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終章

 太陽が霧深きルオンの街を照らしていた。

 女神レウリアーナによって聖なる気が注がれたルオンの街に、今日も清々しい空気が通り抜けていった。



「メルファ~、こっちは終わったよ!」


 元気よく走ってくるアイリィの姿にちょっと目を細めたメルファは、持っていた木材を下ろした。


「じゃあ、みんなと休憩でもしてなよ。ずっと働き通しでしょ」

「ううん、大丈夫。だって、わたしたちの新しい家ができるんだもん」


 えへへ、と可愛らしくアイリィは、傷が癒えた今、だれよりも率先して働くようになっていた。もう少し治療するのが遅かったら、命はなかったそうだ。


「それに、メルファもまだやってるんでしょ?」

「あたしはいいの。あんたたちより年長だし、体力もあるからね」

「それを言うんだったら俺らのほうが力あるだろ。いいから、お前は休んでおけ」


 カラカラと笑いながら言ったのは、貧民区の仲間だった。


「……もう、みんな甘いんだからさ」


 そっぽを向いたメルファの頬は、ほんのりと赤くなっていた。


 メルファが女神の力で甦ったあと、大神官はルオンの改善に着手してくれた。

 腐った膿を取り除くため、悪事に関わっていた神官と守警団員を一掃すると、ほかの街から新しく派遣させた。そのため、人々はもう無闇に裁かれることはなくなり、安穏としたときを過ごせるようになったのだ。


 また、刑も軽くなった。


 盗人の罪は罪として残るが、両手を切り落とされることはなくなったのだ。


(ちょっとくらいは神官のこと、好きになってもいいかもね)


 完成に近づきつつある建物を見上げたメルファは、ふっと微笑んだ。

 ルオンの悲劇に気づかなかったのはイーシスにも責任の一端があるとし、住みかを奪われた貧民区の住人のために家を作ってくれたのだ。


「こ、これは女神レウリアーナのご寵愛を受けられたメルファ様」

「あのねぇ、何回言ったらわかるの? その言い方やめてったら。むず痒くなる」


 苦虫を潰したような顔で振り向いたメルファは、そこに神官の姿を目に留めた。

 彼は、踝までの外衣に、サリタニがしていた女神を象った水晶の念珠を首から下げていた。


「いや、けれど、私は貴女様に剣を向け……」

「過去をぐだぐだ言うな! あんたはもう神官長なんだからっ。びしっとしてよ。それと、あたしはもうただのメルファだよ。女神やイーシスたちとはなんの関わりもない。特別扱いなんかしないでよね。ただでさえ、生き返っちゃったせいで街のヤツらから敬遠されてるってぇのに」


 どこから噂が流れたのか、メルファが一度魂を手放し、女神によって復活したという美談はあっという間にルオンに広がっていた。メルファ自身はそのときのことをまるっきり覚えていなくて、その話を耳にするたびにまるで別の者の身に起こった奇跡のように感じるのだ。


 ぶすっとまくし立てたメルファに、神官長となった男が苦笑した。激務のせいか前よりも少し痩せたようだが、そのぶん、精悍な面持ちとなっていた。優しげな目の奥には、しっかりとした芯が宿っていた。


「女神レウリアーナの御業は、多くの方が目撃されていましたからね。それが貴女様のためであったとお知りになったら、普通の方として接するのは難しいことでしょう。もちろん、女神レウリアーナがルオンの地に降り立ったことは誉れ高いことであり、私どもも誇りに思っています」


 なにしろ女神のおかげでルオンの神殿で務めを果たしたいと願う神官が殺到したのだから。神官長自ら人選し、認められた者だけがルオンの神殿に入ることが許されたのだった。

 ルオンの神官にと望む者たちは後を絶たず、今も方々から神官が集っていた。


 しかもルオンには、女神が降り立っただけでなくメルファもいる。

 仮初めの女神としての訓練を受け、最も女神に近い存在。

 役目を終えても、その輝かしい価値は揺らぐことはない。


「ふうん、じゃ、仕事の斡旋頼むよ」


 抜け目なくお願いをしたメルファに、新しい神官長は嫌な顔を少しもみせず、逆に嬉しそうに平伏した。


「どのようなことでもお命じ下さい」


 その従順な態度に、メルファは呆れかえった。この様子では、メルファが死ねと命じれば、本当に命を絶ってしまいそうな勢いである。

 見下されるよりは敬われるほうがずっといいが、ここまで露骨だとメルファの手に負えなかった。


「すごいね、メルファ! 神官長さまが頭を下げてるよ」


 ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、すごいを連発するアイリィ。

 周囲の人たちは、またかと言いたげに苦笑していた。そう、神官長がメルファに頭を下げる姿など珍しくもなんともなかったのだ。


「もう、そんなに畏まらなくっていいんだってば。じゃ、あたし先急ぐから」

「あ、お待ち下さい。今日は──」


 アイリィの手を掴むと、メルファは何かを言いかけた神官長を放って走り出した。


「いいの?」

「いいの、いいの。うざったいったらありゃしない」


 悪態をつきながらも、メルファの顔はそこまで嫌がってはいなかった。

 彼はルオンに残った唯一の良心だった。サリタニに従わず、メルファを助けようとした勇気を忘れることはないだろう。


「あのね、メルファ」

「ん?」


 アイリィの足が止まった。

 引っ張られるようにメルファも停止すると、後ろを振り返った。


「あの…わたしを養子にしたいって言ってくれた人がいるの」

「へぇ、よかったじゃん! おめでとう」

「うん、わたしたちみたいな小さい子は、ほとんど裕福な家に引き取られたでしょ? わたし、羨ましいと思う反面ね、嫌だなって思ったの。だって、メルファたちと離れちゃうから。だから、断ろうかなって……」


 俯くアイリィの頭をメルファが優しく撫でた。

 子供がひとりで生活をしていくのは厳しい。いくら仲間がいたとしても、そうそう構ってやれる時間はないのだ。彼らにも彼らの人生があるのだから。

 神官長の指示により、ちゃんとした環境で生活できるよう、保護施設が誕生した。そこでは、子供が犯罪に手を染めなくていいよう、寝床と食事がちゃんと与えられるようになったのだ。


 そして、子供を欲しがっている親のために、養子縁組をするようになった。貧民区にいたときは見向きもしなかった者たちだったが、しっかりと身綺麗にされた子供たちを見て、引き取りたいと申し出る声はいくつもあった。

 それは多分、守警団による反乱の際、活躍してくれた貧民区の者たちのことを好ましく思ったせいもあるかもしれない。

 深い溝のあった両者は、ここに来てようやく互いに歩み寄りはじめたのだ。

 その手始めが養子縁組であった。


「あのさ、アイリィ。あんたの人生なんだからどう生きるかなんてあんたの自由だよ。あたしだって自由に生きてきたんだ。けど、──けどね」


 メルファはイーシスたちのことを思い浮かべた。


「違う環境だって悪くないもんだよ。仲間も大切だけどさ、家族だっていいもんだよ。たとえ血が繋がってなくてもさ、あんたを選んだってことはなんか感じるもんがあったんでしょ。あんたがその人たちのことを嫌いじゃなけりゃ、暮らしてみるのも案外いいんじゃない?」

「メルファ……」

「だいたいさ、遠くの街に住むわけじゃないんでしょ? ルオンに住んでるならいつでも会える。あんたはいつでもあたしたちの可愛い妹分なんだからさ」


 アイリィの額を指先で弾いたメルファは、優しく微笑んだ。


「うん……っ、うん! わたし、会ってみる。会ってみて決めるわ」

「苛められたらいいな。あたしがとっちめてやるからねっ」

「ふふ、ありがとうメルファ。……メルファは、これからどうするの?」

「みんなの家が出来たらさ、仕事探すよ。お金貯めないとね」


 両親の墓を作る計画はまだ頓挫していなかった。主神殿から盗んだものをイーシスたちに内緒で売ったものの、まだ足りなかった。

 メルファや仲間が犯した罪は決して消えることはなかったが、大神官による特別な計らいで罪に問われることはなかった。そのため、みんな犯罪から足を洗い、紹介してもらった仕事場で毎日お金を稼いでいるのだ。









 アイリィと途中で別れたメルファの足は、自然とアークとヴァズに初めて会ったところへ向かっていた。


「降臨祭、ちょっと見たかったかも」


 間近に見るのとは迫力が違っただろう。

 すでに降臨祭が終わってから一ヶ月が過ぎていた。

 メルファはルオンでみんなと一緒に、暗雲が一瞬で払われ、久しぶりの太陽が顔を出すのを見つめていた。

 前見たときは、どうとも思わなかったのに、今回いろいろな体験をして、女神のすごさを思い知ったような気がした。

 実は、目覚めたメルファにはもう一つの選択肢があったのだ。次期女神候補として主神殿で暮らすという道が。


 けれどメルファは断った。


(窮屈な生活は勘弁だし、それに……)


 自分に女神としての力がない以上、いても無駄だと思えたのだ。

 それでもこの頃、主神殿での生活を思い出すことが多くなっていた。むかつくことも、悔しいことも多かったが、振り返ってみると楽しい思い出として記憶に残っているのだから不思議だ。


(ま、だれもあたしのことなんか覚えてないでしょうけど)


 皮肉げに片頬を歪めたメルファは、壁に背をもたれさせるとそのままずるずると座り込んだ。

 彼らが主神殿に帰ってから、手紙すらくれないのだ。

 あんなに親身だったリートゥアやアークも、まるでメルファという存在を忘れてしまっているように……。


 仲良くなったと思ったのはメルファの勘違いだったのか。

 しょせんメルファは女神レウリアーナの代替え品に過ぎない。本物の女神が現れたのなら、使えないメルファなどどうでもよくなったのだろう。


 鼻がツンとして、目が潤んできた。


「バカ……バカッ」


(寂しくなんかない。悲しくなんてないっ)



 なのにどうして胸が痛むのだろう。

 なぜこんなにも涙が溢れてくるのだろう。

 あんなに大嫌いだった神官たちのことを恋しく思う理由は?



 メルファは膝を抱えて、そこに顔を埋めた。


「……ふ……ぅっ」


 涙が次々に溢れてきた。

 と、そのとき。頭の上に柔らかな感触が。


「ねえ、どうして泣いてるの? だれかに意地悪された? 悪者はオレが倒してあげるから泣かないで」


 涙でぐしょぐしょになった顔を上げると、そこに先ほどまで考えていたアークがいた。

 アークは絹のハンカチを取り出すとメルファの涙を優しく拭った。


「な、んで……」

「あはっ、びっくりした? 神官長の話を聞かずに飛び出したんだってね。相変わらず突飛なんだから。捜しちゃったじゃない」

「だってアークは主神殿にいるはずじゃ……」


 そっとアークに触れたメルファは、伝わるぬくもりに目を瞬いた。夢ではないのだ。


「──おいで」


 柔らかく微笑んだアークは、メルファの手を引くとゆっくりと歩き出した。その先にはヴァズがいた。ヴァズはメルファの涙顔に気づくとほんの少しだけ目を細めたが、何も聞かずにポンと頭の上に手を乗せた。


「元気そうでなにより」

「ヴァズ……」


 口数は少なかったが、メルファを案じる色があった。

 ヴァズは先に路地裏を抜けると、広場へと向かった。そのあとをアークとメルファがついていく。


「どこに行くのさ」

「どこでしょうかねぇ」


 はぐらかすように笑ったアークにムッとしながらも、ヴァズが広場を通り抜け、馬車道に向かったのを見て、眉を寄せた。


「神殿に行くの?」


 アークは答えず、ただ笑みを深めた。

 しばらくすると、神殿の壮麗な建物が見えてきた。

 その入口の前で片膝を突き、畏まるヴァズに目を留めたメルファは、彼の後ろに百人以上もの神官がいることに気づいて目を大きく見開いた。その中にはさっき会った神官長もいた。ということは、後ろに控えているのはルオンの神官なのだろうか。


 地面を神官の純白の衣が覆い尽くす。


 それは壮観な眺めであった。


 メルファから手を離したアークは、ヴァズの隣で同じく左手を自分の右肩に乗せ、護衛神官の正式な礼の形となると、深く頭を下げた。


「女神レウリアーナの御名において、メルファ・ラートンを次の女神として主神殿に迎え入れることをここに宣誓します。見届け人は霧深きルオンの神官長ラザス、そして十の護衛神官のひとり紅蓮のヴァズ、同じく十の護衛神官、刹那のアーク。この宣言により、メルファ・ラートンは次期女神として大神官に並ぶ従一位の位階が与えられます」


 固まっているメルファに構わず、アークが口上を述べ終わると神殿から音色が響き渡った。これは祈りのときの音だ。祝福するような澄んだ音色がルオンの街全体を包み込んでいく。


「あ、ちなみに貴女に拒否権はないので」


 アークがそう付け加えると、メルファの硬直がようやくとけた。

 しかし、理解するには多大な時間を要した。


「どうして……なんで? だってあたし、断ったし。力だって……」

「女神レウリアーナ直々の任命です。女神レウリアーナによれば、貴女には資格があるとのことで」


 そう告げるアークも、よくは理解していないようだった。

 戸惑うばかりでちっとも喜んではいないメルファの様子に、アークが困ったように瞳を揺らした。


「オレたちと一緒にいるのはイヤ?」

「……っ」


 嫌なわけがない。

 だって先ほどまで一緒にいたいと考えていたのだから。

 けれどあまりにも事が急すぎて、気持ちがついていかなかったのだ。


「自由に使えるお金もあるよ」


 小さい呟きだったが、メルファの耳にはしっかりと届いた。

 仮初めの女神としての大役を果たさなかったメルファには、一ベガも与えられなかったのだ。

 その言葉はなによりも魅力的だった。


 目の色を変えたメルファに、吹き出すのを堪えたアークの体をヴァズが責めるように肘で突いた。


「まったく、あんたたちってほんと勝手なんだから。あたしの意志なんかきかないでさ。……けどまあ、しょうがないわね。そこまで言うなら引き受けてやろうじゃないの」


 メルファは仕方なさそうに言ったが、心の中は歓喜の嵐だった。


(これで、父さんと母さんのお墓が建てられるかもしれない)


 ようやく夢が叶うのだ。

 そのことが素直に嬉しかった。

 神殿の奥から頭からすっぽりと黒い布をまとった世話役が次々と姿を現した。彼女たちは一列に並ぶと、持った籠の中に手を入れた。優美な仕草ですっと持ち上げ、弧を描くと、その手から花びらが舞った。

 赤・青・黄・紫……と、種類もさまざまな花弁が、青空を覆い、風に乗って広がった。

 はらり、はらりと降り注ぐそれは、とても美しかった。


 メルファを祝福するかのように、途切れることなく舞い落ち、地面を鮮やかに染め上げていった。


「メルファ……」


 そのとき、小さな声が届いた。

 ワッとあがった歓声に消されそうな声だったが、不思議とメルファの耳にはっきりと届いていた。


「アイリィ……」


 好奇心旺盛なアイリィのことだから、騒ぎに気づいて覗きにきたのだろう。

 周囲には彼女のほかに見物人が大勢押しかけていた。

 一世一代の晴れ舞台を観るかのように興奮した住民の顔には、もうメルファに対する畏れなど微塵もなかった。

 次期女神誕生の瞬間に立ち会える人間などそういないだろう。

 それを知ってか、彼らの顔は降臨祭のときよりも輝いていた。

 アイリィが喜び踊る民衆の波を縫ってメルファに駆け寄った。それに反応したアークたちが動こうとしたが、メルファの知り合いだと見て取ると再び畏まった。


「行っちゃうの? 主神殿は遠いんでしょ」

「うん、あたし行くよ。……約束破っちゃったね」

「わたし、わたしね……手紙書くよ! 神官さまから字を習ってね、メルファに手紙書くから……っ」


 アイリィが感極まって泣き出した。ずっと一緒にいたメルファと離れるのが辛いのだろう。


「あたしも書くよ。アイリィが泣かされたら、あたしは主神殿だろうとどこからでも駆けつけるから」

「わ、わたしも……ひっく、……メ、ルファがね、……ぅぇっ、苛められたら、た、助けに行くから……ふぇ」

「楽しみに待ってるよ」


 アイリィを抱きしめたメルファはそっと目を閉じた。

 降臨祭のときのようなお祭り騒ぎだった。

 浮かれ、悦び踊る彼らに触発されたように、神官たちの多くは涙を流してメルファを称えた。この光栄な瞬間に立ち会えた彼らの顔は誇らしげだった。


(女神があたしを選んだんならなってやる。まだ女神らしくないし、力だってないけど、あたしは……)


 目を開けたメルファは振り向いて、アークとヴァズを順々に見つめた。


(一緒にいたいから)


 そう胸に刻むと、ふわっとあたたかくなった。


(神官なんかと一緒にいたいなんて笑えるけどさ、ほんと……しょうがないよね)



 ああ、イーシスに出会ったら文句を言ってやろう。

 なぜ連絡を寄越さなかったのか、とか。いろいろ。

 きっとバルティンには、また女神らしくないと叱られるだろう。

 リオスはメルファを気遣って、美味しいブナ茶を飲ませてくれるかもしれない。

 リートゥアは……イーシスと同じように文句を言おう。けど、あの優しい笑顔で抱きしめられたら、不満なんて呑み込んでしまうだろう。



 これからの未来を想像したメルファは、眩しげに空を仰ぎ、目を眇めたのだった。




これからメルファの次期女神としての道がスタートします。

終了まで時間がかかってしまいましたが、お付き合いいただきありがとうございました。

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