてるみたいね。立てる?」
「えっと……ごめんなさい、よく分からないです……」
「最後に腰を抜かすとか、あんたらしいわ……とにかく無事なら良かった」
「でもどうしてここに? 逃げたんじゃ……」
「それはあいつの気を逸らす方便。身を隠すとは教えたけど、あんたら置いてあたしだけ逃げるわけないでしょ?」
「…………おかげで助かりました。私ひとりじゃ、きっとやられていました…………」
『お礼ならこの子たちにも言いなさい』
ライラが犬どもを連れてやってくる。
野犬との戦闘は、獣の死と同時に終わっていた。
野犬どもも、獣の命令を全うするよりは、ライラの声に従う道を選んだらしい。グリム・ハウンドの時と同様、より強いものに従うという、群れる生き物の習性だ。
「……ライラ……みんな……」
『それと、ネロちゃんにもね……』
「……ネロ様……」
布でくるまったおれの身体を、ライラは奴隷の隣に寝かせる。
『戦い方を教えてくれたのはネロちゃんよ。だけど、もう声はほとんど聞こえてこないの……』
「……ネロ様、私ちゃんと言われた通りにやりました! みんな生きてます……!」
奴隷と目が合う。
人間は猫と同じくらい勝手な生き物だ。
とりわけ、こいつは勝手なやつだ。毎日、大小構わず、どこかで誰かが必ず死んでいるというのに、目の前の猫一匹だけのために泣く。
実に、勝手極まりない。
涙に意味や価値など無い。猫のあくびと同じだ。人間は泣きたいときに泣き、猫は眠りたいときに眠る。
ましてや、こいつはカナリア。
生きている限り、なき続けるしかない。
ないてばかりで、うっとおしいと思ったが。
耳を澄ませば、意外と心地いい。
……よく眠れそうだ……。
「――ネロ様、起きて――目を、目を開けてください――!」
奴隷の胸の中で、おれの半身は冷たい結晶と化していった……。




