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その三

「クソッ」

「イーシス様、お下品ですよ。まったく、箱入りの大神官様は、どこでそのような卑しい言葉を覚えたのか。おおいに嘆かわしいです。もっとも、盲目的に貴方を崇拝する護衛神官の面々は、聞こえなかったふりをするんでしょうけど」

「なに呑気に喋ってるんだ、リオス。メルファが囚われたままでは下手に手出しはできんぞ」


 先ほどまで侵入していた屋敷を睨めつけたイーシスは、自分を警護する護衛神官見習いたちに気づかれないよう舌打ちした。


「追い打ちをかけるようで申し訳ありませんが、悪い知らせです」

「なんだ?」


 苛立たしげに先を促すイーシスに、珍しくリオスが視線を逸らした。

 話すのを躊躇する素振りに、イーシスの顔つきも剣呑となっていく。


「早く言え」

「その前に、いったん屋敷へ戻ったほうがよろしいかと。このまま僕たちが留まっては、怪しまれます。守警団員をまいたといっても、鼻の利く彼らが僕たちを見つけ出すのは容易いでしょうからね」

「メルファを捨て置けというのか」

「そのことですが──今のところ、彼女に身の危険はないかと」


 確信しているようなリオスの口ぶりに、イーシスが折れた。


 メルファ救出と、ドゥオーラクの屋敷に押し入るのは、先に伸びてしまったのだ。このまま手をこまねいていたら、ルオンの膿をとうてい出し切ることはできないだろう。

 それでは、イーシスが影を身代わりとしてでもルオンへ来た意味がない。


 本当は、メルファへの罪滅ぼしのつもりであった。彼女からルオンの神官の非道な振る舞いを聞いて憤ったのもあったが、自ら赴いたのは、メルファに無茶を押しつけてしまったことを少なからず後悔していたからだ。

 たった三ヶ月で、女神レウリアーナの代わりなどできるとは思っていなかった。


 だが、イーシスはそうしなければならない状況下にあったのだ。

 文句を言いつつもメルファはよく付き合ってくれたと思っている。見定めの儀式のときもだまし討ちのような形で、あの場へ連れ出したが、失敗をすることなく役目をこなした。

 ローゼス主神官が糾弾するのは想定内だったが、あの強気なメルファが傷ついた顔をしたのは想定外だった。いつものように噛みついてくると思っていたのに。

 そして、彼女は嫌気が差したかのようにいなくなろうとした。


 イーシスがメルファに声を掛けたのは偶然ではない。気がかりで、部屋まで行こうとしていたのだ。

 もっとも、イーシスはメルファを前にするとどうも憎まれ口を叩く嫌いがある。そのため、優しく接することがなかなかできないでいた。


 だからこそ、言葉の代わりに、メルファの苦しみを取り除いてやろうと考えたのだ。


 神官たちをどうにかすれば、メルファの顔もきっと明るくなると信じて──。


(もっとも、俺が行動を起こす前に、メルファが動いたがな)


 リオスたちと霧の中を駆けるイーシスの口元が、苦々しく歪んだ。

 メルファは、捕らえられていた子供たちを、どのような手を使ったかはわからないが釈放させたのだ。

 それを知ったときの衝撃は計り知れなかった。

 リオスでさえ、悔しそうな顔をしていた。本来なら、リオスの手で救い出す手はずだったのに。

 イーシスたちが隠れ家として使用している屋敷へ戻ると、いつものように執事と女中たちが揃って出迎えた。


 ここは、十の護衛神官の縁者が所有する屋敷の一つである。主は長い間不在ということもあり、イーシスが少しの間借りることとなったのだ。

 すでにその主人とは連絡をとり、ルオンの腐敗について詳細は聞き及んでいた。最初こそ渋っていた彼も、主神殿の神官には逆らえなかったようだ。彼自身はそう闇を抱えていないようで、得られた情報はたいしたことなかったが、メルファの言葉の裏付けはできた。

 そのため、こうしてルオンへリオスたちを派遣することができたのだ。



 部屋へ戻ったリオスは、心を落ち着けるかのように手慣れた手つきでブナ茶を入れると、長机の上に並べた。

 すでに人払いはしてあり、白を基調とした小綺麗な部屋には、リオスとイーシスのふたりしかいなかった。

 リオスは湯気の立つブナ茶を一口含むと、ほっとしたように表情を緩めた。


「実はですね、アークがメルファさんに荷担したとき、もう一度彼の家族構成を今一度洗い出したのです。メルファさんと繋がっているとは思わなかったのですが、ここへ着いてからの彼の行動に、怪しい点がいくつかありましたので」


 優雅な模様が描かれた陶磁の茶器を置いたリオスは、表情を引き締めた。


「怪しい点だと?」

「はい。アークはもともと単独を好む人なので、自由行動もそれほど気に留めてなかったのですが、護衛神官見習いの中に、アークとルオンの神官が親しげにしているところを目撃した者がおりまして。内情を探っているかと思いましたが、先日、ルオンの神官が関わっていることが露見しましたよね。そこで念のためバルティンに調べてもらったんですよ。そしたら、新しい事実がでてきましてね」


 短期間で調べ上げたのはさすがと褒めるべきところだろう。

 ルオンと主神殿までの距離を考えれば、使える時間は二日しかなかったはずだ。

 アークの死鳥と同じく、リオスも伝書鳥を使って連絡をとっていたから、今回も飛ぶのが速い炎鳥が活躍したのだろう。炎鳥ならば、馬車で数日かかる道も一日で着くことができる。


「事実だと? ありえん。主神殿に……まして、十の護衛神官を務める者ならば、そこは厳重に調べてあるだろ。隠蔽工作など、我らの諜報員に探らせれば必ず明るみに出るはず」

「そこを突かれると痛いんですが、当時の諜報員長はゴヴァス神官でしたからね」

「チッ、多額の賄賂を受け取って失脚したアイツがか」


 ゴヴァス神官といえば、まだ神官の記憶にも新しいだろう。人当たりもよく、信心深い彼は、だれよりも真面目に仕事をこなし、主神殿を護ることを誇りに思っている人物だった。彼が諜報員長だという事実は、仕事柄あまり公にされてないため、周囲の神官は彼がなんの任に就いているか知る者は少なかったが。

 けれど、秘密というのは漏れるもので、どこからか彼が情報を操作する立場であることを知った神官が、悪事を隠蔽してもらおうと彼に賄賂を渡し始めたのだ。いつしか悪魔に魂を売ってしまった彼は、お金と引き換えに隠蔽工作をするようになった。


 前大神官により、その悪事を白日の下にさらすこととなったが、以来諜報員の監視の目もきつくなった。位階を剥奪され、主神殿を追放されたゴヴァスは守警団に引き渡され、神の裁きを受けた。不正に関わっていた神官の何人かは断罪されたが、それですべてが片付いたわけではなかった。

 そのときの粛清を恨んだ神官たちが、今回も深く関わっていることは疑うべくもなかった。


「これは憶測ですが、アークのときも金品を受け取り改ざんしたかと」

「ふんっ、周到だな。よもやこうなることを見越してでもあるまい。……だが、首謀者とみなされていたローゼスが囮だとすると、闇は根深いな。清廉な神官ともあろう者が、腐敗と堕落を好むとは」

「メルファさんのおかげで、事の顛末が見えてきましたよ。サリタニが裏で操っていたのならば、アークも僕たちを謀っていたのでしょう。──まさか、アークがサリタニの息子とは盲点でした」

「サリタニの息子、か」


 主神殿とは違い、地方の神官には妻帯者も多い。女神レウリアーナが恋愛推進派なためか、妻を娶る者は少なくないのだ。

 それでもサリタニに息子がいたという事実はだれも知らなかった。まして、主神殿に送り込んでいるとは。

 神官長であるならば、主神殿の神官と通じ画策するのも容易いだろう。

 まんまと踊らされていたのはイーシスたちのほうであった。


「十の護衛神官であるアークであれば、大神官への道も近いか」


 本来、大神官は最も清らかであるべきだが、ほかの地では護衛神官の中から選ばれる場合も少なくないという。主神殿に神と共に護られているとはいえ、大神官の命が狙われることもあるからだ。そのため、大神官自身の腕が優れている方が安心という見方もある。


「いかがなさいます?」

「今度こそ、片を付ける。あの馬鹿を放っておくわけにはいかない。……泣いていたんだ」


 瞳を揺らしたイーシスが、ぽつりと呟いた。

 どことなく覇気のないイーシスを目にしたリオスの顔が固まった。


「ええっと、どなたが泣いていらっしゃったんです?」


 間を置いてから問いかけるリオスの顔も見ず、まだ温かいブナ茶をじっと睨むように見つめたイーシスの表情が翳った。


「アイツの泣き顔は苦手だ。泣かれると、どう接したらいいかわからなくなる」


 ようやく、リオスにはだれのことを言っているのかわかったようだった。

 柔らかく目を細めると、くすくすと笑った。


 メルファの扱いに慣れていないのだろう。イーシスは、主神殿に引き渡された頃からかしずかれて育ってきた身である。

 世話役の女たちは、必要最低限にしかイーシスには接しないし、ほかにイーシスのそばにいる女性といえばリートゥアと女神レウリアーナしかいない。

 メルファのように年頃の近い少女と接するのはイーシスも初めてだったはず。

 不器用な彼なりにメルファとの距離の取り方を探っていたのだろう。


「ああ、イーシス様も男だったんですねぇ。……っと、あれは、」


 カツンッと嘴で窓を突く、鳥の存在に気づいたリオスは、瞠目した。


「ふんっ、どうやら面白いことになりそうだな」


 艶やかな黒い毛に覆われた鳥は、アークの相棒である死鳥であった。




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