巡り合わせ②
夜野はいわゆるいい子供だった。
幼い頃から親や先生の言うことには逆らわず、
勉強や生徒会などの課外活動も精力的にこなしてきた。
秀才とまではいかなかったが、
上の下くらいの高校と大学に進学し、
一部上場のメーカーに就職した。
真面目にコツコツと物事をこなしていくことが最善であり、
彼にとっての疑いようのない正義だった。
そんな彼にとある事件が起きる。
いつものように残業をこなし、
9時過ぎに退社した帰宅途中だった。
このところずっと残業続きだ。
体力的にかなりハードではあったが、
その分社会の役に立てているのだと思い、
ひたむきな思いだけは失わずに仕事をこなす。
そんな中、ある日の通勤電車内でのことだった。
「痴漢……痴漢です!」
夜野の前にいた高校生らしい女性が声を上げた。
驚いて正面を見ると、彼女はこちらを涙目で睨みつけていた。
当然、無罪を主張した。
だが、この世はいつだって声の大きい者が勝つ。
相手の女は泣叫び、その醜悪な顔を更に歪めながら否認する夜野を咎めた。
次に着いた駅で降ろされ、
やがては駅長が、やってきた警察が、それに肩入れを始め、
駆け付けた相手の母親の「この子が嘘を付くって言うんですか!?」という喚きもまたそれを一層加速させた。
警察の執拗な詰問もあり、
とことんお人好しだった夜野はついに、
意図はしていなかったが、手が触れてしまっていたかもしれないと言ってしまった。
無論、そんな事実はない。
相手がそこまで言うなら、
自分の勘違いや意図せぬ事故があったかもしれないと折れてしまったのだ。
それから話は進んだ。
そのわずかな一点の疑いのみを持って警察は鬼の首を取ったように調書を書き上げ、
刑事裁判となり、夜野の有罪と執行猶予が言い渡された。
更に不運なことに、政治家の失言程度のネタしかなかったマスコミが、
多少の隙間埋め程度にはなるだろうと軽い気持ちで、
「女子高生、涙の訴え――それでも否認し続けるサラリーマンに鉄槌下る!!」という記事に紙面を割いた。
不運は重なるものである。
それがなぜだか一部の盲目的なフェミニストたちの目に留まり、
痴漢撲滅のための一大ムーブメントへ繋がる問題提起となってしまった。
そうしていつしか、夜野は世間の人々に紛糾される悪の権化扱いされるようになった。
「お前ならいつか、やらかしかねないと思ってたよ」
自らの業績が良くないのをいつも部下のせいばかりにしている上司からそう告げられた。
この上司は部下からはほぼ全員から反感を買っていた。
だからこそ夜野は普通に接するよう心掛けていた。
だが、ただ一人変わらずに接してくれる人のいい夜野に対し、
ここぞとばかりに強い口調でなじったあげく、
社長の親族ということだけで得た地位と権力に身を任せ独断で解雇を言い渡した。
「気持ちはわかるけど、俺じゃどうしようもないよ」
「判決出ちゃったんでしょ?もう無理だよ」
「執行猶予なだけマシだよ」
「流石に運が悪かったっすね。
つか本当にやってないんスよね?」
「相談?悪い、ちょっとしばらくは忙しくてなあ……」
同僚、学友。みな一様に述べたのはそんな言葉ばかりであった。
同情の姿勢は見せつつもしょせんは他人事だ。
この余裕のない現代社会での生活において、
他人のために利益にならないことに骨を折ろうとする者などいない。
たとえそれが正義に叶っていたとしてもだ。
そして、日に日に疎遠になっていく。
助けてくれる者は誰もいなかった。
ひょっとしたら彼らも自分を信じていなかったのかもしれない。
「なぜ自分なんだ……
僕が何をしたって言うんだ……!」
夜野は自らの不運を呪った。
どうしようもなくなり、彼は実家に戻った。
やつれ果てこの世の終わりのような顔で、
コンビニを出たときふと目に入ったのは、
金髪で日に焼け体格の良く、粗暴な雰囲気のする男だった。
歩きたばこをしながら、同じく金髪で頭の悪そうな女と、
幼少にしてすでに茶髪に染めている育ちの悪そうな男の子を連れている。
一瞬目が合うが、睨むような視線を向けられおどおどと目を逸らす。
そのまますれ違って少し経ったときに彼のことを思い出した。
中学時代にいた学校の不良である。
夜野は彼に中学時代に何度もモノを盗られたことがある。
あまりの素行の悪さに、教師は多少のことでは咎めなくなっていた。
あれからもまったく変わっていないようだった。
そんな不満も我慢し自分に言い聞かせて、
楽しくもない勉強にやりがいを無理やり見出してきた。
生徒会などという堅物の典型などに身を置きたくはなかったが、
先生に頼まれたときもいつかは報われると信じて引き受けてきた。
彼の学生生活はすべてよりよい社会人生活を送るための糧とした。
だが蓋を開けてみればどうだろうか。
今この現在幸せな生活を送っているのはどちらなのか。
人に迷惑をかけてばかりのあんな人間でさえ、
今なお何ら反省することなく過ごしているばかりか、
所帯を持ち人並みの幸福を享受している。
それに比べて夜野の人生のなんと苦しみにまみれていることか。
彼だって本当は学生時代は勉強などせずに本を読んだり友達と遊んだりしたかった。
将来のためにと言いながら現在を犠牲にし続けてきたその末路がこれである。
正直者が馬鹿を見る。
ある程度そういうことはあったとしても、最終的にはなんとかなる。
大きな損失にはならない。
正しい行いをする者は救われる。
きっと神様は見ている。
ずっとそう信じて生きてきた。
だがそれは絵空事だった。
自分がこれまでしてきた努力など何の意味もない、愚かな信仰の副産物だったのだ。
実家に帰ってから半年ほどが経とうとしているが、
日に日に親からの叱責が増えてきた。
親も彼を信じてはいない。
信じる信じないの問題ではなく、
悪い意味で有名人になってしまったことへの憂慮からやって来るのがそれだ。
実家でさえも心安らぐときはない。
次第に彼はすべてを憎むようになった。
事件のきっかけとなったブス女、同じく似た顔のその親、
それらに安易に同調した駅長・警察官、裏切者の同僚・学友、
そしてコンビニで再会した中学時代の不良。
今までしたり顔できれいごとを言ってきた先輩、先生、上司そして親を。
何よりもまず親を憎んだ。
殺意などとうに通り越していた。
地獄の苦しみの中でもがきながら、
死ぬことを乞うほどになるまで苦しめなければ自分の人生すべてが嘘になる。
強迫観念じみた最後に悟った思想がそれだった。
それから彼は復讐の方法を考えた。
それだけが彼の生きる意味であり、
かつてないほどに頭を巡らせて心血を注いだ。
そして導き出したひとつの方法がこれだった。
すぐに彼は行動に出る。
包丁を持ち出し、それを親に向けた。
顔は恐怖に引き攣り、震え上がりながら失禁していた。
だが、決して殺さない。
あまりにも動けないでいたので、
発破をかける代わりに2,3か所を死なない程度に刺してみたら、
動物のような叫び声を上げ這いずりながら固定電話に向かい通報した。
駆け付けた警官にはおとなしく捕まる。
自分の息子から刃物を向けられるなどという、
まったく想像してもみないことへの不意に来た驚き、
苦痛、そして恐怖の中、自らの手で110番通報させる。
自分の子供を通報することほど悲しく情けないことはない。
かつてない絶望と悲しみの中ですべてを懺悔し、
これから一生自責の念に駆られて苦しみ続ける。
そんな姿を夜野に期待させたが、
面会はおろか、絶縁状を代理の弁護士を介して送ってきただけだった。
どうやら責任は感じていないらしく、
一方的にこちらが悪いと決めつけたようだった。
それが彼の選定に遭う一週間前のことだった。
「あのときは大いに挫折したよ」
同じ痴漢冤罪に遭ったソドム=ゴモラだが、
友人や家族の同情はあった。
彼が憎むのは自分を通報した女と裏切った会社だけだった。
「どうやって選定を生き残ったのかは聞かないのかな?」
初めて味わう感覚だった。
今までソドムは自分が一番下であり、すべての闇を知っていると思っていた。
ソドムは己のすべてを否定された気分になる。
だが負けるわけにはいかなかった。
そんなことは関係ない。
この戦争に勝利した者が正義だ。
だから、こいつには永遠の敗北者になってもらわねばならない。
三度ソドムの破壊の嵐が夜野に吹き荒れる。
正真正銘彼の全力だ。
闇雲に撃てばこの周辺一帯を無に帰すことができるが、
そんな馬鹿げたことはしない。
その破壊力を可能な限り凝縮させる。
ちょうどこの廊下の幅くらいの太さになった紫色の冷たい炎は、
猛然と進みながら付いたり消えたりしている。
あまりの破壊の能力に、空間さえも破壊しながら進んでいる。
夜野にそれが命中するという事実だけは揺るぎない。
この世の終わりを垣間見たような荒れ狂う炎は憎しみの奔流となって夜野を包み込む。
確かにそれは直撃した。
しかとこの目で見たし、手ごたえもあった。
それでもなお、夜野は平然とそこに佇んでいる。
「過程はどうでもいいんだ」
夜野の口調と表情は至って穏やかだ。
ソドムはどうしたらよいかわからなくなった。
今まで彼は一度も退いたことがない。
いつも逃げるのは相手の方だった。
だから、破壊の塊を怒涛の勢いで次々に放つ。
それは、言うことを聞かない子供がおもちゃを親に投げつけるかのような投げやりさがあった。
やがて夜野はゆっくりと歩みを進める。
閃光と爆発の合間にその姿がこちらに近付いてくるのにソドムも気付く。
(焦るな……!
こいつはどう考えても防御に特化した類のコア能力だ。
だから攻撃は大したことはねえ!
ちょっとくらい殴られたって死ぬわけじゃねえ)
いつもコバンザメのようにくっついて来るお供を無理やり黙らせてここまで一人で来たが、
それを少し後悔し始めている。
彼のコア能力は近接タイプではない。
今までその必要がなかったので、そちらの方向を目指す必要もなければ、
その経験もなかった。
(いざとなったら素手の殴り合いに応じてやる!!)
もはやコア能力を使うのはやめる。
にじり寄って来る夜野に獣のような眼光を突き付ける。
3,4メートルほどまで迫ったとき、
ソドムは地面を蹴った。
人を殴るのはほとんど経験がなかったが、
我ながらうまく勢いが乗った拳を敵の頬に叩き込むことができたと思った。
夜野はそのまま吹っ飛ばされ、倒れ込む。
「なんだよ、普通に効くんじゃねえか」
ソドムは少し自信を取り戻す。
確かめるように手を握ったり開いたりしていると、
夜野は穏やかな表情のまま起き上がってきた。
それでも拳だけは敵に届くのなら、それを続けるしかない。
それから何度殴っても起き上がってくる。
気付けばソドムは肩で息をしている。
どちらが追い詰められているのかわからない。
彼の動きがヘロヘロになってきたところで、
夜野はようやく口を開く。
「次はぼくの番だね」
はっとしたときにはすでに、
翡翠色の光の塊が目の前まで接近することを許していた。
一瞬合った目は、恐ろしいまでの無だった。
そして、一撃を貰う。
その瞬間、ソドムは視界が激しく動き回るのを感じた。
遅れて激痛とともに、自らの肢体が壁を貫き穴を空けて外界まで吹っ飛ばされたことに気付く。
どうやらあの廊下のすぐ横は敷地の外だったようだ。
後ろのベクトルへの強い等速直線運動を感じながら、
意識が飛びそうになるも、
地面に激突したときの全身が破裂しそうになるほどの激痛で一度我に返る。
目の前にある河原と周囲の森林を目に焼き付けながら、ソドムの意識は闇に呑まれていった。




