…あまり尻尾で遊ばないで下さい(2)
家を出ていきなりバトルとか…
ユアとサラが向かい立つ位置……それはちょうど、リーダー犬が潜伏している位置の、真正面に他ならない。
『せいぜい気をつけろ』
おれとライラの退路を塞ぐように、野犬どもが三体回り込む一方。
正面の闇から、一回り大きな一匹が姿を見せる。
「ひっ……」
奴隷がこらえきれず、喉をひきつらせる。
「……これが、グリム」
サラの声も、恐怖と緊張で震えている。
おれというグリムには見られなかった反応だが、まぁいい。
おそらく、やつの容姿と雰囲気が、人間どもの知るグリムにほど近いためだろう。
黒い、犬のグリムだった。
全長、胴回り、共に警備隊の軍曹と互角。
だが、その肉体のほとんどが、穢れで出来ている。
長い手足も、漆黒の毛並みも、鋭い牙も、全て穢れ。肉や骨はもちろん、血管や神経など存在しない。
おれ同様、黒い穢れが、犬の姿形を形成しているだけなのである。
『そいつは猟犬だ』
離れていても、おれの声は奴隷の尻尾を通じて直接聞かせることができる。
『少数の群れを率いて、おれを炙り出すことを目的に送り込まれたのだろう。ゆえに、戦闘能力よりも偵察とかく乱に優れている。動きに惑わされるな。一撃の威力なら、きさまの方がずっと上だ』
『そんなこと言われても当てられる自信無いです!』
『だからサラと協力するんだ』
おれの意思に従い、奴隷の裾から伸びた尻尾が、サラの右手に絡みつく。
「ちょっ、あんた急に何やってるのよ!」
「わ、私じゃないです! 尻尾が、勝手に……!」
『いいから前を見ろ』
二人が目を逸らした隙を狙い、グリム・ハウンドが真っ直ぐ奴隷の喉元を狙って跳躍した。
「――ユア!」
その動き、狙い、サラには全て見えている。しかし、奴隷は反応すら出来てない。
「ひぃぃぃっ!」
だが、間髪のところで奴隷はその場にしゃがみこんで身をかわした。
『命令しろ!』
おれの言葉の意味を、サラは感覚で理解していた。
『――アッパーカット!』
「うきゃあ!」
しゃがんだ体勢から、即座に奴隷は拳を上に突き出す。
胴体を狙ったようだが、サラの反応速度に奴隷の身体が追いつかず、後ろ足を掠めただけ。
グリム・ハウンドは着地と同時に、今度はサラに狙いを定めた。
ユアの両手より、先にサラの目を潰すことにしたらしい。
なかなか優秀な猟犬だ。人間どもの防壁の穴を見つけ、おれの居所を探り当て、おれの奴隷どもの正体を見破った上で、攻撃を仕掛けただけのことはある。
最初から狙いをサラに絞っておけば、あるいは上手くいったのかもしれないが……。
「ぎゃう?」
土を蹴った刹那、後ろ足が砕けた。
着地、反転、加速の反動に耐えかねたのだ。精密で素早い動きは、一度崩れてしまうと建て直しが難しくなる。
ヒトでも犬でもグリムでも、自分自身で招いた失敗には弱い。
若くて良い猟犬であるがゆえ、さぞかし敗北も少なかっただろう。
『――掴んで!』
相手の動き、足のダメージ、そして今度は自分が狙われることまで読み切っていたサラが、グリム・ハウンドの崩れる瞬間を狙い、ユアを動かしていた。
尻尾から伝わる指示通り、奴隷はグリム・ハウンドの首を押さえつける。
体毛が金属のように硬化し、毛先が針と化して奴隷の右手を貫いたところで、黒い手はビクともしない。
すでに指先の穢れは、グリム・ハウンドの外皮を通過して、心臓部にまで達していた。
「……手、離していいわよ」
「……うん……」
グリムといえども、心臓は存在する。
およそ元の生物からかけ離れた存在と化し、血液を必要としなくなっても、黒く穢れた心臓の形は生命としての最後の証なのだろう。
そして、生物として維持できなくなった穢れの塊は、徐々に結晶化していく……。
「……ごめんユア、あたし……」
「サラちゃん。まだ、終わりじゃないです」
「――分かった。ライラ、今そっちに――」
駆けつける二人よりも先に、残る三匹の野犬がライラの膝元にまで集まっていた。
いずれも膝を曲げ、頭を下ろし、頭を撫でられ、エサをもらっている。
「……なんですか、これ……?」
駆けつけた奴隷が、振りあげた拳を下ろすこともできないまま、ぽつりとつぶやく。
『干し肉よ。非常食に持ち出してきたんだけど、この子たちお腹すいてるみたいだったから……』
「そ、そうじゃなくって……!」
「一体どうなってるの? ライラ、あなた一体何をしたの?」
『きさまらだけに戦わせていたわけではない。こっちもこっちで、話し合いを持ちかけただけだ。まぁ、きさまらがリーダーを始末してくれたおかげでもあるがな』
『ネロちゃんが間に入ってくれて、この子たちともお話が出来るようになったの。元々、この子たちはグリムに従っていただけ。二人がやっつけてくれたから、自由になれたみたい』
「ライラ、犬さんとお話ができるのですか?」
「自由にって……じゃあ、さっきのグリムがこいつらを操っていたってこと? そんなことが出来るの?」
『出来るも何も、犬とは群れる生き物だ。グリムならなおのこと、穢れを配下に仕込ませて、思いのまま動かすことなど造作も無い。ちょうど、きさまが握っている尻尾のようにな』
「ご、ごめん、ユア……あたし、そんなつもりじゃ……」
「サラちゃんは悪くありません! 今回ばかりは、ネロ様が悪いです! というか何なんですか、この尻尾は!」
『おれの尻尾だよ。だから、おれの気分次第で意のままにできる。ちょうどコントローラーみたいなものだ』
「コン――」
「どうせそんなことだろうと思った! あんたなんてものをユアにくっつけたのよ!」
『おかげできさまは奴隷を自由に動かせた。きさまがどれだけ見えていても、ユアが思い通りに動かなければ勝てなかった。違うか?』
「そ、それは、そうだけど……」
「だったら最初からそう言ってください! いきなりこんなこと、ひどすぎます!」
『聞かなかったきさまが悪い。それとも、言えばきさまは尻尾をサラに握らせたのか? どうせ恥ずかしがったり嫌がったりしたに決まっている。戦いはためらったほうが死ぬ。ヒトだろうと猫だろうと、この事実は変わらん』
「う……」
『……というのは建前で、きさまらの反応が面白かったのが一番の理由だがな』
「こ、このくそ猫……」
『おいおい、文句があるなら尻尾から手を離すことだな。案外、きさまも奴隷を使役するのを楽しんでいたように見えるが?』
「そ、そそっ、そんなわけないでしょ! は、放すわよ……放せばいいんでしょ!」
『あらあら……。だったら私が握ってみてもいいかしら?』
「だ、駄目です、ライラっ! 放して……きゃんっ!」
『はい、お手。本当に言うこと聞くのね、よく出来ました~』
野犬どもも、一緒になって奴隷を迎え入れる。どうやら、ユアを自分たちの同胞と見なしたらしい。
鼻をおしつけ、首筋をなめたり、食べかけの干し肉を与えようとする。
『……慰めてくれてるんですね。ありがとうございます。でも、ご飯はさっき食べたから大丈夫です。遠慮なく召し上がってください』
そう、奴隷がささやくと、野犬たちはおのおのの干し肉を平らげ始める。
「――って、あんたこいつらが何言ってるのか分かるの?」
「あ、はい……ぼんやりですけど、気持ちと言うか何と言うか……」
『そうそう。言葉とはちょっと違うけど、通じ合ってる感じかなぁ』
「はい。お互いの考えや気持ちが直接繋がっているみたいな……あれ、でもどうして……?」
『仮初だが、今はきさまをライラが支配している。だからサラの目と同じように、きさまもライラと同じ感覚を共有しているのだ』
『へぇ~。よく分からないけど、とにかくすごい尻尾なのねぇ』
「……恥ずかしいです……頭撫でないで下さい……」
『このワンちゃんたちが私の言う事聞いてくれたのも、もしかして関係ある?』
『きさまの声は、相手の意識を繋ぐものだ。犬のグリムほどの支配力は無くても、影響力は十分。まして、グリムを始末した二人のボスはきさまだからな。強いられるまでもなく、服従を選んだのだろう。まさしく、犬らしい犬どもだ』
「……あたしたちがリーダーを殺したこと、何とも思っていないの?」
『あれはこいつらにとって支配者だ。犬のグリムは群れを従わせる能力に特化しているが、結果その主従関係は機械的なものになる。こいつらはグリムの意のままに動く駒に過ぎん。命令のまま従い、命令のまま殺し、命令のまま死ぬ。そこに、何らかの感情があると思うか?』
「……じゃあ、防壁を襲っているボスさえ倒せば……」
『残りはただの野犬の群れになるだろう。だが、犬は集団戦を最も得意とする生き物だ。向かうなら切り離しを考えるべきだな』
「――とにかく、見つかる前に移動するわよ。あたしたちはもちろん、その子たちだって捕まったらどうなるか分からないんだから」
「そうでした……じゃあ、犬さんたちをどこか安全なところに……」
「あるわけないでしょ、そんな場所。こっちだって余裕無いんだから」
「放っておくんですか? 危ないって分かっているのに?」
「しょうがないじゃない……他にどうしろって言うの?」
『……二人とも、静かに……』
ライラが二人の口元に指を当てる。
『まずはこの子たちの話を聞いたらどうかしら』
ライラに同意するかのように、犬どもはその足元に集まった。
『……もしかして、付いて来てくれるのですか……?』
『逆よ。この子たちは防壁の抜け道を知ってるし、外の群れに近づくこともできる。だから、私たちが案内されるの』
『――無茶よ。危険すぎる。こんな状況で、あたしたちと一緒だなんてかわいそ――じゃなくて、危ないのはあたしたちで――』
『ダメよ、サラ。口先と違って、心は思ってもいない声を繕えないのよ』
『~~~~っ』
『賢いあなたは、すぐにこの子たちの有用性に気付いた。分かっていて、考えないようにしたんでしょ。おばかさん』
『……ライラ、あたしの心を読んだの?』
『そうね。でも、言い出したのはこの子たち自身よ。じゃなきゃ、私も黙ってた』
ヒトの言葉は解さなくても、犬どもは己の言葉を持っている。
誇らしげに見上げるまなざしだけで、サラは全て理解した。
『……本当に、いいの……?』
この場合、沈黙は肯定だった。
さっそく付いて来いとばかりに、一頭が身を低くして先行する。
「……大丈夫でしょうか……?」
「あんたは自分の手だけに集中しなさい。見るのは……あたしの役目よ」
フードを払い、視界の外にまで『目』を広げようとする。
……コンビネーションか。
犬ごとき、せいぜい道案内と囮くらいにしか考えていなかったが、他にも使い道があるかもしれん……。
『――よかろう』
「ネロ様?」
『いくらきさまが見張っても、防壁に近づけば必ず誰かに見つかるだろう』
先導する犬の背に飛び移る。
『喜べ犬ども、このおれさま自ら手を貸してやる。ありがたく――』
言いかけたところで、振り落とされた。
「……ウウウゥゥ」
立ち止まり、おれを睨みつけて威嚇さえしてくる。
『……何なんだ、急に……おれはきさまの主人だぞ?』
再び飛び移ろうとするが、さっと身をかわされる。
「あんた、嫌われてるんじゃない?」
『まさか……奴隷に服従した下僕の分際で……』
「そうですけど…………ネロ様のこと、この子たちがよく分かっていないのでは?」
『戦ったのがユアとサラで、エサをあげたのが私だから…………うん、ありえるわ。この子たちにとってネロちゃんは、自分たちと同じかそれ以下なのよ、きっと』
……ば、ばかな……。
このおれさまが……奴隷以下?
完璧なまでに白く美しく、全てに愛され、全てを許されている、このおれさまが……小汚い犬ころ以下……だと……?
「……確かに、嘘はつけないみたいね……ひどい本音……」
『ネ、ネロ様、しっかり――ネロ様は可愛いです! ちょっと偉そうでワガママで時々ウザかったりしますけど、私は嫌ったりしませんからぁ!』
「……あんたも本音もれてるわよ……」
カナリア同士、思念話できる者同士なら、尻尾でユアを操縦できる。
直感で動かせる上、操縦者の能力も反映されるので、操作感はバツグンだ。
「余計な情報を広めないで下さい(涙)」




