29.「構わない」
「蓮夜さん」
静かな夜の公園で、私はふと彼の方を向いた。
「一つ、聞きたいことがあります」
「何だ」
「私が人間として年を取って、いつかおばあちゃんになっても……蓮夜さんはそれでも、私の傍にいてくれますか」
その問いに、蓮夜はわずかに目を見開いた。
「私の時間は有限です。蓮夜さんのように何百年も生きられるわけじゃない。いつか私は年老いて、あなたよりもずっと早くこの世界を去ることになります」
その問いを口にする間、声がわずかに震えた。
だけどこれは、いつかきちんと確かめておきたかったことだった。
「それでもあなたは、私をずっと好きでいてくれますか」
蓮夜はしばらく無言で夜空を見上げていた。それからゆっくりと、私の方に視線を戻す。
「俺はお前の若さや、美しさを愛しているわけじゃない」
その声には、これまでにないほど深く、確かな誠実さが込められていた。
「お前のまっすぐな心、誠実さ、自分の意志で物事を選ぶ強さ――それこそが、俺が愛しているものだ。それは年齢や外見が、変えるものじゃない」
「蓮夜さん……」
「たとえお前が白髪になり、肌に皺が増えても、俺の目に映るお前の魂は今と何も変わらない。むしろ年月を共に重ねるごとに、その輝きはより深く、美しくなっていくだろう」
その言葉に、目頭が熱くなる。
「私はたとえあなたの神としての時間が長くても、人としてあなたと一緒に老いていきたいです」
はっきりと私は、その思いを口にした。
「あなたと一緒に過ごす一年一年をちゃんと積み重ねて、年老いていく――それが私の望む未来です」
蓮夜は私の言葉に、深く頷いた。
「お前が人としての生を望むなら、俺はその道を全力で支える」
蓮夜の手が私の頬に、そっと触れた。
「だがお前がいつかこの世界を去ることになっても――俺はお前を、決して離さない」
その言葉には、これまでに聞いたことのない深く、確かな覚悟が込められていた。
「たとえ時が止まっても。たとえお前の魂が別の場所に生まれ変わったとしても――俺は必ず、何度でもお前を見つける」
「蓮夜さん……」
「それが、俺の永劫の誓いだ」
その言葉に、涙が自然と頬を伝った。これは悲しみの涙じゃない。これまでに感じたことのない深い、確かな安心と感動から溢れ出た涙だった。
「ありがとう、蓮夜さん」
「時をこれからも、お前と一緒に積み重ねていきたい」
蓮夜は私の頬に流れた涙を優しく、指先で拭ってくれた。
夜空に浮かぶ静かな月の光が、二人を温かく照らしている。
永い時を生きる神と、限りある時間を生きる人間――その違いを超えて、私たちは確かに一つの未来へと繋がっていることを、その瞬間はっきりと確信していた。
☆
朝日が寝室の障子を、淡く染め始めている。
目を開けるとすぐ隣に、蓮夜の顔があった。彫りの深い整った顔が朝の光に照らされて、いつもよりも少しだけ柔らかく見える。
「……おはよう」
まだ少し眠そうな声で、蓮夜が囁いた。
「おはようございます」
答えながら私はゆっくりと身体を起こした。
窓の外にはいつもと同じ東京の朝の景色が、静かに広がっている。室内には相変わらず、提灯と畳の不思議な異界の空間がそこにあり続けている。
現世と常世が重なり合うこの奇妙な部屋も、今ではすっかり私の「家」になっていた。
身支度を整え、出勤の準備を済ませる。鏡の前で髪を整えながら、ふとあの朝――まだ「見えないフリ」を続けていたあの頃の自分を思い出した。
あの頃の私は、見えるものにただ怯えていた。誰にも心の内側を見せないように、自分をできるだけ「普通」に見せようと必死だった。
「準備、できたか」
「はい。今日も一緒に出社ですね」
「では影月、行ってくる」
リビングで影月がにこやかに見送ってくれている。彼はロボット掃除機やその他家電のメンテナンスのために、昨夜から家に来ていた。
「行ってきます」
その言葉を口にした瞬間、不思議な感慨が胸に湧いた。
以前の私は「行ってきます」も「おかえり」も、ただの習慣的な言葉として使っていた。今は――その言葉一つ一つに、ちゃんと意味が込められている。
行ってきます、というのは、また必ずここに帰ってくるという確かな約束。
おかえり、というのは、あなたをずっと待っているという確かな想い。
もう、誰かから自分を隠すための空っぽの言葉じゃない。
「雛子」
マンションのエレベーターを待つ間、蓮夜がふと私の方を見つめた。
「なんですか」
「お前はこれからも――俺の隣で、『見えないフリ』を続けてくれるか?」
その問いに、思わず目を瞬かせた。
「……何ですかそれ、どういう意味ですか?」
「お前の視える力は、もう隠す必要のないものだ。だが――俺が見せたいものだけ見ていればいい」
蓮夜は少し悪戯っぽく笑った。
「俺以外の余計な視線や余計な存在に、お前の心を惑わされる必要はない、ということだ」
その相変わらず傲慢で、けれど不器用な独占欲に満ちた言葉に、思わず笑いがこぼれる。
「それなら喜んで、『見えないフリ』を続けます」
エレベーターの扉が静かに開く。乗り込んだ瞬間、蓮夜の手が私の手をそっと握った。
「行こう」
「はい」
窓の外、ガラス張りのエレベーターから見える朝の東京の景色が、二人を優しく照らしている。
目が合った瞬間、蓮夜がふと私の額に軽く唇を落とした。
「……っ、こんな場所で」
「誰も見ていない」
「コンシェルジュの人に、見えるかも――」
「構わない」
相変わらずの自分本位な答えを返しながら、唇を重ねて私の口を塞ぐ。
エレベーターがゆっくりと下降していく。
窓の外に広がる、朝の光に満ちた東京の街。その光景をもう何の恐れもなく、ただまっすぐに見つめることができる。
あやかしも人間も、すべてが当たり前に共存するこの世界の中で。
私はこれからずっと――蓮夜の隣で、自分だけの確かな「平穏」を丁寧に積み重ねていく。
その未来に、何の不安もなかった。
ただ温かく満ちた確かな幸せだけが、これから続く日々の中に静かに待っているのだと、私は心の底から信じることができた。




