23.「俺の魂」
「雛子。よく聞いてほしい」
蓮夜は闇に浮かぶ記憶の光を背に、静かに私の方を向いた。
「俺の力は、もうほとんど尽きている。外の世界では、俺の身体は今、生死の境にある」
「……それは」
「だが、お前ならまだ間に合う」
蓮夜の手が、私の方へゆっくりと伸びてきた。
「俺の残る力のすべてを、お前に注ぐ。そうすれば、お前は俺の力を継ぐ新しい守護神として、現世で生きていける。俺が消えても、お前は生き延びられる」
その言葉に、これまで赫々から聞いていた「器」としての計画が、はっきりと現実のものとして、目の前に提示された。
「……嫌です」
迷いなく、私は首を横に振った。
「お前の意志は、関係ない」
「関係あります」
声を強めて、私は蓮夜の手を押し返した。
「あなたはいつも、私の意志を最後には尊重してくれました。でも、今この瞬間だけは、あなたが私の意志を無視しようとしてます」
「雛子……」
「私は、あなたの力を継ぐ『器』になりたいわけじゃない」
はっきりと、私はその言葉を口にした。
「私が欲しいのは、あなたが消えた後の寂しい平穏なんかじゃない。あなたと一緒に、これからも生きていきたいんです」
蓮夜の表情に、明確な動揺が浮かんだ。
「だが、俺の力はもう……」
「だったら、一緒に立て直しましょう」
私はまっすぐに、蓮夜の目を見つめた。
「私には、あなたの霊力を鎮める茶の力があります。今、あなたの内側にこうして触れられている。それなら力を一方的に注ぐんじゃなくて――お互いの力を分け合うことができるはずです」
「分け合う、というのは……」
「私をあなたの『器』にするんじゃなくて、対等な『番』として受け入れてください」
その言葉を、私ははっきりと迷いなく口にした。
「あなたが消えるなら、私も一緒にその瞬間に立ち会います。でも、もし私たちが、お互いの力を本当に分け合うことができるなら――きっと二人とも生き延びられる方法があるはずです」
蓮夜はしばらく、言葉を失ったように私を見つめていた。
「お前は本当に……どこまでもまっすぐな人間だな」
「事務職ですから。問題を根本から解決する方法を、いつも探すんです」
わざと軽い口調で言うと、蓮夜はふっと小さく笑った。
「お前のその合理的な強さに、俺は最初から惹かれていたのかもしれない」
蓮夜が私の手をそっと取った。
「わかった。お前を対等な番として受け入れる」
その言葉と共に、闇の中に浮かぶ光の点々が一気に強く輝き始めた。
「俺の魂と、お前の魂を本当の意味で結び合わせよう」
「はい」
二人の手のひらがしっかりと重なり合った。
その瞬間、私の中に流れる霊力と蓮夜の中に残された力が、まるで二つの川が一つの流れに合流していくように、激しく共鳴し始めた。
これまで片方が与え、片方が受け取るだけの関係だった二人の力が、今初めて対等な形で混ざり合っていく。
光が闇をゆっくりと押し広げていく。
その光の中心で、私と蓮夜はしっかりと手を取り合っていた。
☆
意識が再び現実の世界に戻ってきた瞬間――。
私は自分の身体の中に、これまで感じたことのない圧倒的な熱の流れを感じた。
「これは……っ」
目を開けるとまだ蓮夜を抱き支えたまま、私は赫々の炎の領域の中心に座り込んでいた。
でも先ほどまでの絶望的な状況とは、明らかに空気が違う。
自分の身体から淡い、けれど確かな光が静かに放たれ始めていた。蓮夜の中に残されていた霊力と私自身の霊力が、精神世界での共鳴を経て、現実の世界でもはっきりと一つに融合し始めている。
「馬鹿な……お前、その人間は……」
赫々の声に初めてはっきりとした動揺が滲んだ。
「人間が神の力を、これほど自然に受け入れるなど……」
「私は器なんかじゃありません」
立ち上がりながら、私ははっきりとその言葉を口にした。
目の前にある巨大な炎の存在――赫々の輪郭を、私はこれまでとはまったく違う視点で見つめていた。
これまでの私はずっと、視えてしまうことを「呪い」だと思い、視線を逸らし続けてきた。
あやかしの姿をできるだけ「見ないフリ」をすることで、自分の平穏を守ってきた。
それが今、私の中でその姿勢が完全に変わっていた。
目を大きく見開く。
これまでずっと避けてきた「あやかしを直視する」という行為を、私は初めて自分の意志ではっきりと行った。
その瞳に映ったのは――炎そのものに見えていた赫々の、その奥に潜むもっと小さな、ひどく孤独な一つの魂の姿だった。
「あなたの本当の怒りは……蓮夜さんへの憎しみだけじゃない」
視えたものを、私はそのまま言葉にした。
「誰からも必要とされなくなった寂しさ。誰かに座を奪われたことへの惨めさ。それが何百年もかけて憎しみに変質していった――そうですよね」
赫々の炎の輪郭がわずかに揺らいだ。
「黙れ……!」
「私には見えてしまうんです。あなたの本当の悲しみが」
私は自分の中に流れる光――蓮夜と分け合った新しい力を、その悲しみの根源に向けてそっと差し出した。
奪うための力ではなく、ただ寄り添うための温かな光。それがゆっくりと赫々を包み込んでいく。
「お前……何を……」
「あなたを消すつもりはありません」
私は静かに言葉を続けた。
「ただ、その憎しみを少しだけ鎮めたいだけです」
光が赫々の輪郭を優しく包み込んでいく。炎の勢いが徐々に和らいでいくのが見えた。
これは敵を打ち倒す力ではなく――敵の中にある深い孤独そのものを浄化していく力だった。
「……っ、ぐ……」
赫々の声がこれまでの憎悪の響きから、少しずつ戸惑いと安堵が混じったような複雑な音に変わっていく。
その光の中心で、私は自分の中に芽生えた新しい力の正体をはっきりと理解していた。
これはただの霊力でも、神の力でもない。
蓮夜と私が互いを思う気持ちが混ざり合って生まれた――「愛の力」そのものだった。
炎の領域全体が淡い光に包まれていく。




