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その二


 翌日。

 華やかな衣装に着替えさせられたメルファの元に、ルオンの神官たちがやって来た。

 その中のひとりに見覚えがあった。忘れもしない、両親の命を奪った神官長だ。

 当時と同じく、ルオンの神殿を統括する立場にあるようで、高位を表す踝まで伸びた外衣をまとっていた。服の上には、女神レウリアーナを象った水晶の念珠をかけている。神官長にしか許されていないものだ。


 顔にはいくつもの皺が刻まれ、記憶の中にある人物より老けた印象を与えるが、穏やかそうな笑顔の奥に潜む、冷酷な眼差しは変わらない。人が苦しむ様をみたとき、あの目は悦びを宿し、口元は禍々しく歪むのだろう。

 長い白髭をゆっくりと一撫でした老神官長は、女神レウリアーナを象徴する二重星がついた杖をつきながらメルファの方へと歩を進めた。


「──これは、次期女神殿。お初にお目にかかります。ワシはこのルオンの神殿をまとめる神官長、サリタニと申します。以後、お見知りおきを」


 慇懃無礼な態度で軽く頭を下げるものの、ドゥオーラクのようにメルファを敬っている感じは微塵もなかった。

 まるで自分のほうこそ立場は上なのだとばかりの姿に、ドゥオーラクと後ろに控える神官たちがどこか慌てたように顔色を変えたが、いさめる者はいなかった。

 次期女神という呼び名に内心首を傾げたメルファだったが、それを気取られぬよう表面上は微笑を貼り付けた。


「サリタニ神官長ですね。わたくしは、メルファと申します」


 軽く顎を引き、斜めに両足を曲げながら腰を落とせば、ひらひらとした裾が優雅に波打った。金色の髪が衣装に映え、ことさら美しく見せていた。

 もし外が霧ではなく、太陽が覗いていたのなら、陽の光に包まれたメルファは鱗粉をまとったかのような煌びやかさだっただろう。

 女神流のお辞儀をすると、感嘆とした声があちこちから聞こえた。


 けれど目の前にいるサリタニの表情は、笑みを浮かべながらも瞳の奥はちっとも笑っていなかった。狡猾そうな光を宿した双眸が、メルファを探るように見つめてくる。

 蛇が体を這っているような気持ち悪さに耐えながら、メルファはそっと睫を伏せた。

 それを恥じらっていると勘違いしたのか、サリタニはようやく視線を和らげた。


「いやはや、これは初々しい方だ。まさか、この年になって次期女神殿にお会いすることができるとは……。年は重ねてみるものですな。光栄の至りに……」

「なにか、用件があったのでは?」


 長く続きそうな雰囲気に、メルファが遮った。

 サリタニはぴくっと片眉を上げたが、咎めはしなかった。


「これは、申し訳ありませぬ。実は、次期女神殿にお願いがあって参った次第で」

「わたくしに、ですか?」


 メルファは戸惑ったように瞳を揺らせて見せた。


(ハッ、狸ジジイめ。最初っからそのつもりだったんでしょ)


 憤りを笑顔の下に見事に隠したメルファは、心の中でサリタニを罵った。


「正式に女神となっていただきたい」

「……!」


 思いがけない言葉に息を呑んだ。

 それはあまりに突飛な発言だ。というより、神殿を揺るがす事態だろう。


「どう…、いう、意味ですか?」


 動揺を押し殺そうとしても声は掠れてしまった。

 にやりと笑ったサリタニは、手を挙げてほかの者たちを下がらせた。

 ふたりだけとなった空間は、酷く息苦しい。


「そういえば、ルオンの街にたいそう高貴な犬が潜んでいるようで」


 サリタニは、問いかけをはぐらかすかのようにそう嘯いた。その表情は愉悦に満ち、メルファの反応を面白がっているようだった。


「犬の駆除には時間がかかるものですなぁ」


 サリタニの意図が読めず、思わず眉を寄せると、サリタニが懐から印章を取り出した。


「紆余曲折を経たが、無事にワシの手に渡ったのは幸いだ」

「なにを……」

「あなたはいささか知りすぎていると、聞いたのだ。だが、一度限りの契約といえども仮初めの女神としての教育を受けたあなたは大事な存在。今の女神ではどうも(ぎょ)せませんからなぁ」


 印章を撫でながらサリタニは卑しい笑みを浮かべる。


(どういうこと? ローゼスってヤツが黒幕じゃ……)


 サリタニの口ぶりでは、自分が大神官になるような物言いだ。

 一介の神官が気軽に口にできる望みではない。思い上がりもいいところだ。

 サリタニの手に印章があろうと、彼が大神官になれるはずもない。たかだかルオンの神官長止まりのサリタニをだれが推薦するのだろう。


「まあ、せいぜい大人しくワシの言うことを聞くことですな。あなたの仲間の命が大事ならば」

「! どういうこと!?」


 思わず仮面を被ることを忘れ、素で喋ると、サリタニは弱点を見つけたかのように目を細めた。


「おやおや。ワシの言葉に惑わされ、せっかく築いた女神の威厳も台無しにしてしまった。すべてを水泡に帰すとは、なんと嘆かわしい。演じるのならば、完璧に演じなければ。これからは、言動はおろか、指先の一本一本にいたるまで、気を抜かずに女神として振る舞ってもらわなければ」

「…っ、答えて! あたしの仲間になにをしたの!?」

「ふっ、まだなにもしてませんよ。あなたが大人しく傀儡となって下さるのなら、ね。けれど逆らうのであれば、守警団員が貧民区のガキどもを捕らえて始末するだろう」


 守警団員は、常に見張っているぞ、と脅すサリタニに、メルファはギリッと奥歯を噛みしめた。


(やっぱ、簡単に帰すわけなかったんだ)


 人質をとられては、手も足も出なかった。

 サリタニが去ると、メルファはその場に崩れ落ちた。


「ど…して……っ」


 カタカタと体が震える。

 自分が引き起こした事の顛末の代償は、あまりに大きい。


(あたしが……、あたしが奪っていくんだ!)


 これから起きることを考えると、眩暈がしそうだった。


 きっと荒れるだろう。


 仮にメルファが女神となった場合、本物の女神レウリアーナは消される可能性が高い。


(お願い……見つからないでっ)


 姿をくらませているという女神が、一生現れなければいい。


 けれど、メルファにはまだ女神にあるべき神気を出せていない。それをサリタニは知らないのだろうか。半人前以前の問題だ。女神としての力がない以上、女神にできるとは思えなかった。

 それとも、その事実を伏せたまま据えようと目論んでいるのだろうか。

 サリタニに必要なのは命じたとおりに動く人形だ。女神としての機能などいらないのだろうが、この国にとって女神の力は不可欠。


 降臨祭で女神が見せる天候を操る姿は、必須だ。分厚い雲を退かし、太陽が顔を出さなければ、農作物は育たなくなり、民は飢え死ぬだろう。そんな簡単な構図にサリタニが気づいていないとは思えないが、あまりに短絡的な言動に不安を覚えた。


 ──彼は、慈雨の地ファーゼを破滅に導くつもりだろうか。









 メルファがふさぎ込んでいると、ふいに窓が開いた。


 湿った風が室内に入り込む。

 それをぼんやりと見つめていたメルファだったが、そこから軽々と侵入してきた人物を見てぽかんと口を開けた。

 侵入者は、不敵な笑みを浮かべると呆けたままメルファを見下ろした。


「ふんっ、ずいぶんと化けたじゃないか。少しは様になっているようだな。だが、女神レウリアーナには遠く及ばぬ」


 不躾にメルファを見つめた侵入者は、嫌みったらしく吐き捨て、鋭く視線を扉へと走らせた。


「見張りが二人とは、ずいぶんと物々しいな」


 彼は声を潜めた。

 幸いにも外にいる見張りが侵入者に気づいた様子はない。彼と違って気配のひとつも読めないようだ。


「なんでイーシスがここにいんのよ」


 メルファはようやく口を開いた。

 全身を黒装束に身を包んだイーシスの姿は、普通だったら大神官には見えなかっただろう。

 しかし、闇色をまとっても、秀麗な容貌は決して澱むことはない。身の内から真珠のような柔らかな光が出ているかのように、清麗としていた。


(色で選ばれた大神官? 違う。きっとイーシスは生まれたときから大神官としての資質があったんだ)


 そう思わざるを得ないほど、イーシスは何色にも染まっていなかった。


「ご託はあとだ。行くぞ」


 メルファの手を取ったイーシスだったが、動こうとしないメルファに優雅な曲線を描く眉を潜めた。


「なにをしている。一緒に来い。貴様を連れ出したら、リオスたちがこの屋敷の主どもを拘束するだろう。巻き込まれたくなければ、大人しくついて来い」

「──行かない」

「戯れ言を。貴様の居場所を突き止めるだけで時間がかかったんだ。これ以上、やつらを野放しにはできない。ただでさえ、俺たちをつけ狙う不穏な影が蠢いているんだ。これ以上先延ばしにすれば、どちらかに死傷者がでるぞ」

「あたしはあんたを裏切ったんだよ! ……んで、なんで、助けになんか来たのさ……っ」


 メルファは苦しげに顔を歪めた。気を緩めたら、涙があふれてきそうだったのだ。

 イーシスが現れたことに最初はびっくりしたが、まさか自分を助けに来たなんて……。

 嬉しいと思うと同時に、酷く困惑した。

 もう彼は気づいているはずだ。印章が敵に渡ってしまったことに。ここで悠長にメルファに構っている暇などイーシスにはないはずだ。

 早々に手を打たないと彼は罷免されてしまうのだから。


 だからこそメルファは、イーシスに早くこの場を去ってもらいたかった。自分の心配などしなくていいのだと伝えたかったのに、口からついて出たのは、文句だけだった。


「あのとき、冷静さを欠いていたのは確かだ。俺が見誤ったせいで、貴様を傷つけた。許してもらおうとは思わない。だが、償いをさせて欲しい」

「いらないよ。だってあたしはほんとに裏切ったんだから……! 印章を渡しちゃったんだから」


 メルファは首を振った。我慢しきれなくなった涙が頬を伝って落ちていく。

 イーシスに会えて、緊張の糸が切れたのかもしれない。サリタニの登場で、神経を張り詰めていたのだから。


「逃げて! 女神レウリアーナの命も危険なの。このままじゃサリタニに殺されちゃうっ」

「なに──?」


 イーシス顔が険しくなった。

 彼が詳しく問いただそうとしたそのとき、扉を隔てた廊下から人の足音が聞こえてきた。

 近づいてくる足音に、イーシスとメルファの間に緊迫した空気が流れた。

 表情を引き締めたイーシスは、無理やりメルファを立たせ、窓辺へと連れて行く。


「リオスたちが塀の向こうで待ちかまえている。そこまで行けば安全だ」


 イーシスが窓の縁に足をかけた。


「──だから、泣くな」


 振り返ったイーシスは、メルファの涙を空いている手で拭った。冷たく見えがちな灰色の双眸が困惑したように揺れていた。


「……っ」


 息を詰めたメルファは、顔を曇らせた。


「ごめんね、あたしのことは忘れて」


 手を思い切り振り払ったメルファは、イーシスの背を押した。

 平衡を崩し二階から落下するイーシス。


 だが、持ち前の運動能力のよさで態勢を立て直すと、見事に着地した。それを見届けたメルファはホッと安堵の息を吐いた。つたう木も、安定した足場もないこの部屋へ登ってきたのだから、無様に落ちることはないだろうと思ったのだが、やはり心配だったのだ。

 こちらを見上げるイーシスの視線に気づかぬふりで、窓を閉めた。


(きっと、怒ってるだろうな……)


 イーシスの感触を忘れるかのように、ごしっと乱暴に目元をこすると、涙はすっかり止まっていた。  イーシスの不意打ちの行動に驚いて引っ込んだのだろう。

 窓に寄りかかって憂えていると、廊下のほうが少しだけ騒がしくなった。何事かと身構え、とっさに仮面を貼り付けたが、入ってきた人物を見て目を丸くした。


「やあ、子猫ちゃん。会うのは、四日ぶりかな」

「ア、アーク!?」


 緩く手を挙げるアークは、敵陣のまっただ中だというのに緊張の欠片もなかった。彼は、窓を一瞥する

と、底の見えない笑みをたたえた。


「おかしいなぁ。さっき、よく見知った気配を感じたんだけど」


 そう言って小首を傾げるアーク。


「な、なんでいるの!? 守警団のヤツらに捕まって……」

「さあ、なんでかな」


 くすくす、とこの場ではあまりに場違いな笑みを浮かべるアークに、なぜかメルファの肌が粟立った。

 護衛神官の服をまとうアークの姿は、それは麗しく、華やかな出で立ちであったが、どこかいつもと違っていた。雰囲気だろうか。守警団に捕まっていたというのに、憔悴した様子もない。


「ねぇ、だれかに苛められた? 目が赤いけど」


 メルファへと視線を移したアークは、不快そうに眉を寄せた。

 それに対してゆるりと首を振って否定したメルファは、イーシスのことを伝えようとしたが、なぜかアークの目を見ている喉の奥に引っかかってでてこなかった。


「そう、よかった。てっきりあの男が悪さをしたのかと思っちゃった。悪知恵だけはほんと回るからね」

「あの男……?」


 イーシスのことではないだろう。

 訝しげに眉を寄せると、アークは笑みを深めた。


「あはっ、メルファちゃんてば、綺麗に着飾っているからほんと見違えたよ。そうやって窓辺に佇む姿は、まさに眼福。晴れ渡った青空の下だったら、なおさら後光が差しただろうね。これで神気をまとっていたなら、女神レウリアーナに負けずと劣らない女神サマに見えたのに」

「アー、ク……?」

「──ねえ、子猫ちゃん。血の繋がりってさ、ほんと厄介だよね」


 細められた黄金の双眸が、困惑しているメルファを射抜く。


「あの男の血が自分にも流れてると思うと怖気立つけど」

「どうしたの?」

「ほんとは巻き込みたくなかったんだけど。君が悪いんだよ? 盗みは犯罪なんだから」


 愉しげに語るアーク。けれど、眼の奥はちっとも笑っていなかった。

 メルファは一歩後じさったが、すぐに窓へぶつかってしまった。


「大丈夫、君のことは気に入っているし。大切に扱うよ。あはっ、怯えちゃって……もしかしてオレのことが怖い? ひどいなぁ。旅をしてきた仲なのに」

「……っ」

「ねえ、偶然だと思った? オレが君に決めたの。ほんとは見てたんだよね。まぬけなドゥオーラクから盗むところ。仮初めの女神なんてだれでもよかったんだけど、オレってば頭いいからいい筋書きが思いついちゃったんだよね。君が思い通り動いてくれてよかったよ。大神官サマが気に入るか不安はあったけど、難なく突破してくれたし」


 一体、アークはなにを言っているのだろうか。


 独白するように語るアークの目は、メルファではなくどこか遠くを見つめているようだった。


「オレの父親を教えてあげようか」


 メルファとの間合いを縮めるように近づいたアークは、窓に阻まれそれ以上逃げられないメルファの耳にそっと顔を寄せた。


「──……だよ」

「そ、んな……」


 メルファの双眸が驚愕に見開かれる。



 何かが崩れていくような音が頭の中に響き渡った。



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