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15.「合理的な措置」

「明日から、お前が外出する際は、すべて事前に俺の許可を取れ」


 夕食の席で、唐突にそう告げられた時、私は思わず箸を止めた。


「……は?それ、本気で言ってます?」

「本気だ」


 蓮夜は、まったく揺るがない様子で続けた。


「俺が許可した場所以外には、踏み込むな。会社と、このマンションの往復以外の行動は、すべて事前に報告すること」

「ちょっと待ってください。それじゃ、コンビニに行くのも、許可がいるってことですか」

「そうだ」

「ランチで、外のお店に行くのも?」

「不可能ではないが、影月を同行させる」


 あまりにも一方的な「ルール」の数々に、頭が痛くなってくる。確かに、危機があることは理解している。それでも、これは明らかに行き過ぎだ。


「蓮夜さん、それって私をほとんど監禁してるのと同じじゃないですか」

「監禁ではない。安全のための、合理的な措置だ」

「合理的かどうかは、私が決めることだと思います」


 言い返すと、蓮夜はわずかに眉を寄せた。明らかに、不機嫌な気配が伝わってくる。


「お前の安全に関わることだ。お前の意見だけで、判断させるわけにはいかない」

「でも、こんなに行動を制限されたら私、何のために秘書として働いてるのかわからなくなります」


 その言葉に、蓮夜はしばらく黙り込んだ。何かを考えているような表情だった。


「……お前の言うことも、わからないわけではない」

「だったら……」

「だが、例えどんなに小さな確率でも、お前を失う可能性があるなら、俺はその確率をゼロに近づけるためにできることをすべてやる」


 蓮夜の声には、これまでにないくらいの強い感情が滲んでいた。傲慢さの中に、確かな焦りと、何か――もっと根源的な恐れのようなものが、見え隠れしている。


「だから、今は、俺の言う通りにしてくれ」


 その言い方には、有無を言わせない命令の響きと、同時に、不器用な懇願のような色合いも確かに混ざっていた。


「……行き過ぎだと思いますけど。一応、わかりました」


 完全に納得したわけではないけれど、彼の本気の心配を、これ以上突き返す気にはなれなかった。

 その翌日から、私の生活には、新しく「監視役」が加わった。


「本日より、瀬戸様の外出には、私が同行いたします」


 影月が、にこやかに、しかし有無を言わせない笑顔で私の隣に並んだ。


「……影月さん、お忙しいのに、申し訳ないです」

「いえ、これも業務の一環ですので。蓮夜様からの、直々のご指示ですし」


 ランチの時間、近くのカフェに向かう道のりでさえ、影月がぴったりと隣を歩いている。これまでの、誰にも気を遣わずに過ごせていた、ささやかな自由時間がすっかり別のものに変わってしまった。


「ねえ、影月さん。これ、いつまで続くんですか」

「蓮夜様の懸念が解消されるまで、でしょうね」

「それって、いつ解消されるんですか」

「さぁ……それは、私にもわかりません」


 影月は、少し困ったように笑った。それから、ふと、ぽつりと付け加える。


「蓮夜様は、本当に瀬戸様のことを大切に思っていらっしゃるんですよ。あの方が、こんなに人間一人のことで、過保護になられるのを見るのは、私も初めてですから」


 その言葉に、なんと返したらいいかわからず、私は黙ったまま隣を歩く影月の横顔を見つめた。

 束縛されているはずなのに、その息苦しさの奥には、確かに甘やかな温度のようなものが、滲んでいる気がした。

 私は、ため息混じりに、カフェの扉を開けた。


 ☆


 その夜、マンションに帰った直後、結界の外側からただならぬ気配が押し寄せてきた。


「……これ、何ですか」

「下がっていろ」


 蓮夜の声が、これまでにないほど、鋭く張りつめていた。

 窓の外、夜景の光の中にいくつもの黒い影が、まるで雲のように集まり始めている。

 あの日のような、無秩序な下級妖の群れとは、明らかに質が違う。重く、底冷えするような悪意の塊。


「これ、影月さんが言ってた……」

「ああ。本格的に、動き出したらしい」


 蓮夜は、私を背中に庇うように立つと、両手に力を集中させ始めた。窓の外の影たちが、一斉に、こちらに向かって押し寄せてくる。

 ガラスが軋む音。結界が、何かに押されるように、ぐらりと揺れる感覚があった。


「蓮夜さん……!」


 次の瞬間、蓮夜が放った力が結界の外側にぶつかり、強い光と共に影たちを退けていく。けれど、それと同時に彼の身体がわずかに、ぐらりと揺れたのが見えた。


「……っ」

「蓮夜さん、大丈夫ですか?」

「問題ない」


 言葉では、そう言っていたけれど、その額には、確かに汗が滲んでいた。霊力を、大量に消耗しているのが見ているだけでもわかる。

 しばらくして、外の気配が、ようやく落ち着いていった。


「……今のは、何だったんですか」

「探りだ。俺の力の規模と、お前を守るための反応速度を、確認しに来ただけだろう」


 蓮夜は、そう言いながら、座卓に手をついた。これまで一度も見せたことのない、わずかな疲労の色が、その顔に浮かんでいる。


「蓮夜さん、すごく無理してますよね」

「これくらい、たいしたことはない」

「噓ですよね、それ」


 強く言い返すと、蓮夜は、少し驚いたような顔をした。


「私のせいで、こんな無理をしてるんですよね。私が、いるから……」

「お前のせいではない、と前にも言ったはずだ」

「でも、私がいなければ、蓮夜さんは、こんなに力を使う必要、なかったわけですよね」


 言いながら、自分の中で、何かが、はっきりと音を立てて崩れていく感覚があった。守られているだけの自分。蓮夜の力を、ただ消費していくだけの存在。


「私、何もできないのが、嫌です」


 声が、思っていたよりも、はっきりと震えていた。


「あなたを守りたいわけじゃない。一緒に守れるようになりたいんです。今のままだと、私はただ、あなたを弱らせるだけの『重荷』でしかない」


 蓮夜は、しばらく、何も言わずに私の顔を見つめていた。


「お前は、重荷などではない」

「でも……」

「お前がいるから、俺は力の使い方を考え直すようになった。お前がいるから、俺の中の何かが、変わり始めている」


 蓮夜の声には、これまでのような、傲慢な余裕は、もう感じられなかった。


「だが、お前が自分にできることを探したいというなら――それは、止めない」


 その言葉に、私の中で何かがようやく固まり始めた。

 戦闘の力は、私にはない。でも、視える力がある。

 それに、もしかしたら――蓮夜のために、私だけにできることが、他にもあるかもしれない。


「……ちょっと、調べてみたいことがあります」

「何を調べる気だ」

「あやかしの儀式とか、霊力に関する古い知識とか。蓮夜さんの霊力を、何か別の方法で、サポートできないか」


 蓮夜は、わずかに目を見開いた。それから、ふっと小さく笑う。


「お前は本当に、退屈させない女だな」

「褒め言葉、ですか」

「そうだ」


 窓の外には再び、静かな夜景が広がっていた。

 もう以前のような、ただ守られているだけの安心感ではなく――今度は、自分の意志で、何かを変えようとする決意が、胸の奥に確かに芽生えていた。


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