第三話 運命というより事故
翌日、王宮から手紙が届いた。
エリオット殿下からの直筆で、「昨日は佳き時間をありがとうございました。近いうちにお話がしたい」と。
侍女は涙目で私に抱きついてきた。
「エリナ様ぁ!」
「く、苦しい」
「これはもう、運命です!」
「運命というより、事故かもしれないわ」
口の中が乾いていた。
数日後の面会で、殿下は単刀直入に言った。
「エリナ嬢。私の所持品すべてに、刺繍を入れていただくことはできますか」
「……すべて、ですか」
「ハンカチ、外套の裏地、手袋、本の栞……思いつく限りすべてに」
殿下は至って真剣な顔をしている。
この人は本気だ。
私の不格好なハートの、何がそこまで刺さったというのか。
分かっている。
そんなの理由はひとつだけに決まっている。私の魅了スキルだ。
「畏まりました」
私はそう答えた。
断れるはずがなかった。
王太子殿下からの依頼を、伯爵令嬢が簡単に拒めるわけがない。しかも、殿下は嬉しそうに微笑んでいる。その笑顔に、胸が軋む。
そこから、私の刺繍地獄が始まった。
月が変わり、季節が変わる頃には、私の刺繍の腕は明らかに上達していた。
最初はハートしか縫えなかったのに、今では薔薇の花弁を一枚一枚重ねることができる。小鳥の羽根を、細い糸で表現することもできる。
そりゃ、毎日六時間はみっちり針を刺しているのだ。
指先には何度も針の跡ができた。水に触れるとしみる日もあった。肩は凝り、目の奥は熱くなる。それでも、注文された品は増えていく。
殿下は、私が刺繍を施した品を身につけるたびに、褒め言葉をくれた。
「エリナ嬢の手から生まれるものは、どうしてこんなに心が揺れるのだろう」
「可愛らしい。これを縫っている時のあなたの顔を、何時間でも見ていたい」
「また来てもいいですか」
また来てもいいですか、じゃないんですよ殿下。
あなたが来るたびに、私は緊張する。
笑顔が綺麗だし、声が低くて穏やかで、ずっと聞いていたくなるし、褒められると胸が勝手に温かくなるし。
困る。
本当に困る。
好きになってはいけない。
この人を好きになれば、魅了で縛った相手から都合よく愛を受け取ることになる。
刺繍を渡すたびに、殿下の目が柔らかくなる。そのたびに嬉しくて、怖くて、手の中の針が重くなった。
私は殿下を見ているのか。
それとも、自分が作った魅了の結果を見て、喜んでいるだけなのか。
答えは出なかった。
初雪が降った朝、私は決めた。
「刺繍は……もう、致しません」
面会に来た殿下に、向かい合って、きっぱりと言った。
殿下が少し目を見開いた。
「……何か、不都合なことをしましたか」
「いいえ、殿下は何も悪くありません。ただ、私自身の問題です」
「理由を聞いても?」
「申し上げられません」
まだ、言えなかった。
転生者だと明かすことも、魅了のスキルがあることも、あまりに突拍子がない。信じてもらえないかもしれない。信じられたら、もっと最悪だ。
私は、王太子殿下を魅了していました。
そう告げる勇気がなかった。
「刺繍を辞めたら、殿下も私のことなど気に留めなくなりますでしょう」
「そうは思いませんが」
「いいえ。きっとそうなります」
そうであってほしい。
その方が、まだ楽だろう。
もし刺繍をやめて、殿下が私に興味を失うなら、これは全部スキルのせいだったと諦められる。傷ついても、納得はできる。
殿下はしばらく黙っていた。
窓の外で、白い雪が細く降っている。暖炉の火が燃えているのに、膝の上の指先だけが冷たかった。
「わかりました。無理に頼むことはしません」
「……ありがとうございます」
殿下の静かな返答に、私は深く礼をして、その日は帰った。
それで終わるはずだった。
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