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28.「求める理由」

「瀬戸さん、この前の縄張り調整の件、ご相談したいことがあるんですが」


 応接室で私は、他部署の調整係――人間の姿をした中堅の妖の男性と、書類を見ながら打ち合わせをしていた。彼は丁寧で仕事もきちんとしている、付き合いやすい相手だった。


「こちらの図面なんですけど……」


 話が進むうちに、ふと視線を感じた。

 応接室の入口、社長室との繋ぎの戸口に、蓮夜がいつの間にか佇んでいた。


「蓮夜さん?どうしたんですか」

「……何でもない」


 蓮夜はそう言いながらも、その場を離れる様子もなく、じっとこちらを見つめている。打ち合わせの相手の男性もその視線に気づいたのか、少し落ち着かない様子になった。


「あ……あの、瀬戸様。本日はこれくらいで……」

「え?……あ、はい。お疲れ様でした」


 打ち合わせがいつもより少し早めに終わった。妖の男性はそそくさと応接室を後にしていく。

 彼が完全に退室した後、蓮夜はようやく私のところまで歩み寄ってきた。


「……何かご用でしたか」

「いや」

「いや、じゃないですよね。さっきからずっと見てましたよね」


 蓮夜はわずかに視線を逸らした。これまでの傲慢で堂々とした態度とは少し違う、明らかなぎこちない様子だった。


「……お前の視界に俺以外の存在が入るのが、気に食わなかった」


 唐突に絞り出された一言に、私は思わず目を丸くした。


「え?ただの仕事の打ち合わせですよ」

「わかっている。それでも気に食わない」

「それ、ものすごく自分勝手な感情ですよね」

「自覚はある」


 あまりにも素直に認める態度に、思わず笑いがこぼれる。


「蓮夜さん、私、これまでにたくさんの人と業務上関わってきましたよね。今さらそれで、嫉妬してるんですか」

「今さらというのが、問題なのかもしれない」


 蓮夜は少し苦々しい表情で続けた。


「お前との関係がはっきりとしたものになってから、お前が他の誰かと何気なく話している姿を見るだけで、これまで以上に苛立ちを感じるようになった」

「それは……束縛欲が強くなったってことですか」

「そうだ。自覚している。だが、止められない」


 そのあまりにもまっすぐな告白に、なんだか呆れるよりも、おかしさと愛おしさが先に来てしまう。


「私、別に誰にも心を移すつもりはないですよ」

「わかっている。それでもお前の視界に誰かが入るだけで不快に感じる。これは理屈ではない感情だ」

「重いですよ、それ」

「重くて悪いか」


 蓮夜はまっすぐに私を見据えた。その目にはこれまでの傲慢さと、それからひどく素直な、不器用な独占欲の両方が確かに滲んでいた。


「……悪くないです」


 私はふっと笑いながら答えた。


「なんだかそういうところも含めて、蓮夜さんらしいなって思うので」


 蓮夜はその答えに少し意外そうな顔をした。それからふっと表情を緩める。


「お前は本当に、俺の重い感情を軽く受け止めるのが得意だな」

「得意とまでは言いませんけど、慣れてきました」


 その言葉に、蓮夜はわずかに苦笑するように口角を上げた。

 結ばれた後も変わらない、彼の不器用な独占欲。

 それすらも今は確かな愛情の表現として受け止められるようになった自分に、私は少しだけ誇らしい気持ちを感じていた。


 ☆


「少し、歩かないか」


 夕食を終えた後、蓮夜がふとそう切り出した。窓の外にはすでに、夜の帳がすっかり下りている。


「いいですね。涼しくて、気持ちよさそうです」


 マンションを出て、近くの公園まで二人でゆっくりと歩いていく。

 街灯の光が等間隔に足元の道を照らしている。人通りも少なく、虫の音だけが静かに辺りに響いていた。


「こうして何でもない夜を、お前と歩けるとは思っていなかった」


 ベンチの近くまで来たところで、蓮夜がふと足を止めた。


「以前は考えたこともなかったんですか?こういう、ただの散歩を」

「考えるという発想自体がなかった」


 蓮夜は夜空を静かに見上げながら続けた。


「俺にとって時間というのは、ただ過ぎていくものだった。何百年という単位でただこの都市を守り続けるという役目だけが、俺の存在意義だった。誰かとこうして、何気ない時間を共有することなど想像すらしていなかった」


 その言葉に、彼がどれほど長く孤独な時間を積み重ねてきたのかが、改めて感じられた。


「お前を初めて見つけた時――正直に言えば、あの瞬間、俺の中にあったのはただの『飢え』だった」


 蓮夜の声がこれまでにないほど静かで、誠実な響きを帯びていた。


「お前の魂が放つあの甘い霊力に、長い間感じることのなかった『欲しい』という感情を抑えられなかった。最初はそれだけが、お前を求める理由だったと思う」

「……うん」

「だが、お前と過ごす時間が長くなるにつれて、その『飢え』は別の感情に変わっていった」


 蓮夜は私の方をまっすぐに見つめた。


「お前の霊力は確かに、俺にとっての救いだった。だが今、本当に俺を救っているのは――霊力そのものじゃない。お前という一人の人間の、まっすぐな心だ」


 その言葉に胸の奥が温かく、満たされていく。


「お前がいなければ、俺は今もただ孤独に、この都市を守り続けるだけの存在だっただろう。お前と出会えたことは俺にとって、何百年の中で最も必然だったと思える出来事だ」

「蓮夜さん……」

「ありがとう、雛子」


 蓮夜の手が私の手をそっと握る。その温かさに思わず、涙腺が緩みそうになった。


「私も、ありがとうって言いたいです」


 私は彼の手をしっかりと握り返した。


「あなたが私を見つけてくれたから、私は自分の力を初めて、誇らしいものとして受け入れることができました。あなたがいなければ、私は今もずっと自分を隠して、平穏という名の孤独を抱え続けていたと思います」


 夜空に星がいくつか、ぽつぽつと瞬いている。

 街の灯りにかき消されながらも、それでも確かに、そこに光があった。


「私たちの出会いは、たぶん運命だったんですね」


 ぽつりとそう呟くと、蓮夜は優しく頷いた。


「そうだな」


 その一言が何よりも強く、二人の絆を確かなものにしてくれている気がした。

 ベンチに二人並んで腰を下ろし、しばらく何も言わず、夜の静寂をただ共に過ごす。

 その時間は何よりも贅沢で、何よりも満たされた特別な時間だった。

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