前を向いて逃げましょう(2)
サラちゃんが、行ってしまいました…
『適材適所というやつだ。好きにやらせておけ』
『サラちゃん、大丈夫でしょうか……それに私、ドアなんて本当に壊せるのでしょうか……』
『さぁな』
『――って、ネロ様が私の手を管理しているんじゃないですかぁ!』
『まぁ、サラも本気で言ったわけではない。犬どもも防壁に達したばかりだ。気長に様子を見ることだな』
『……犬?』
きょとんと、奴隷は小さな毛むくじゃらを思い浮かべる。
『じゃあさっきのは、犬さんの声だったのでしょうか?』
幼少の頃から餌付けされて、人に慣れた犬なら、サイズに関わらずそれなりに愛嬌はあるだろうが……。
『ユア。あなた外回りを担当しているんだから、野犬の群れが危険なのは分かるわよね?』
『も、もちろんです。ただ……』
『えぇ、普通の野犬なら村を襲ったりはしないし、ヒトの群れには近づかない。ましてや、普通の犬はヒトの言葉を使わない……そうよね、ネロちゃん?』
『きさまの読み通り、群れ全体がグリムではない。首領とその側近を除けば、残りはただの野犬。雑魚だけなら、ここの兵力だけでも対応できるだろうが……』
外で、大きな騒ぎ声がした。
どうやら何匹か防壁を突破したらしい。単純に隙間から侵入しただけでなく、警備の連中を確実に襲っているようだ。
格子窓の向こう側では、揺れる松明に照らされるヒトの数が明らかに増えている。その足元をかすめるように走り回る影も、確実にこちらへと近づいていた。
『……狙われている?』
じわじわと、この教会堂に迫る野犬の足音に、ライラが窓辺から離れる。
『先遣隊のようなものだ。内部を引っ掻き回すついでに、標的を見つけるのが目的だろう。全く、あくびが出るほど律儀な連中だ』
『標的?』
『おれに決まっている』
「えええええぇぇっ!」
奴隷の叫びに、教会堂を包囲する野犬どもの遠吠えが続いた。
穢れを含む声は風に乗って、防壁の向こう、森の中にまで達しているに違いない……。
「うるっさいわねぇ」
背後から、サラが奴隷の頭を小突く。
「大声出して、一体何事?」
「――サラちゃん!」
ひりつく頭の痛みも忘れて、奴隷は飛びつこうとするが、サラには止まって見える動き。
素早くかわし、手にしていた棒で同じ箇所を再び小突いた。
「時間が無いわ。あんたも手伝いなさい」
「あうぅぅ……サラちゃん、どうして棒なんか?」
「奪い取ったに決まってるでしょ? ほら、出口を塞ぐわよ」
教会堂と宿舎を繋ぐ一枚の扉。普段は施錠されていて、しかも教会堂側からしか開けられな仕組みになっている。
それが今、完全に閉ざされ、向こう側から自由に開けられなくなったらしい。
激しいノックと罵声が、向こう側から響いている。
「これは一体……」
「鍵を奪って、開けられなくしたからよ。ぶち破られる前に、棚でも机でも何でもいいから、とにかく早く持ってきて!」
言われるまま、奴隷はサラの指示通り扉の前にバリケードを築いた。
これでスペアを使用しようが、扉を破壊しようが、簡単には入ってこられない。
「でも、正面の入り口がそのままです」
「そうね。だけど、それには自分たちの足で外に出ないといけない。警備隊の手を借りたとしても、好んで私たちの部屋に入りたがる人がいるかしら?」
「……それもそうです」
『だが、あまり永くは持たんぞ?』
「えぇ、分かってる。追いつめられたら、司祭様だってためらわず兵隊を使うわ。でも、それは今じゃない」
『警備隊が支援を求めて教会堂の扉を叩くまで、だな』
「どの道、あたしたちを生け贄にしようと警備隊が動けばそれまでよ。それで、さっきは一体何を騒いでいたの?」
「実は、その……」
野犬の群れを指揮するグリム。
その狙いがおれであること。群れの一部がすでに村に入り込んでいること。
奴隷は自分の知っている範囲の情報を、思念話でサラに報せた。
「ふぅん……」
『……ってサラちゃん、怒らないんですか?』
『あんた、あたしを何だと思っているの?』
呆れ顔で、サラは深いため息をつく。
『だいたい、そこのくそ猫が原因だってことくらい、言われなくても分かってるわよ。あんたも一枚噛んでいるんだから、もっと自覚なさい』
「私……?」
『当然じゃない。主人と奴隷は一蓮托生。それとも――あなただけ差し出せば、この騒ぎは収まるのでしょうか、ネロ様?』
『猫ならそれで問題ないが、やつら犬の考えなど知るか』
『でしょうね。あんたが何をしたのか知らないけど、人里にまで攻め込んでくるんだから、きっとあたしたちも同罪と見なされる。グリムに捕まるのが先か、同じ人間に捕まるのが先か……』
『……サラちゃん、それで鍵を?』
『言っておくけど、先に手出ししたのはあっちよ。あたしはちゃんと危険を報せた。それで話し合うどころか、殴りかかろうとしたから、取り上げてやったわ』
手の平で棒を軽く回す。どうやら左目は曇っていなかったようだ。
『ごめんなさい、私……』
『あんたが謝ってどうするの』
こつんと、棒先でユアの額を小突く。
『奴隷なら奴隷らしく、出来の悪い主人をきちんと躾けなさい。一蓮托生なのは、あんたたちだけじゃないんだから』
「……サラちゃん」
涙目なのは、額が痛むからではないらしい。
「――と、とにかく、あたしの仕事はここまで。次はあんたらの番。一体どうケジメをつけるつもり?」
『ほぉ、つまりおれの意見に従うということか?』
『これは確認よ。警備隊がグリムの群れを追い払ってくれるならそれに越したことはないけど、あの声は普通じゃない。きっと、ここは危ない……だから、あたしは逃げる』
『サラちゃん――それ、本気で言ってるの?』
『思いつきで鍵を盗んだりしないし、こんな状況でもない限り逃げたって仕方ないじゃない。でも、今はあたしたちが逃げることに意味がある』
『……自ら囮になるつもりか?』
『えぇ、そうよ。あたしたちが進んで犠牲になるなら、警備隊はもちろん、司祭様だって罰することはできない。もちろん、建前上の話だけどね』
『……だけど、逃げ切れるでしょうか。私たち、確実に狙われています』
『あたしもそう思う。だから、あたしはあんたのご主人様に聞いているの。あんた、ちゃんと考えてあるんでしょうね?』
『愚問だな。初めに言ったとおり、おれの目的はきさまらカナリアの世話となり、だらだら過ごすこと。きさまらはただ、おれを修道院とやらへ連れ帰ることだけを考えていればいい』
『全部嘘だったら、あたしはあんたを許さない』
『許しなど知るか。おれは好きな時に遊び、好きな時に寝る』
おれはユアの頭にのしかかる。
『さぁ、行くぞ奴隷。おれは散歩の気分だ』
※衣装について
カナリアは全て白一色のローブを着用している。
これは黒い穢れを隠すためであると同時に、その者がカナリアであることを意味している。
ローブはフード付きのコートタイプのため、実用的で動きやすい。
ちなみに、カナリア以外の聖職者は全て黒のローブを着用している。
黒はその身に黒い穢れを宿していない証のようなもの。
こちらはフード無し。ズッポリ被るタイプで、見るからに動きにくい。




