13.「影月に言え」
「今夜から、同じ部屋で休む」
お風呂を済ませて寝室に向かおうとした私に、蓮夜は当然のことのように、そう告げた。
「……はぁ!?なんで、急に」
「鵺野の一件もある。お前の周りに、不審な気配が増えている今、お前一人だけにするのは危険だ」
「でも、この部屋にいる限り、結界は機能してるんですよね?蓮夜さんが、隣の部屋にいるだけで……」
「結界の強度は、俺との距離に比例する」
あっさりとした説明に、反論の余地がなくなる。
「俺が近くにいればいるほど、お前を守る結界は強くなる。今のお前の状況を考えれば、できる限り距離を詰めておくべきだ」
理屈としては、確かに筋が通っている。それでも、すんなり納得できるかどうかは、別の話だった。
「……わ、わかりました。でも、ちゃんと、距離は保ってくださいね」
「保証はしない」
「は?」
「布団は、一組しか用意していない」
その一言に、思わず固まる。慌てて寝室の襖を開けると、確かに広い布団が一組だけ、敷かれていた。
「ちょっと、なんでこんな……」
「文句があるなら、影月に言え。手配したのは、あいつだ」
あの優秀そうな秘書が、何を考えてこんな手配をしたのか、考えるだけで頭が痛くなる。
けれど、今さら別の寝具を用意してもらう余裕もない。仕方なく、私は布団の端、できるだけ離れた場所に身体を滑り込ませた。
「……おやすみなさい」
「おやすみ」
提灯の灯りを落とし、部屋が薄暗くなる。窓の外の夜景の光だけが、ぼんやりと室内を照らしていた。
しばらくは、何も起こらなかった。私は、必死に意識を眠りに向けようとしていた。けれど、隣に人の――いや、大妖の気配があるという状況に、なかなか眠りは訪れない。
どれくらい時間が経った頃か、ふと、背後から、何かが私の身体に回された。
「な……っ」
「動くな」
低い声が、すぐ耳元で囁く。蓮夜の腕が、私の身体を背後からすっぽりと包み込むように抱き込んでいた。
「ちょっ、ちょっと、距離保つって……!」
「お前を狙う気配が、少し近づいている。今は、これが最も効率的な結界の強化方法だ」
「効率的とか、そういう問題じゃ……」
言葉を続けようとしたけれど、すぐ後ろから伝わる体温に、思考が乱れてうまく言葉が出てこなくなる。
蓮夜の体温は、思っていたよりも、ずっと高い。背中に感じるその熱が、まるでこれまで知らなかった種類の安心感のように、じわじわと、私の中に染み込んでくる。
「……嫌か」
囁くような声で、蓮夜が聞いてきた。これまでの傲慢な口調とは違う、どこか確認するような珍しく柔らかな響き。
「……嫌じゃないなら、嫌なんですけど」
「なんだそれは。どっちなんだ」
「わかりません」
本当に、わからなかった。怖いはずだった相手の温度に、こんなに簡単に身体が緩んでしまう自分が、信じられない。
「俺から離れることはできない。それなら、せめて不快ではない形で、傍にいさせてもらいたい」
その言葉に、何も返せなかった。
拒絶しなければいけない、と頭ではわかっている。
それなのに、背中に感じる体温と、規則的な呼吸の音が、不思議なほど心地よくて私はいつの間にか、抵抗する気力を失っていた。
「……今夜だけ、ですよ」
「今夜だけ、な」
含み笑いのような声が、耳元で響く。明らかに、本気で「今夜だけ」だとは思っていない口調だった。
でもそれを訂正する気力も、今の私には残っていなかった。
徐々に重くなっていく目蓋の中、私は、自分の中で何かが、確実に変わり始めていることに、薄々気づいていた。
拒絶のはずだった気持ちが、いつの間にか――ただの、戸惑いに変わっている。




