視えるもの(2)
呼び出しです。
出なかったらものすごく怒られます。
ノックを数回すると、宿舎と教会堂を繋ぐドアが開かれた。
出迎えたのは僧衣の中年男。
身にまとうローブの型はカナリアどもと似ているが、色は対照的な黒である。
「クドウ司祭、お待たせしました」
「ごきげんよう、サラ姉妹。ユア姉妹、あなたが無事で本当に良かった。さぁ、こちらへ。まずは共に感謝の祈りを捧げましょう」
『……ほぉ、それはつまり、このおれを称えるということか?』
『もちろん、助けて頂いたネロ様への感謝は当然です。そんなネロ様と出会わせて頂いた御方には、もっともっと感謝です』
『…………』
扉を抜けた先は祭壇だった。
退屈な祈りを済ませると、礼拝堂の片隅に待機していた警備隊の連中が歩み寄ってくる。
「先ほどは部下が失礼しました。ムロ軍曹と申します。この村の警備を一任されております」
「ユアです。こっちは姉妹のサラちゃん。それから……」
「クドウです。教会本部より、この村での信徒の世話と、彼女たちカナリアを任されている者……というのは、すでにご存知でしょう」
「――この度は教会のカナリアを危険な目に合わせてしまい、誠に申し訳ありません」
カナリアは教会の所有物である。
穢れていようと、蔑まれていようと、その事実は変わらない。
少なくとも、ムロという男は、司祭の言葉の意味を理解しているらしい。
「まぁまぁ……ひとまずは互いの無事を喜びましょう。ですが、実際のところ何があったのか……その点については、私どもとしても詳しく教えて頂きたいところです」
「我々の調査部隊に所属する三名……この者たちが、任務中にユア姉妹を放棄して逃走したのは確かです。彼らの内の二名が告白しました。個別に尋問したので、裏付けは取れています」
「なんと……」
「彼らは軍規に則って各々処罰を下します。警備隊の秩序に関わりますので、この話はどうかご内密に。もちろん、詳細は改めてお伝えします」
「当教会堂を管理する者として、警備隊の方針に介入するつもりはありません。ですが、カナリアの貸与に関して、これまで通りというのは難しいでしょうな」
「その件も含めて、総隊長が戻りしだい、改めて相談したいと考えます。しかし、その前にいくつかはっきりさせておきたいことがございます」
「それは何でしょう?」
「ユア姉妹」
これまでのやり取りの間、ムロは司祭を見ながら、視界の端で奴隷の姿を捉え続けていた。
「単刀直入にお聞きします。あなたは一体、何に襲われたのですか?」
「襲われた? 失礼ながらムロ軍曹、全て兵士たちの狂言だったと先ほど――」
「ユア姉妹がグリムに襲われて死んだ……このうち、『死んだ』というのが彼らの虚言であるのは確かです。事実、彼女は生きています」
「では、襲われたというのは――?」
「それがよく分かりません。ただ、彼らは共通して大型の獣を見たと言っています。それで彼女を見捨てて……いえ、あえて彼女を犠牲にしたのでしょう。いずれにしても、何かの襲撃を受けた。そして、彼女が自分たちを庇って死んだ……という嘘の報告をしてまでも、何かから逃げ帰った」
「聖職者は信徒を保護する義務があり、軍人は市民の安全を保障する義務がある……カナリアを見捨てたとあれば罪に問われますが、カナリアの献身的な犠牲はその限りではない……ということですな」
「兵として恥ずべき行いですが、そこまで彼らを追いつめたのは何だったのか……ユア姉妹、あなたを襲ったものの正体を教えて頂きたい」
ユアが穢れたカナリアでなければ、掴みかかりそうな勢いだった。
司祭も成り行きを見守っている態度。
返答によっては、奴隷の味方にも敵にもなるだろう。
『……ネロ様……』
『何も問題は無い。きさまは打ち合わせ通りに答えろ』
『……ですが……』
『言え。そして連中に教えてやれ』
「それは…………獣でした」
ためらいを飲み込んで、奴隷は続けた。
「白くて、ものすごく大きな…………猫さんでした……!」
「…………猫?」
「はい。食べられちゃうかと思いました」
「……しかし、それらしい怪我はどこにもありませんが?」
「それは……きっと、私がカナリアだから……」
「…………」
穢れとは何か。
この中で、限りなく正確に理解しているは、当のカナリアたちだけである。
司祭も、軍曹も、それなりの知識は有しているだろうが、穢れと直接関わっているわけではない。
「……猫、ですか……」
「山猫の類かもしれません。それなりに危険な野獣ではあります。人間を襲うほど大きな種類も中には居るでしょうが……」
「……しかしユア姉妹。あなたを襲った正体がグリムでないなら、なぜもっと早く教えて下さらなかったのですか?」
「ご、ごめんなさい…………私、状況がよく分かっていなくて…………」
「……ムロ軍曹、もうこのくらいで良いでしょう。仮に本物のグリムが出現したのであれば、あなたの部下だって無事だった可能性は低いのです。この森にどれほど危険な生物が居るのかは分かりませんが、それで教会のカナリアを見捨てていい理由にはならないのです」
「……仰るとおりです。ユア姉妹、ご協力に感謝します。クドウ司祭、また日を改めてごあいさつに伺います」
一礼して、ムロとその部下は教会堂を後にした。
その姿が見えなくなるや否や、クドウは奴隷たちに背を向けて祭壇に跪く。
「あの、司祭……わざわざ立ち会って頂き……」
「ここは神聖な場です。穢れた口を閉じなさい」
「…………」
「お前たちはこっちだ」
司祭の助手が、物陰から姿を見せる。
「ほら、ここから出て行け、けがらわしい!」
まるで家畜を扱うように棒で突きながら、助手は教会堂への扉を閉じた。
「…………言われなくたってそうしてやるわよ!」
「サラちゃん、大丈夫?」
ユアを庇うような形でサラは背中に棒を受けたのだ。
「平気よ。あたしと目を合わせられないようなやつ、大したことないわ」
『なら、わざわざ攻撃を受ける必要はないだろう。きさまなら簡単に避けられるはずだ』
「痛くもかゆくもないって言ってるでしょ。放っておいて」
サラの左目が黒く光る。
微細な穢れとその働きが見える目には、棒の動きなど止まって見えるはず。
優れた視力を持ちながら、自分の身を守ることに一切使わない……いや、使えないとは、不器用を通り越して実に愚かしい。
「……サラちゃん、ちょっとおでこを見せてもらっていいですか?」
「は?」
「とにかく、おでこを出して」
「……何なのよ……」
フードと長い前髪で隠れた、黒ずんだ額。
あらわになったその瞬間、奴隷が素早く口付けをした。
「――――なっ、なにするのよ!」
ひっくり返りそうになりながら、サラが顔を真っ赤にして叫ぶ。
「おまじないです」
「はああっ?」
『ライラにしてやったのと同じだ。ほんの少し、きさまの穢れを調整してやった。どうだ、以前よりよく見えるだろう?』
「勝手なことを――!」
『カナリアどもを守りたいのだろう? だったら、まずはきさま自身を守ることだな。余計な傷を増やしても、痛みと穢れでくたばるのを早めるだけで、何の解決にもならんぞ』
『――それで、あんたの言いなりになると思っているの!』
『奴隷は間に合っている。殴ることしか知らんような人間も、殴らせておけばいいと考えているきさまも、間抜けだと言っているのだ。きさまの目は、死にゆくカナリアどものためではなく、おれを世話するカナリアどものためにある』
「…………」
「サラちゃん、やっぱり無理をして……」
「いい気にならないで。あたしはあんたと違うの。こんなことされたって、お礼なんて言わないし、感謝もしない。あたしにはあたしの考えがある」
『当然だ。おれは猫で、きさまは人間。縛り合う関係ではない』
「――っ!」
ひょっこりと奴隷の肩から顔を出したおれを狙って、サラは思い切りビンタした。
あいにく狙いは逸れて、奴隷の頬に命中したわけだが……なかなかの動体視力と反射神経。
もっと穢れになじめば、棒切れを受け止める以外にも使い道を覚えるだろう。
おれの話を聞くかどうかは、それからでも遅くはない。
『……痛いです、ネロ様』
『耐えろ。それが猫の奴隷というものだ』
瞳は脳と直結している器官。
サラがフードと前髪で隠しているのは、人目を気にしているだけでなく。
幻視や幻覚といった、歪んだ情報を取り入れないようにしているため。




